和歌に「忘れ草」と詠まれているのは、ユリ科の
忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
忘れ草の若葉 |
忘れ草我が下紐に付けたれど
醜 の醜草 言 にしありけり
万葉集巻四、大伴家持。数年間の離絶を経て、再び文通を始めた頃、従妹で将来の妻
平安時代の歌を見ると、やはり「恋を忘れる草」には違いないが、少しニュアンスが異ってくる。藤原兼輔の作に、
かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり
とあり、そばに置いて眺めるだけで憂いを忘れる草に変わっているのだ。また同じ頃には住吉の海辺が忘れ草の名所となっていて、紀貫之は
道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草
と、長途の旅をも厭わずこの草を摘みに行きたいと歌った(古今集墨滅歌)。この「恋忘れ草」はおそらく浜萱草(ハマカンゾウ)だろう。
藪萱草の花 |
因みに忘れ草と正反対の名を持つ「忘れな草」はヨーロッパ原産のムラサキ科の多年草。淡い青紫色の可憐な花をつけるが、古典和歌には詠まれていない。
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『小町集』 小野小町
わすれ草我が身につまんと思ひしは人の心におふるなりけり
『古今集』(題しらず) よみ人しらず
恋ふれども逢ふ夜のなきは忘れ草夢ぢにさへやおひしげるらむ
『古今集』(詞書略) 素性法師
忘れ草なにをか種と思ひしはつれなき人の心なりけり
『古今集』(詞書略) 壬生忠岑
すみよしと海人は告ぐとも長居すな人忘れ草生ふといふなり
『貫之集』(わすれぐさ) 紀貫之
うちしのびいざすみの江に忘れ草忘れし人のまたや摘まぬと
『後撰集』(詞書略) *紀長谷雄
我がためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば
『拾遺集』(詞書略) よみ人しらず
わが宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな
『後拾遺集』(住吉に参りてよみ侍りける) *平棟仲
忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたのよは思ひ出もなし
『金葉集』(恋歌よみけるところにてよめる) 源俊頼
忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきよりおふるなりけり
『拾遺愚草』(恋) 藤原定家
下紐のゆふ手もたゆきかひもなし忘るる草を君やつけけん
『夫木和歌抄』(嘉元元年百首、不逢恋) 冷泉為相
下紐につけたる草は名のみして心にかれぬ人の面影
『亜槐集』(切恋) 飛鳥井雅親
つまばやな忘れははてぬ忘れ草やすめて心またつくすとも
『晩花集』(恋の歌とて) *下河辺長流
我がためは摘むも拾ふもしるしなき恋忘れ草恋忘れ貝
『丘陵地』 窪田空穂
『恋衣』 山川登美子
それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
『赤光』 斎藤茂吉
『あらたま』 斎藤茂吉
『秋天瑠璃』 斎藤史
思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし
『玉菨鎮石』 山中智恵子
忘れぐさわれらの草と呼ぶときの青きそよぎをともに忘れむ
公開日:平成22年08月05日
最終更新日:平成22年08月05日