早蕨 さわらび Young bracken

早蕨 鎌倉市二階堂にて

啓蟄も過ぎたうららかな日、山に入ってみると、道端の崖地に早蕨が萌え出ていた。茎の生毛が春の光に輝いて美しい。

『万葉集』 志貴皇子の(よろこび)の御歌一首

(いは)ばしる垂水(たるみ)のうへの早蕨の萌え出づる春になりにけるかも

(いは)ばしる」は水が石に当たってしぶきをあげる様。「垂水のうへ」は「滝のほとり」の意。「垂水のうへの早蕨の」と畳みかける勢いのある調べが、ほとばしる春の生命のよろこびを歌い上げている。

蕨は山、野、谷、至るところに見られる羊歯植物。萌え出て間もないものを「さわらび」「うちわらび」「したわらび」「かぎわらび」などと言い、また初物を「初わらび」と言った。
さわらびは「早蕨」と書くのが普通になっているが、元来「さ」に「早」の意は無い。田に移し変える頃の苗を「さ苗」と言い、神を降す神聖な場所を「さ庭」と呼ぶように、この「さ」は聖なるものに讃美や畏敬の心をこめて冠した接頭語のようだ。
やがて1メートル近くまで伸びる葉の生命力を小さな芽のうちに詰め込んだ若い蕨は、春の聖なる食物でもあった。平安時代、貴族たちも蕨狩を楽しんだことが数多の和歌によって知られる。

『堀河百首』 早蕨 祐子内親王家紀伊

まだきにぞ摘みに来にけるはるばると今もえ出づる野べのさわらび

遥々と摘みにやって来たところが、野辺の蕨は今しも萌え出たばかりであった、という歌。「まだきに」に蕨摘みを待ちきれない心が籠もり、また「はるばると」には「春」が重ねられて、いよいよ盛春を迎える心の躍動が感じられる。
早蕨が萌え出る頃には菫の花も咲き始め、菜の花は真盛り、鶯は里に出て鳴き、桜の花芽もふくらんでいる。早蕨はその赤子のような小さなこぶしのうちに、すべての春の喜びを握り締めているかのようだ。

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  『源氏物語・早蕨』 中の君
この春はたれにか見せむなき人のかたみにつめる峰のさわらび

  『夫木和歌抄』 小式部内侍
さわらびのもえ出づる春の夕暮は霞のうへに煙立ちけり

  『金葉集』(奈良にて人々百首歌よみ侍りけるに早蕨をよめる) 永縁
山里は野辺のさわらびもえいづる折にのみこそ人はとひけれ

  『堀河百首』(早蕨) 源俊頼
春くれど折る人もなき早蕨はいつかほどろとならむとすらん

  『堀河百首』(早蕨) 藤原公実
春日野の草葉は焼くと見えなくに下もえわたる春の早蕨

  『夫木和歌抄』(早蕨) 源仲正
鍬たてて掘り求めせしうちわらび春はおほ野にもえ出でにけり

  『源三位頼政集』(折蕨遇友) *源頼政
めづらしき人にも遇ひぬ早蕨の折らまく我も野辺に来にけり

  『山家集』(早蕨) 西行法師
なほざりに焼き捨てし野のさわらびは折る人なくてほどろとやなる

  『壬二集』(早蕨) 藤原家隆
つま木には野辺のさわらび折りそへて春の夕にかへる山人

  『拾遺愚草』(早蕨) 藤原定家
いはそそぐ清水も春の声たてて打ちてや出づる谷の早蕨

  『遠島百首』 後鳥羽院
もえ出づる峰のさわらび雪きえて折すぎにける春ぞ知らるる

  『新千載集』(題しらず) 亀山院
焼きすてし煙の末の立ちかへり春はもえ出づる野べの早蕨

  『尭孝法印集』(早蕨未遍) 尭孝
雪きゆる垂水のうへはもえ()めてまだ春しらぬ谷のさわらび

  『春夢草』(早蕨) 肖柏
雉子(きぎす)なく嶺のさわらびそことなく袖ふれて行く春の日ぐらし

  『雪玉集』(暮采山上蕨) 三条西実隆
なれにける山路はかへる程もあらじ夕日に折らん嶺のさわらび

  『晩花集』(わらび) *下河辺長流
おもふ人すむとはなしに早蕨のをりなつかしき山のべの里

  『巴人集』 四方赤良
早蕨のにぎりこぶしをふりあげて山の横つらはる風ぞ吹く

  『草径集』(春夢) *大隈言道
まどろめば野をちかづけて枕べにあるここちする菫さわらび

  『ともしび』 斎藤茂吉
あづさゆみ春ふけがたになりぬればみじかき蕨朝な()な食ふ


公開日:平成22年05月01日
最終更新日:平成22年05月01日

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