おうぎ(あふぎ) Fan, Folding-fan

もとより扇は夏の風物で、「あふぎの風」に涼感を誘う夏歌は数え切れない。しかし私が真っ先に思い出す扇の歌と言えば、秋、使われなくなった扇を詠んだ歌なのだ。

『新古今集』  百首歌に  式子内親王

うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋の初風

明け方、涼風を感じて短い眠りから目を醒ます。夏の間なら、床の辺の侍女が扇をあおいで風を送っていただろう。身体に馴れたその扇の風が、今や秋の初風に変わった――その趣の違いを袖に感じている歌。
「ならす」は「馴らす」であろうが、おそらく「鳴らす(ハタハタと音を立てて扇ぐ)」意を掛けているのだろう。なお「ならす扇の秋の初風」は「ならす扇が秋の初風(に変わった)」の意。なんとまあ婉曲優雅な、巧緻を極めた詞遣いだろう。扇という繊細な工芸品で以て手弱女の腕が送る風もまた、季節の味わい深い情趣であったことが偲ばれる。

ところでこの歌には先蹤があって、新古今集では式子内親王の歌の次に置かれている、相模の歌である。

『新古今集』  題しらず  相模

手もたゆくならす扇のおきどころ忘るばかりに秋風ぞふく

「手がだるくなるまで使い親しんだ扇――その置き所を忘れてしまうほど、近頃は秋風が涼しく吹いているのだ」という歌。こちらは庶民的に自分で扇いでいたようだが、「手もたゆく」と言い、「おきどころ、忘るばかりに」と言い、生き生きとした実感があって共感を呼ぶ。今で言えばエアコンや扇風機の「リモコンのおきどころ」か。秋ならずともしょっちゅう置き場所を忘れてしまうのは私だけではあるまい。

因みに平安〜鎌倉時代頃は「中世温暖期」と呼ばれる全地球的に暖い時代で、「地球温暖化」の危機が叫ばれる現在と比べても平均気温が高かったらしい。扇の風でしのいだ夏の厳しさ、そして秋風のどれほど切望されたかが思い遣られる。

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  『新古今集』 (延喜御時、月次屏風に) 壬生忠岑
夏はつるあふぎと秋の白露といづれかまづはおかむとすらむ

  『拾遺集』 (詞書略) 中務
あまの川かは辺すずしきたなばたに扇の風をなほやかさまし

  『拾遺集』 (詞書略) 清原元輔
天の川あふぎの風に霧はれて空すみわたるかささぎの橋

  『新後拾遺集』 (扇をよめる) 大中臣頼基
うちもともみえぬ扇の程なきに涼しき風をいかでこめけん

  『後拾遺』 (扇の歌よみ侍りけるに) 藤原為頼
おほかたの秋くるからに身にちかくならす扇の風ぞかはれる

  『拾遺愚草員外』 (夏) 藤原定家
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば

  『秋篠月清集』 (扇) 九条良経
手にならす夏の扇とおもへどもただ秋風のすみかなりけり

  『続拾遺集』 (宝治百首歌奉りける時、夏月) 藻璧門院但馬
手にならす扇の風も忘られて閨もる月の影ぞすずしき

  『藤葉集』 (扇風秋近といへることを) 二条為子
まだきより秋のやどりやしりぬらん涼しき風をさそふ扇は

  『松下集』 (僅見恋) 正広
車よりおりつる人よ眉ばかり扇のつまにすこし見えぬる

  『挙白集』 (月下納涼) 木下長嘯子
手にならす天つ乙女の扇かとみれば涼しき月の下風

  『祇園歌集』 吉井勇
あでやかに君がつかへる扇より祇園月夜となりにけらしな

  『星醒記』 山中智恵子
きみなくて今年の扇さびしかり白き扇はなかぞらに捨つ


公開日:平成17年12月22日
最終更新日:平成18年2月26日

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