小春 こはる Indian summer

小春空と紅葉 鎌倉市二階堂にて

暦は冬に入り、いよいよ寒さも増すかと身構える頃、意表を突くように春を思わせる穏やかな陽気が続くことがある。これを小春日とか小春日和とか言う。小春(こはる)は漢語「小春(しょうしゅん)」から来た語であろう。陰暦十月すなわち神無月の異称でもある。

万葉集にも王朝和歌にも「小春」「こはる」の語は見えないが、平安後期頃から、初冬における春のような暖かさを主題とした歌がちらほら見え始める。江南(揚子江以南の地)の小春(しょうしゅん)を詠んだ白居易の詩「早冬」からの影響であった。

十月江南天氣好  十月 江南 天気(ことむな)
可憐冬景似春華  (あはれ)むべし 冬の(かげ)の春に似て(うるは)しきことを

この二句が『和漢朗詠集』に採られたことで、文人たちの愛誦するところとなったのである。

『拾遺愚草員外』 藤原定家

この里は冬おく霜のかろければ草の若葉ぞ春の色なる

冬になって草に霜が置いたが、それも陽気のせいで軽く、若葉が春の色をしている、という歌。上記白氏の二句を題として詠まれた歌である。「霜のかろければ」は白氏の同じ詩にある句「霜輕未殺萋萋草(霜は軽く 未だ()らさず 萋萋(せいせい)たる草)」に依っている。

「小春」の語は『徒然草』に見えるので中世には流通していたようである。和歌によく使われるようになるのは近世になってからのことで、おそらく俳諧の影響があったのではないかと思われる。芭蕉には「月の鏡小春にみるや目正月」、蕪村には「小春凪真帆も七合五勺かな」の句がある。
蕪村とほぼ同時代の歌人、紀州の大奥に勤めた鵜殿余野子(1729?〜1788)の小春詠を見てみよう。

『佐保川』(詞書略) *鵜殿余野子

火影(ほかげ)にも小春てふ名は隠れねどはつかに匂ふ夜の梅が香

神無月二十日の夜、瓶に植えた梅の花が咲いたのを見て詠んだという歌。「暖炉の火影によって、まことの春ならぬ《小春》という名は隠れもないが、梅の香はかすかに匂っている」。屋内の暖かさに梅も春かと勘違いしたのだろう。躑躅や山吹が狂い咲きしたり、鶯が時ならぬ美声を聞かせてくれたりするのも、小春にあっては珍しいことではない。

わが国の比較的温暖な土地では小春と紅葉の最盛期が重なることも多く、絶好の行楽シーズンとなる。しかし暖かい日和がいつまでも続くわけはなく、ある朝氷雨が葉を落とし、凩が葉を攫ってゆく。冬は歩みを止めたわけではなかったのだ。

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  『祇園百首』(時雨) 藤原俊成
神な月しぐるるものを冬かけて春に似たりと誰か言ひけん

  『拾遺愚草』(正治二年毎月哥めされし時、初冬) 藤原定家
このごろの冬の日かずの春ならば谷の雪げに鶯の声

  『拾遺愚草員外』(詠四十七首和歌 冬) 藤原定家
江の南若葉の草もみどりにて春のかげなる神無月かな

  『芳雲集』(十月江南天気好) 武者小路実陰
神無月はるの光か晴るる江の南にめぐる空の日影も
冬来ぬと誰かはわかん江の南雲もしぐれぬこの頃の空

  『蜀山家集』(小春) 蜀山人
朝めしと昼げの間みじかくて腹も小春の空の長閑さ

  『浦のしほ貝』(河崎のあたりものして) 熊谷直好
かへり咲く花もありやとたづねみん小春のどけき桜野の宮

  『大江戸倭歌集』(冬人事) 吾鬘
浦遠くかすむ小春の朝なぎにきす釣る小舟沖にこぐみゆ

  『長塚節歌集』(秋冬雑咏) 長塚節
小春日の鍋の炭掻き洗ひ干す(かき)をめぐりて咲く黄菊の花

  『みかんの木』(小春日和) 木下利玄
小春日和紅葉の染めし庭はたゞ小鳥来てゐる囀りばかり


公開日:平成21年12月7日
最終更新日:平成24年02月06日

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