常陸国茨城(うまらき)郡の人。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。舎人部は大化前代に舎人として天皇・皇子に奉仕した部民。
難波津に御船下ろ据ゑ
【通釈】難波の港に御船を下ろし浮かべて、たくさんの梶を通して、もう漕ぎ出して行ったと、愛しい妻に伝えてくれ。
【語釈】◇難波津(なにはづ) 難波の港。防人はまず陸路難波に集められ、難波津から船で筑紫へ派遣された。◇下ろ据え 海に下ろし浮かべて。◇妹に告げこそ 「こそ」は願望を表わす。
【補記】難波を出港する際の心を詠む。
【通釈】防人に出発する慌ただしさで、家の妻がなりわいとしてすべきことを言わずに来てしまったなあ。
【語釈】◇業るべきこと 生業としてしなければならないこと。農作について言うことが多い。
【補記】故郷を出発した時のことを思い返しての詠。これも難波を出港する際か、あるいは旅の途上での作であろう。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年10月24日