紀貫之 きのつらゆき 872?〜945? 千人万首

 35 人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける

 ひとはいさ こころもしらす ふるさとは はなそむかしの かににほひける

【私解】住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。(人の心はうつろいやすいとしても、花は以前と変らぬ様で私を迎え入れてくれるのだ。)

【語釈】◇人はいさ 人はさあどうか。古今集の詞書によれば、この「人」は作者が宿った「家のあるじ」を指しているが、詞書を離れて読めば、「花」に対する「人」一般と取ることができる。◇ふるさと 古い馴染みの里。◇花 古今集の詞書によれば梅の花。詞書を伴わない百人一首の歌としては、必ずしも梅と取る必要がなく、「人の心」に対する「花」一般として読める。

【出典】古今集巻一(春上)「初瀬にまうづるごとに、やどりける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになんやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる つらゆき」
【主な他出文献】「貫之集」、「定家八代抄」「詠歌大概」、「平家物語」、「源平盛衰記」

【作者・配列】紀貫之作者は古今集の撰者にして代表的歌人。というより、古来人麻呂と評価を競ったほどの、和歌史上最大の歌人の一人である。三代集(古今・後撰・拾遺)すべて最多入集歌人。古今集仮名序や『土左日記』など優れた散文作品も残し、日本文学史に占める地位は比類ないものである。しかし定家は歌論『近代秀歌』で「哥心たくみに、たけをよびがたく、詞つよく、姿おもしろきさまを好て、餘情妖艶の躰をよまず」と賞讃しつつ批判して、同書の秀歌例に貫之の歌を一首しか採らなかった(比して俊成は六首、西行は五首)。
 百人一首では35番目に置かれ、古今集時代の最後に近く位置を占める。百人秀歌では28番目に置かれ、27番文屋康秀「ふくからに秋の草木の…」と対になっている。「しをれる秋の草木」と「昔の香ににほふ花」との対比であろう。
【他の代表歌】
 しらつゆも時雨もいたくもる山はしたばのこらず色づきにけり(古今集)
 むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな(〃)
 吉野河いは浪みたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし(〃)
 桜ちる木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける(拾遺集)
 あふさかの関のし水に影見えて今やひくらむもち月のこま(〃)
 思ひかねいもがりゆけば冬の夜の河風さむみちどりなくなり(〃)

【覚書】

【主な派生歌】
君こひて世をふる宿の梅の花昔の香にぞ猶匂ひける(読人不知「続後撰」)
すむ人もうつればかはる古郷の昔ににほふ窓の梅かな(藤原家隆)
花の香も風こそよもにさそふらめ心もしらぬ古里の春(藤原定家)
ちりぬればとふ人もなし故郷ははなぞむかしのあるじなりける(源実朝)
里はあれて春はいく世かかすむらん花ぞむかしのしがの古郷(藤原行能)
人はいさ心もしらずとばかりににほひ忘れぬ宿の梅がか(正徹)
ことの葉の花ぞ昔の春に猶にほふはつせのさとの梅が香(三条西実隆)
にほひをば風こそおくれ人はいさ心もしらぬ宿の梅が枝(足利義尚)
人はいさ心もしらず我はただいつも今夜の月をしぞおもふ(松永貞徳)



最終更新日:平成14年4月23日

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