遍昭集(千人万首 付録)




―このテキストについて―
私家集大成・中古1(正しくはローマ数字)に「遍昭1(正しくはローマ数字)」
として収録されている「遍昭集」(底本は西本願寺本三十六人集)を底本と
して作成した。また和歌文学大系18所収の「遍昭集」を参考とした。
仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。また読みやすさを考慮して仮名から
漢字への置き換え、及びその逆の置き換えを適宜おこなっている。

「遍昭集」は三代集所収の遍昭の歌をもとに編集した他撰の家集と見られる。
仁明帝崩後、出家した頃の歌が、歌物語風にまとめられているところに特色
がある。『大和物語』百六十八段の良少将の物語とよく似た話の展開になっ
ている。

   春

花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山かぜ


   西寺の柳を

浅緑いとよりかけて白露を玉にもぬける春の柳か


   二月ばかり、道をまかるとて

折りつればたぶさに穢る立てながら三世の仏に花たてまつる


   大和の布留の中山をまかるとて

いそのかみ布留の山べの桜花うゑけむ時を知る人ぞなき


   比叡の山の舎利会(さりゑ)にのぼりて返るに、桜の花を見て

山風に桜吹きまき乱れなむ花のまぎれに立ちとまるべく

    古今集では第五句が「君とまるべく」となっている。


   春、花山に、亭子法王御幸ありて、とく帰らせたまひなむと
   せしときに

待てと言はばいともかしこし花山にしばしと鳴かむ鳥の音もがな


   おなじ山に、人のまできて、夕がた帰りなんとせしに、
   よみはべりし

夕ぐれの籬(まがき)は山と見えななむ夜は越えじと宿りとるべく


   題しらず

いま来むといひて別れしあしたより思ひ暮らしの音をのみぞ泣く


   内裏(うち)わたりにはべしとき、人に「来む」と頼めて、夜の
   ふくるほどに、「丑三つ」と奏するを聞きて、女のもとより

人心うしみついまは頼まじよ

   といひたれば

夢に見ゆやとねぞすぎにける

    女に会おうと約束をしていた夜更け、時刻が「丑三つ」と奏されたのを
    聞いた頃になって、女から問いかけの歌をもらったのである。問いの歌
    の「うしみつ」には「憂し見つ」と「丑三つ」が掛けてある。答の歌の
    「ねぞすぎ」には寝過ぎた意と子の刻を過ぎた意が掛けられている。


   五節の舞姫をみて

あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ


   なにくれといひありきしほどに、仕(つか)まつりし深草の帝
   隠れおはしまして、かはらむ世を見むも、堪へ難くかなし。
   蔵人の頭の中将などいひて、夜昼馴れ仕まつりて、「名残り
   なからん世に交らはじ」とて、にはかに家の人にも知らせで、
   比叡にのぼりて、頭(かしら)下ろしはべりて、思ひはべりし
   も、さすがに親などのことは心にやかかりはべりけん

たらちねはかかれとてしもむばたまの我が黒髪を撫でずやありけむ

    詞書の「深草の帝」は仁明天皇。遍昭が出家前、寵遇を受けた天皇であ
    る。歌の「たらちね」は母親のこと。「かかれとて」は出家して頭を剃
    り下ろしたことを指す。


さらしなに我は帰らじなき見つつ呼べど聞かずと問はば答へよ

    後撰集では第一句「いまさらに」第三句「たきみつつ」。


   深草の山にをさめたてまつるを思ひまゐらせけむほど、
   思ひやるべし

うつせみは殼を見つつもなぐさめつ煙(けぶり)だに立て深草の山

    この歌、古今集では藤原基経を埋葬したときの僧都勝延の歌となっている。


   夕暮に、蜘蛛のいとはかなげに巣かくを見はべりて、常よりも
   あはれにはべりしかば

ささがにの空に巣かくもおなじこと全(また)き宿にもいく世かはふる


   世のはかなさの思ひ知られはべりしかば

末の露もとの雫や世の中のおくれさきだつためしなるらん

   など思ひつづけられ、まかりありきしほどに、年も返り、も
   ろともに見し殿上人々、あるはつかさかうぶり賜りなどして、
   河原に出でて、御服脱ぎしところに、あやしの童子してつか
   はしし

みな人は花の衣になりぬなり苔のたもとよ乾きだにせよ

   かくて、いづこともなくて歩(あり)きしほどに、長谷の御寺
   にさぶらふほどに、かたはらの局なる女、寺の僧を呼び寄せ
   ていふやう、「年頃、この人[女の夫をさす]のなくなり
   にたるを、いかにしても、在るものならば、今ひとたびあひ
   見せたまへ。身をも投げ、死にたらば、道をも成したまへ。
   ただ、ともかくも、この人のありさまを、夢にもうつつにも
   見せ知らせたまへ」とて、男の具ども[行方不明の夫の
   持ち物]を、太刀などまで誦経にせさすとて、えもいはず泣
   くを、初めは「なに人ならむ」と思ひたるほどに、我がうへ
   に聞きなして[註:女の探している夫が、ほかならぬ自分のこ
   とだと遍昭は気づいたのである]、近う寄りて、なほ聞けば、
   女声なりけり。子どもも添ひて、いみじう泣く。いみじう悲
   しくて「なぞや。走りや出でなまし」と、千たび思へど、い
   みじう返さひて、夜もすがら泣きあかしたるところは、蓑な
   ども紅になむしみたりける[血の涙で赤く染まったのであ
   る]。

