永福門院右衛門督 えいふくもんいんのえもんのかみ 生没年未詳

伝未詳。永福門院に最晩年まで近侍した。院の崩後も北山付近に住む(竹むきが記)。玉葉集の章義門院小兵衛督と同一人かとも言う。
康永二年(1343)の五十四番詩歌合、同年冬以前の院六首歌合(内裏九十六番歌合)など、後期京極派の歌合に出詠。貞和百首に詠進。風雅集初出。勅撰入集は十二首。

伏見院、花のころ所々に御幸ありて御覧ぜられけるに、嵯峨にてよみ侍りける

ながめのこす花の梢もあらし山風よりさきに尋ねつるかな(風雅167)

【通釈】もはや眺め残した花の梢もないでしょう。嵐山を、風よりも先に尋ねたことでしたねえ。

【補記】「あらし山」に「あらじ」を掛ける。

【参考歌】源氏物語「若紫」
宮人に行きて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく

題しらず

夢かなほみだれそめぬる朝寝髪またかきやらん末もしらねば(風雅1022)

【通釈】昨夜の逢瀬はやはり夢だったのか。朝寝して起きたばかりの髪が乱れているように、私は千々に思い乱れてしまう――再び逢ったあの人が私の髪を掻き遣ってくれるのはいつになるのか、分かりはしないので。

【補記】「みだれ」に髪が乱れる意と思い乱れる意を掛ける。「末」は「将来」の意だが、髪の縁語として「髪の先端」の意も響く。

【参考歌】和泉式部「後拾遺集」
黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき

恋涙といふ事を

そのゆくへきけば涙ぞ先づおつるうさ恋しさも思ひわかねど(風雅1195)

【通釈】恋人のその後の消息を聞けば、涙が真っ先に落ちてしまう。あの人を恨んでいるのかまだ慕っているのか、心は区別がつかないのだけれど。

【参考歌】京極為兼「玉葉集」
さらにまたつつみまさるときくからにうさ恋しさも言はずなる比

永福門院御忌のころすぎて、かたがたにちるあはれなど、宣光門院新右衛門督もとへ申しけるついでに

わかれにしそのちりぢりの木のもとにのこる一葉もあらし吹くなり(風雅2037)

【通釈】散り散りに別れてしまったその木のもとに、たった一枚残っていた葉も、嵐で吹き飛ばされてしまいます。亡き永福門院に仕えていた者たちが散り散りになったあと、私一人は残っていたけれど、これ以上は住んでいられなくなりました。

【補記】宣光門院新右衛門督は花園院の妃正親町実子に仕えた女房で、作者にとっては京極派の歌仲間であった。永福門院の崩御は康永元年(1342)五月七日。『竹むきが記』には四十九日の後「右衛門局ばかりは殿上の局かはらず残り住みつつ、後にはこのわたりなる里に住み移りて、昔を偲び奉るさまなり」とあり、当詠と符合する。


最終更新日:平成14年12月12日