加藤枝直 かとうえなお 元禄五〜天明五(1693-1785) 号:南山・芳宜園(はぎぞの)

本姓は橘。尚之(春雪と号した歌人)の四男。能因法師の末裔と伝わる。千蔭の父。初め為直と称す。通称、又左衛門。
元禄五年(1693)十二月十一日、伊勢国松坂に生れる。若くして江戸に出、大岡越前守忠相配下の南町奉行与力となる。在職中『公事方御定書』を起草するなど、幕府の政策にも関与した。天明五年(1785)八月十日、九十四歳で没。
はじめ堂上派の歌学を学んだが、江戸で賀茂真淵と親交を持ち、その学問に傾倒して門弟となる。真淵に対しては財政的な援助も行ない、庇護者と言える立場にもあった。歌論書に古今風を唱導した『歌の姿古へ今を論らふ詞』がある。自撰家集『東歌(あづま歌)』は村田春海・千蔭の序を付して享和元年(1801)に刊行された。校註国歌大系十五に収録され、続日本歌学全書七に抄出されている。

「彼(引用者注:村田春海を指す)が、歌の本義は雅情にありとした思想、及びその作風の新古今的傾向には、在満宣長等の歌論の影響を認めざるを得ぬのであるが、それと共に、その一つの淵源として、千蔭の父なる加藤枝直の歌風を認めねばならぬ。この意味に於て、枝直は江戸派の歌風の祖である」(佐佐木信綱『近世和歌史』)

以下には『東歌』より十首を抜萃した。

  2首  4首  1首  3首 計10首

都霞

ふりはへて行きかふ袖の追風に都大路はかすみかぬらむ

【通釈】目立った姿で行き交う人々がうち振る袖――その薫香を運ぶ風のせいで、都大路はすっかり霞みきることがないのだろう。

【語釈】◇ふりはへ 人目を引くような動作をすること。袖を振る意を掛けている。◇追風 香りを運ぶ風。袖にたきしめた香の匂いを伝える風。

【補記】調べは古今風に学びつつ、作者が生きた元禄時代の華やかな空気を呼吸している。

【本歌】紀貫之「古今集」
かすが野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ

河辺花

桜さくかた野やいづこ白雲の中に流るる天の河なみ

【通釈】桜の咲く名所、交野とはどこだろう。白雲の中を流れてゆく天の川の波ばかりが見えて。

【語釈】◇かた野 交野。大阪府枚方市あたり。皇室の御領で、古来狩猟地として名高い。前句からのつながりで「桜咲く方」の意が掛かる。◇白雲 桜の花を譬えて言う。◇天の河なみ 天の川の川波。「天の河」は交野の地を流れる天野川を天上の川に掛けて言う。

【補記】伊勢物語八十二段に、惟喬親王・在原業平らが交野で狩をし、天野川のほとりに至ったとのエピソードがある。それを本説(典拠とする物語)としている。

【本説】「伊勢物語」第八十二段
交野をかりて、あまの川のほとりにいたるを題にて、歌よみて盃はさせ、とのたまうければ、かの馬のかみ、詠みてたてまつりける。
 かりくらしたなばたつめに宿からむ天の川原に我はきにけり

【参考歌】大伴旅人「万葉集」
ここにありて筑紫やいづこ白雲のたなびく山の方にしあるらし

上つふさの海より出でて行く月の泊りはふじの高嶺なりけり

【通釈】上総の海から出て空を渡って行く月――その行き着く停泊地は、富士の高嶺であったのだ。

【補記】秋歌。「上(かみ)つふさ」は上総(かづさ)、今の千葉県中央部。関東の東の果てにあたる上総の海から、西の果てに望まれる富士までを眺め渡す、雄大な叙景。参考:江戸一覧図(サイト『和本の美』)

