都忘れ みやこわすれ 学名:Gymnaster savatieri

都忘れ 鎌倉市二階堂にて

キク科シオン属。日本原産の深山嫁菜(ミヤマヨメナ)の園芸品種。晩春から初夏にかけ、薄紫や青紫、白などの花をつける。径三センチ程の小さな花だ。
名の由来は、承久の変で佐渡に流された順徳上皇が配所で詠んだと伝わる歌に因む。

いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し

佐渡に伝わる伝説によれば、順徳上皇は小さな菊を御所の周辺に植え、愛でていた。もとより菊の花は皇室のシンボルで、ことに後鳥羽上皇が白菊を好んだことはよく知られている。配流の島で、父帝が愛した白菊に似た花を「都忘れ」と名付けて愛着することを、いかなる因果の巡り合わせか、と嘆息している歌であろう。

「都忘れ」の名は戦国時代の山科言継の日記『言継卿記』の元亀二年(1571)十月条に見える由であるが、いま都忘れと呼ばれている植物は江戸時代以降に作られた園芸品種である。順徳上皇が見たのは別の花だったことになり、一説に東菊(あずまぎく)――キク科ヒメジョオン属の植物で、都忘れによく似た薄紫の花をつける――であろうとも言う。

順徳上皇は在島二十一年、歌道と仏道に打ち込む歳月を過ごしたが、仁治三年(1242)九月十二日、四十六歳の若さで崩御した。『平戸記』の同年十月十日条には「御帰京事思食絶之故云々」とあり、都恋しさに耐えきれず、絶食の果ての自殺と伝わる。可憐な花も上皇の憂憤を晴らすことはできなかったのだ。

**************

  「村荘詠草」 会津八一
この花のしろきをみれば都をも世をも忘るとめでし君はも

  『独石馬』 宮柊二
通りゆく猫とどまりて都忘れの花嗅ぎたるは何故なりし

  『都わすれ』 岩波香代子
都忘れ紫にほふ花かげに恋ふる人さへ淡くなりつる


公開日:平成18年1月16日
最終更新日:平成27年8月2日

thanks!