牡丹 ぼたん  Tree-peony

牡丹の花

牡丹は中国原産の落葉小低木。かの国では最も愛され貴ばれてきた、花の王だ。色と言ひ大きさと言ひ、また花弁の豊かさと言ひ、王の尊号も諾なるかなと思ふ。私はこの豪奢さに馴染めず、好きな花ではなかつたが、先年、園藝好きの中学生の姪つ子が庭の空きに苗を植ゑてくれた。我が家のむさ苦しい庭にはやはり不釣合だなと恥ぢる一方、毎年咲くのが楽しみになつてゐる。
この花は万葉集に見えないものの、古代には日本に入つてゐたらしい。平安時代から和歌に詠まれた「深見草(ふかみぐさ)」は、『本草和名』によれば牡丹の別称である。

『拾玉集』 夏  慈円

夏木立庭の野すぢの石のうへにみちて色こき深見草かな

『後水尾院御集』 牡丹

思へどもなほ飽かざりし桜だに忘るばかりの深見草かな

「君をわが思ふ心のふかみぐさ」など、「深し」との掛詞を用ゐた歌が多いのだが、かへつて心は浅く感じられる。上には、掛詞と無縁の歌を二首挙げてみた。

別名「二十日(はつか)草」は、白居易の漢詩「牡丹芳」に拠る。

花開花落二十日  花開き花落つ 二十日(にじふにち)
一城之人皆若狂  一城の人 皆狂へるが(ごと)

牡丹の花 鎌倉市自宅庭
最初の花が咲いてから、最後の花が落ちるまでの二十日間、長安の都人は物の怪に取り憑かれた如くこの花に耽溺したといふ。ちやうど日本人にとつての桜のやうな存在だつたのだらう。

室町時代以後は「ぼうたん」とよんだ歌も散見され、この頃から日本での賞翫も広まつたと言はれる。近世には数多くの和歌が見られるやうになるが、世に博した人気の高さに比べれば、この花を詠んだ歌の数は必ずしも多いとは言へず、秀歌といふほどの歌も見当たらない。どうもこの濃厚な感じが、和歌の体質には合はなかつたのだらうか。江戸中期、天才絵師でもあつた俳諧師によつて鮮やかに切り取られるまで、この花の本領を日本語の詩はつかまへきれなかつたやうに見える。

牡丹(ちり)て打かさなりぬ二三片
閻王(えんわう)の口や牡丹を吐かんとす
ぼたん(きつ)て気のおとろひしゆふべ哉  講談社『蕪村全集』第一巻より

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  『蔵玉集』(名取草) 顕仲(姓不明)
折る人の心なしとや名取草花みる時は(とが)もすくなし

  『詞花集』(…牡丹をよませ給けるによみ侍りける) 藤原忠通
咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて二十日へにけり

  『千載集』(夏に入りて恋まさるといへる心をよめる) 賀茂重保
人しれず思ふ心はふかみぐさ花咲きてこそ色に出でけれ

  『新古今集』(詞書略) 藤原重家
形見とてみれば嘆きのふかみ草なに中々のにほひなるらむ

  『拾玉集』(夏) 慈円
ふかみ草やへのにほひの窓のうちにぬれて色こき夕だちの空

  『壬二集』(建保四年百首 夏) 藤原家隆
むらさきの露さへ野辺のふかみ草たがすみすてし庭のまがきぞ

  『草根集』(牡丹) 正徹
ともに見んことわりあれやもろこしの獅子をえがけばぼうたんの花

  『後十輪院内府集』(牡丹) 中院通村
ふかみ草あかずやけふも紅の花のともし火よるもなほみん

  『梶の葉』(牡丹を見侍りて) 祇園梶子
われのみかあはれ胡蝶も花の色にうつすこころの深見草かな

  『うけらが花』(牡丹をよめる) 加藤千蔭
みし春の千千の色香をひともとにとりあつめたる深見草かな

  『琴後集』(白牡丹の絵に) 村田春海
月雪のきよき心を一花のにほひにこむる深見草かな

  『草径集』(牡丹残花) 大隈言道
おほかたは散り果てぬれど二十日草(はつかぐさ)この一花は三十日(みそか)だに経よ

  『志濃夫廼舎歌集』(牡丹) 橘曙覧
置きあまる露の匂ひも深見草花おもりかに立ちぞふりまふ

  『調鶴集』(牡丹) 井上文雄
唐めきし黒木赤木のませゆひて植うべき花はぼうたんの花

  『竹乃里歌』正岡子規
くれなゐの光をはなつから草の牡丹の花は花のおほきみ

  『舞姫』与謝野晶子
くれなゐの牡丹おちたる玉盤(ぎよくばん)のひびきに覚めぬ胡蝶(こてふ)皇后(きさい)

  『白き山』斎藤茂吉
近よりてわれは目守(まも)らむ白玉の牡丹の花のその自在心

  『一路』木下利玄
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ


公開日:平成23年04月29日
最終更新日:平成23年04月29日

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