日本人にとって、萩はさまざまな意味で象徴性の豊かな植物であった。万葉集で一番多く詠まれた植物であるのも当然と思われる。
まず、萩の開花期は、稲・粟・稗などの収穫期に重なる。豊かに咲きこぼれる萩の花は、豊穣の秋のシンボルであった。
『万葉集』巻十 詠花 作者不明
をとめらに行き逢ひの
早稲 を刈る時になりにけらしも萩の花咲く
また、萩の花は性的な象徴物でもあった。端的に、萩の紅い花びらは女性器の外陰部に似ている。万葉集では萩に「芽子」の字を宛てた例が多いが、これを文字通り訓読みすれば、一部地域における女性生殖器の呼称に重なる。偶然であろうか。
和歌において萩は鹿と取り合わせることが好まれた(「萩と鹿」参照)が、牡鹿の角は男性生殖器の象徴にほかならない。
『秋篠月清集』 院第二度百首 秋 藤原良経
さを鹿の啼きそめしより宮城野の萩の下露おかぬ日ぞなき
性的な象徴というのは、つまりは豊かな生産力の象徴ということだ。思うに、日本人の萩に対する親愛の情は万葉の時代を遠く遠く溯るに違いない。
ところで萩は古い枝に花をつけず、春に新しく伸びた枝にだけ花をつける。そのため、翌秋も花を賞美したいのであれば、冬のうちにばっさり枝を剪定してしまう必要がある。翌春、古株からは芽が盛んに吹き出る。萩に「芽」「芽子」の字を宛てた所以だ。
かつては春先に萩原を焼き払うならわしがあり、「萩の焼け原」を詠んだ和歌が少なからず見える。燻ぶる焼け野原にたくましく蘇る萩の芽は、生命の復活の象徴でもあった。
『瓊玉和歌集』 萩を 宗尊親王
春焼きし其日いつとも知らねども嵯峨野の小萩花さきにけり
園藝品種「江戸絞り」 |
萩の咲く季節は、また秋風の吹き増さる季節だ。嫋々と
『玉葉集』 草花露を 伏見院
なびきかへる花の末より露ちりて萩の葉白き庭の秋風
萩が咲き添うにつれ、日没後の冷え込みは強まり、夜は目立って長くなる。朝夕に置く露が夥しい時節だ。
『拾遺愚草』 花月百首 月 藤原定家
秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露
「秋というと、空に澄みまさる月と約束をしておいて、その光を待ち受け、うつしとる萩の下露よ」。ここでは月と萩の下露が恋人同士に擬えられている。
万葉の時代から、歌人たちは秋風・露・月・雁など秋の代表的風物を萩の花に交錯させて歌に詠むことを繰り返してきた。萩は和歌史を通じて秋の情趣の中心に位置し続けたと言っても過言ではない。萩の豊かな象徴性が、日本人の心の底で生き続けていたのだ。
なお、「
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『万葉集』巻八(大伴宿禰家持の秋の歌)
さを鹿の朝たつ野べの秋萩に玉とみるまでおける白露
『万葉集』巻十(寄露) 作者未詳
秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも
『古今集』(題しらず) よみ人しらず
なきわたる雁の涙やおちつらむ物思ふ宿の萩のうへの露
『古今集』(題しらず) 常康親王
吹きまよふ野風をさむみ秋萩のうつりもゆくか人の心の
『古今集』(題しらず) よみ人しらず
宮城野のもとあらの小萩露をおもみ風を待つごと君をこそ待て
『式子内親王集』 秋
寄せかへる波の花摺り乱れつつしどろにうつす真野の浦萩
『新古今集』(月前草花) 藤原良経
故郷の本あらの小萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ
『玉葉集』 草花露を 京極為兼
露をもる小萩が末はなびきふして吹きかへす風に花ぞ色そふ
『玉葉集』(風の後の草花といふことを) 永福門院
しをりつる風は籬にしづまりて小萩がうへに雨そそぐなり
『続亜槐集』(野萩) 飛鳥井雅親
みだれあふ花より花に露ちりて野原の真萩秋風ぞ吹く
『賀茂翁家集』(ある夕べ) 賀茂真淵
色かはる萩の下葉をながめつつひとりある身となりにけるかも
『亮々遺稿』(萩を) 木下幸文
きのふにも色は変はるとなけれどもまばらになりぬ秋萩の花
『草径集』(初秋) 大隈言道
秋立ちて
『柿園詠草』(詞書略) 加納諸平
『落合直文集』
萩寺の萩おもしろし露の身のおくつきどころ此処と定めむ
『大和』 前川佐美雄
ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ
公開日:平成22年02月日
最終更新日:平成22年02月日