13 つくばねの峰よりおつるみなの川こひぞつもりて淵となりける
つくはねの みねよりおつる みなのかは こひそつもりて ふちとなりける
【私解】筑波山の頂から流れ落ちる、みなの川――その名のごとく、蜷(みな)が棲むような泥水が積もって、深い淵となったのだ。そのように私の恋心も積もり積もって、淵のように深く淀む思いになってしまった。
【語釈】◇みなの川 筑波山から流れ出、桜川に合流して霞ヶ浦に注ぐ小川。後世、男女二峰を有する山に因んで「男女の川」とも書かれる。「みな」は「蜷」(泥中に棲むタニシなど小巻貝の類)と同音なので、そこから次句の「こひぢ」(泥濘)と同音を持つ「こひ」を導く序となる。◇こひぞつもりて 恋心が積もって。「こひ」は「泥(こひぢ)」を連想させるため、「泥濘が積み重なって」の意を兼ねる。◇淵となりける 「淵」は水が淀んで深くなっているところ。ふつう「瀬」(流れが早くて浅いところ)の対語。「泥水が積もり積もって深い淀みとなった」、「恋が積もり積もって、淵のように深く淀む思いになってしまった」の両義。なお、百人一首カルタはふつう結句を「淵となりぬる」とするが、後撰集の諸本や百人一首の古注本などは「ける」で、本来は「ける」であったと思われる。
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【ゆかりの地】筑波山 和歌では「筑波嶺(つくばね)」と称されることが多い。関東の名山。男女二峰を有し、「かがひ」(歌垣)の山として名高かったことから、平安時代の和歌ではもっぱら「恋の山」として詠まれた。歌枕紀行参照。
【出典】後撰集巻十一(恋三)「つりどののみこにつかはしける 陽成院御製」
【主な他出文献】「古今和歌六帖」「定家八代抄」
【作者・配列】
作者は第五十七代天皇。父は清和天皇、母は古今集に「鴬の氷れる涙」の名歌を残す藤原高子。諱(いみな)を貞明親王と言い、貞観十八年(867)、父の譲位をうけて九歳で践祚したが、元慶四年(880)、父上皇が崩御すると、摂政藤原基経と母高子が対立し、朝政は混乱、結局元慶八年(884)、退位に追い込まれた。この直前に、清涼殿で源益が殺害される事件が起こり、陽成天皇が殴殺したとの風聞があったらしい(『尊卑分脉』『玉葉』など)。陽成天皇の譲位によって文徳天皇の直系皇統は断絶し、15光孝天皇が即位する。退位後は歌合を催すなど風雅の暮らしを送ったが、御製は本作以外一首も伝わっていない。なお子の20元良親王も名高い歌人で、百人一首に採られている。
百人秀歌では12番目に位置し、11番藤原敏行歌「住の江の…」と対になる。ともに悲恋の情を詠み、暗冥としたムードを漂わせる歌である。「すみの江」(澄んだ入江)と「みな(蜷)の川、淵」(泥水の澱んだ淵)という澄濁の対照もある。なお、偶数番にはまたもや山(つくばね)が詠み込まれている。
【他の代表歌】
なし。
【覚書】
【主な派生歌】
たまさかに逢瀬はなくてみなの川涙の淵に沈む恋かな(京極関白家肥後)
小初瀬の花のさかりやみなの河峰よりおつる水の白波(藤原清輔「新後拾遺」)
袖のうへも恋ぞつもりてふちとなる人をば見ねのよそのたぎつせ(藤原定家)
みなの河岸よりおつる桜花にほひのふちのえやはせかるる(〃)
つくばねの嶺の桜やみなの河ながれて淵と散りつもるらん(飛鳥井雅有「続拾遺」)
みなの河ふちにはよらじつくばねの峰より落つる雁の一つら(正徹)