吾亦紅は吾木香とも書く(この場合字音仮名遣がワレモカウとなる)。日本の山野に普通に見られるバラ科の多年草。シベリアやヨーロッパにまで広く分布しているそうだ。夏の終わり、細い茎が枝分かれして伸びた先に小指の先ほどの可憐な花穂をつけ、秋の深まりと共に紅を濃くしてゆく。生け花に好まれ、お月見では薄などと一緒に供えられることが多い。
愛嬌も風情も感じられる植物なのだが、どうしたものか古典和歌に詠まれること稀であった。なかで印象に残るのは、室町時代の姉小路基綱の家集『卑懐集』に収録された一首、
迎不遂恋
袖の色も人はことなる吾亦紅かれゆく野べに猶やしをれむ
花の名は「我も紅」なのに、「袖の色も人はことなる」――私と恋人とでは違っている、自分の袖ばかりが血涙で染まっている、と言うのであろう。「枯れゆく」には「離(か)れゆく」が掛かり、野に打ち捨てられた吾亦紅の姿に、恋人に去られた我が身が重なる。きわめて婉曲な象徴的技法も珍しい歌である。
近代短歌ではもはや珍しい題材ではなくなる。著名なのはやはり若山牧水の
吾木香 すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ
であろう。明治四十三年(1910)刊の第三歌集『別離』より。
「君」は恋人か友人か、いずれにしても「さびしききはみ」を知ってほしい相手(伝記的事実としては、牧水若き日の恋人、園田小枝子を指すらしい)。まことに侘しげな趣の三種の秋草であるが、吾木香の紅にはひそやかな熱い思いが籠められているのかもしれない。
上の写真は鎌倉長谷寺の庭園にて。九月半ば、花穂の上の方から赤紫に色付き始めた頃。下は同じく鎌倉の浄妙寺にて。こちらは九月も終る頃、女郎花などと共に供えられていた吾亦紅。
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『狭衣物語』
武蔵野の霜枯に見しわれもかう秋しも劣る匂ひなりけり
『久安百首』 藤原季通
野辺ごとに人もゆるさぬ吾亦紅こやいまやうのむさのことくさ
『久安百首』 待賢門院安芸
なけやなけ尾花かれ葉のきりぎりす我もかうこそ秋はをしけれ
『瑠璃光』 与謝野晶子
あるが中に恋の涙のわれもかうわれの涙の野のわれもかう
『秋天瑠璃』 斎藤史
人を瞬(またた)かすほどの歌なく秋の来て痩吾亦紅 それでも咲くか
『桜花伝承』 馬場あき子
大江山桔梗刈萱吾亦紅 君がわか死われを老いしむ
公開日:平成18年1月9日
最終更新日:平成18年9月3日