千人万首番外
延暦十四年四月、桓武天皇は曲宴で古歌を誦した。
いにしへの野中古道あらためば改むらむや野中古道
天皇は寵愛していた女官百済王明信(くだらのこにきしみょうしん)に対し、この歌に和するよう命ずるが、明信は答歌をなすことを得ず、代わって天皇自ら和して詠んだ歌
君こそは忘れたるらめ
延暦十七年八月十三日、天皇は北野に遊猟し、伊予親王の山荘に行幸した。このとき詠んだ歌
今朝の朝け鳴くちふ鹿のそのこゑを聞かずは行かじ夜は更けぬとも(類聚国史)
このとき、たちまち鹿鳴があり、天皇は欣然として、群臣たちに歌を和するよう命じた。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日