忘れ草 萱草(かんぞう/くわんざう)Daylily

野萱草 鎌倉市宝戒寺にて
野萱草(ノカンゾウ) 鎌倉市宝戒寺にて

和歌に「忘れ草」と詠まれているのは、ユリ科の萱草(かんぞう)。藪萱草(ヤブカンゾウ)・野萱草(ノカンゾウ)など幾種類かある。夏、百合に似た橙色の花を咲かせる。英名"daylily"は一日花ゆえ。若葉は美味で食され、根は生薬となる。歌に詠まれたのは花でなくもっぱら草葉である。

忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

藪萱草の若葉 鎌倉収玄寺にて
忘れ草の若葉
万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在って、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌。
漢土で「忘憂草」すなわち「憂いを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かった故か、あるいは根から採った生薬の効用か。それはともかく、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでいる。紐に付けるとは、いわば魂に結びつける擬態だろう。

忘れ草我が下紐に付けたれど(しこ)醜草(しこぐさ)(こと)にしありけり

万葉集巻四、大伴家持。数年間の離絶を経て、再び文通を始めた頃、従妹で将来の妻坂上(さかのうえの)大嬢(おおいらつめ)に贈った歌。「恋を忘れるという忘れ草を下着の紐に着けたけれど、馬鹿草め、言葉だけのものでしたよ」。

平安時代の歌を見ると、やはり「恋を忘れる草」には違いないが、少しニュアンスが異ってくる。藤原兼輔の作に、

かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり

とあり、そばに置いて眺めるだけで憂いを忘れる草に変わっているのだ。また同じ頃には住吉の海辺が忘れ草の名所となっていて、紀貫之は

道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草

と、長途の旅をも厭わずこの草を摘みに行きたいと歌った(古今集墨滅歌)。この「恋忘れ草」はおそらく浜萱草(ハマカンゾウ)だろう。

藪萱草
藪萱草の花
一般にワスレグサと呼ばれるのは薮萱草で、文字通り薮陰などでよく見かける。黄色の条が入った色合は野萱草と同じで美しいが、重弁で、ちよつとゴテゴテした、くどい感じのする花だ。対して一重の野萱草や浜萱草は涼やかで、見入るうちに本当に憂いも忘れてしまいそうだ。

因みに忘れ草と正反対の名を持つ「忘れな草」はヨーロッパ原産のムラサキ科の多年草。淡い青紫色の可憐な花をつけるが、古典和歌には詠まれていない。

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  『小町集』 小野小町
わすれ草我が身につまんと思ひしは人の心におふるなりけり

  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
恋ふれども逢ふ夜のなきは忘れ草夢ぢにさへやおひしげるらむ

  『古今集』(詞書略) 素性法師
忘れ草なにをか種と思ひしはつれなき人の心なりけり

  『古今集』(詞書略) 壬生忠岑
すみよしと海人は告ぐとも長居すな人忘れ草生ふといふなり

  『貫之集』(わすれぐさ) 紀貫之
うちしのびいざすみの江に忘れ草忘れし人のまたや摘まぬと

  『後撰集』(詞書略) *紀長谷雄
我がためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば

  『拾遺集』(詞書略) よみ人しらず
わが宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな

  『後拾遺集』(住吉に参りてよみ侍りける) *平棟仲
忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたのよは思ひ出もなし

  『金葉集』(恋歌よみけるところにてよめる) 源俊頼
忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきよりおふるなりけり

  『拾遺愚草』(恋) 藤原定家
下紐のゆふ手もたゆきかひもなし忘るる草を君やつけけん

  『夫木和歌抄』(嘉元元年百首、不逢恋) 冷泉為相
下紐につけたる草は名のみして心にかれぬ人の面影

  『亜槐集』(切恋) 飛鳥井雅親
つまばやな忘れははてぬ忘れ草やすめて心またつくすとも

  『晩花集』(恋の歌とて) *下河辺長流
我がためは摘むも拾ふもしるしなき恋忘れ草恋忘れ貝

  『丘陵地』 窪田空穂
萱草(くわんざう)よげに忘れ草うつくしき一日花(いちにちばな)のこの(あと)なさよ

  『恋衣』 山川登美子
それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ

  『赤光』 斎藤茂吉
(くわん)ざうの小さき(もえ)を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ
萱草(くわんざう)をかなしと見つる眼にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ

  『あらたま』 斎藤茂吉
萱草(くわんざう)を見ればうつくしはつはつに芽ぐみそめたるこの小草(をぐさ)あはれ

  『秋天瑠璃』 斎藤史
思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし

  『玉菨鎮石』 山中智恵子
忘れぐさわれらの草と呼ぶときの青きそよぎをともに忘れむ


公開日:平成22年08月05日
最終更新日:平成22年08月05日