【参考歌】藤原実光「金葉集」
月かげのさすにまかせてゆく船は明石の浦やとまりなるらん

停午月

千尋(ちひろ)ある谷の下ゆく水底もてらしのこさぬ月のひと時

【通釈】千尋もあるような深い谷の下を流れる川――その水底さえも照らし洩らすことのない、月の輝く一時よ。

【語釈】◇停午月 真夜中、真南に停まっている月。中世以後、しばしば歌題とされた。

【補記】秋歌。

【参考歌】藤原行家「続拾遺集」
いまこそはいた井の水のそこまでものこるくまなく月はすみけれ

月前懐旧

人しれずあはれなりしも憂かりしも思ひぞかへす袖の月かげ

【通釈】人知れずひそかに、あわれを感じた時も、辛かった時も、しみじみと思い返すよ――袖に映した月影を眺めては。

【語釈】◇かへす 袖の縁語。◇袖の月かげ 袖を濡らす涙に映った月光。

【補記】秋歌。本歌である古今集の恋歌(下記参照)の「あはれ」は「憂し」に対して喜ばしい恋愛感情を指す。掲出歌は「懐旧」の歌ではあるが、やはり恋の情趣は香る。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいとながるらむ

さびしさを色に出でにけり蔦かづらくる人もなき軒にかかりて

【通釈】寂しい思いを色に出してしまったなあ、蔦かずらよ。訪れる人もない我が家の軒にからまって。

【補記】秋歌。「色」というのは蔦の紅葉の色。渋みのある暗い紅に染まる。参考:和歌歳時記「蔦紅葉」

【参考歌】式子内親王「新勅撰集」
秋こそあれ人はたづねぬ松の戸を幾重もとぢよ蔦のもみぢ葉

難忘恋

おもかげの月にかげろひ花にそひ夢に現に忘れやはする

【通釈】恋しい人の面影が、月を見ればその光にほのめき、花を見ればその花に寄り添って――夢にも現(うつつ)にも、どうして忘れることなどあろう。

【参考歌】正広「松下集」
まぎらはす時こそなけれ春の花めでてもやがて佐良科の月
月をめで花をみるにも面影のまづ先立ちてとふ思ひかな

旅泊雨

かぢ枕とま洩る雨の音づれもまぎれぬほどの波のしづけさ

【通釈】船中に寝ていると、苫を洩れてくる雨の雫の音もまぎれず聞こえる――それ程の波の静けさよ。

【補記】「とま」は菅などを編んで、和船の上部を覆ったもの。波が荒ければ、洩れ落ちる雨粒の音も気にならないのだが…。凪でも辛い船旅の夜。

【参考歌】
秋の夜のあはれもふかき磯寝かな苫もる雨の音ばかりして

其のころよめる

となりには初島みえて七島は潮気にくもる伊豆の海ばら

【通釈】間近には初島が見えて、その向う、七つの島は潮気に霞んでいる、伊豆の海原よ。

【語釈】◇初島 静岡県熱海市の東方海上にある小島。◇潮気(しほけ) 塩分を含んだ湿り気。◇七島(ななしま) 伊豆七島。

【補記】詞書「其のころ」とは、『東歌』の少し前の歌の詞書に「仕へをしぞきて後伊豆の出湯へまかりけるに」云々とあるのを受け、致仕後、伊豆に湯治に出掛けた頃を指す。連作四首のうち最後の一首で、一つ前の歌はやはり伊豆の海を詠んだ「見わたしにさはらふ山のなければぞ早くも月のいづの海原」。

【主な派生歌】
紀の海の南のはての空見れば汐けにくもる秋の夜の月(上田秋成)

伊豆国熱海にて詠める歌 反歌(長歌略)

伊豆の海のかつをつり船さちをおほみゆくらゆくらに漕ぎかへる見ゆ

【通釈】伊豆の海の鰹を釣る船は、獲物の多さに、ゆらゆらと揺れながら漕ぎ帰ってゆくのが見える。

【補記】温泉豊富で海の幸に恵まれた熱海の地を誉め讃える長歌に添えた反歌二首の二首目。一首目は「神の代の昔よりしも在りかよふたぎつ走り湯の音のさやけさ」。枝直には海眺望の歌が多く、他にも「夕なぎに海人の釣舟幸ありて真間の入江にこぎかへる見ゆ」、「時津風吹きにけらしな真帆あげてとしまの江どに舟ぞ寄りくる」など万葉調の佳詠が見える。

【参考歌】大伴家持「万葉集」
あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小舟榜ぎ隠る見ゆ


公開日:平成18年07月07日
最終更新日:平成21年01月05日