うなぎ/むなぎ Eel

鎌倉峰本の鰻重

土用の丑に鰻を食べる風習は、江戸時代、平賀源内(1728-1780)が鰻屋に請われて考案した宣伝文句に発祥するとの説が流布している。その真偽はともかく、夏負けの特効薬に鰻を食べる習いが古くからあったことは、万葉集の大伴家持の歌からも窺える。

石麿(いはまろ)に我物申す夏痩せによしといふ物ぞ(むなぎ)取り()

痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を取ると河に流るな

一首目で「夏痩せに効くというものだ、鰻を捕ってお食べなさい」と真面目くさって忠告したかと思えば、二首目では「いくら痩せていたって、命あらばこそ。よもや、鰻を捕りに行って川で流されたりするでないぞ」と茶化しのめす。左注では石麿につき「人と為り身軆甚く痩せたり。多く喫飲すれども、形飢饉に似たり」と非道い書かれよう。家持の同僚か部下か、親しいゆえの戯れではあろう。

食物に関して殊に禁欲的だった王朝和歌では絶えて作例を見ないが、近代、鰻を大層好んだ大歌人が登場する。

あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月おし照れり

斎藤茂吉の『暁紅』より昭和十一年(1936)の作。旨い鰻を食ったあとの満足感が、冴え渡る月明かりに祝福されているかのようだ。東京渋谷の歓楽街「道玄坂」という地名もここでは妙なほど詩趣に富み、下句の万葉調は作者の恍惚たる境地を偲ばせる。大袈裟に言えば、食の歓びが崇高な美しさにまで高められた作とさえ言えるのではないか。茂吉は健啖家であったが決してグルメでなく、むしろ粗食の人と言えるが、鰻だけは格別の嗜好品だったようで、一年中食っていた(掲出歌は実は夏でなく冬の歌である)。中年以後の作に鰻はたびたび現われ、『茂吉と鰻』と題した論文もある程だ。

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  『小園』 斎藤茂吉
これまでに吾に食はれし鰻らは仏となりてかがよふらむか

  『密閉部落』 斎藤史
情緒過剰の人といささかずれてゐて我はうなぎを食はむと思ふ

  『人生の視える場所』 岡井隆
ふたすぢの鰻を割(さ)きて食はむとすうとくなりゆく斎藤茂吉


公開日:平成17年12月18日
最終更新日:平成22年04月26日

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