   さて、また、世にあるとも聞こえぬを、小野小町こもれりけ
   るかたはらに寄りて経読むを、(小町)「誰ならむ」とて、つれな
   く人して見せければ、(使者)「蓑ひとつ着たる法師の、さすがに
   あてやかなるなん、隅の方に居てはべる」といひければ、い
   とど耳をたてて聞くに、いとあはれなり。(小町)「ただ人にはあ
   らじ、中将大徳にやあらん」と思ひて、「いかがいふ」とて、
   「この御寺になむはべる。いと寒きを、御声を聞きはべれば、
   たのもしくなむ、御衣(みそ)ひとつ貸したまへ」とて

岩のうへに旅寝をすればいと寒し苔の衣を我に貸さなん (小野小町)

   といへる返りことばかりを

山ぶしの苔の衣はただ一重貸さねば疎しいざ二人寝ん

   といひたるに、(小町)「さらに中将なりけり」と思ひて、ただに
   も語らひし仲なれば、ものもいはむと思ひて尋ねいきたりけ
   れど、ふと失せにけりと (五条の后が)聞こしめして、五条の后の宮
   [仁明天皇の女御藤原順子]より、内舎人を御使にて、野
   山を尋ねさせたまけり。からくして、わりなく隠れたるとこ
   ろに、ゆくりなく入りにけり。え隠れあへで逢ひぬ。
   (内舎人)「宮の仰せごとには、『帝もおはしまさぬに、むつましう
   おぼしめしし人をだに、御形見にもと思ふべきを、かく世に
   失せ隠れたまひにたれば、いとなん哀しき。などか、山林(や
   まはやし)に入らるとも、ここにだに消息をいはるまじき。御
   里、ありどころにも、音せられざなれば、いみじう泣きわぶ
   なる。いかなる心にて、かくものせらるる』となむはべりし
   かば、ここらの年頃、わりなく尋ねはべりてかしこく参りて
   はべる」といへば、(遍昭)「仰せごと、かしこまりてなむ。帝隠
   れさせたまてのち、世に経べき心地しはべらざりしかば、か
   かる山の末にこもりはべりて、死なむを待ちはべるに、まだ
   なむ、あやしく生きめぐらひはべるに、いとかしこく訪はせ
   たまへること。わらはべのはべるところにも、心にはさらに
   忘れはべらずなむ」とて

かぎりなき雲居のよそになりぬとも人を心におくらさむやは

   となむ申しつると(五条の后に)啓したまへといひける、いとかすか
   になむ、いと悲しかりける。その人にもあらずなりて、ただ
   蓑をなむ着たりける。中将なりしとき清げなりしを思ひ出で
   て、いと悲しかりける。片時人のあるべきところならねば、
   泣く泣く帰り参りぬ。泣く泣く、「ことのよし、かくなむ」
   と啓すれば、宮、かしこくしほたれさせたまて、御返りつか
   はすに、人ども、みな、消息つけてやりたまけれど、隠れに
   ければ、尋ねけれど。[見つからなかった、という意味の
   語が省略されている]
   
   さて、僧正までなりてのちのことにや、仁和の帝の、親王に
   おはししとき、「布留の滝御覧ぜん」とておはしましける道
   に、平中が母の家のはべりけるに宿りたまへるに、庭を秋の
   野に造りて、いとをかし、御物語のついでによみて賜へりし

里は荒れて人は古りぬる宿なれや庭もまがきも秋の野らなる


   同じ帝の御をばの八十賀に、しろかねを杖に作りてたてまつり
   たましとき、かのをばに代はりたてまつりて

ちはやぶる神やきりけむつくからに千歳の坂も越えぬべらなり


   題しらず

あら人の君が祈りししるしあらば八十(やそぢ)の後(をち)に仕へざらめや


   嵯峨野にはべりし法師の方の前に、前栽(せざい)のはべり
   けるを、女友達のとまりて見はべりしかば

ここにしもなに匂ふらん女郎花人の物いひさがにくき世を


   さうざうしうはべしかば、馬に乗りてものにまかりし道に、
   女郎花の見えしを、およびて折りしほどに、馬より落ちて、
   落ちふしながら

色をめで折れるばかりぞ女郎花われ落ちにきと人にかたるな

花と見て折らんとすれば女郎花うたたるさまの名にこそありけれ

秋の野になまめき立てる女郎花あなことことし花もひととき


   奈良へまかる道に、荒れたる家に、女の琴弾きはべりしを
   聞きて、いひ入れはべりし

わび人の住むべき宿と見るなへに歎きくはへる琴の音ぞする


   紅葉を見はべりて

秋山のあらしの風に聞くときは木の葉ならねどものぞかなしき


   残りの紅葉を
   
唐錦枝にひとむら残れるは秋の形見に絶たぬなりけり


   雲林院の木の陰にたたずみありきて

わび人の別きて立ち寄る木(こ)のもとに頼む陰なく紅葉散りけり


   くたにを題にて

散りぬればのちは芥になる花を思ひしらずもまとふ蝶かな


   は文字を上にて、な文字を下にて、ながめを掛く

花のなか目に飽くやとて分けくれど心ぞともに散りぬべらなる

    この歌は古今集の巻十「物名」に「僧正聖宝」の歌として載っている。


   志賀より帰りはべりし人々の、花山に入りて、藤の花を見て

よそに見て帰らん人に藤の花這ひまつはれよ咎むばかりに


   蓮の露を

はちす葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく




更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日