折節の記



―「古今集仮名序」と古典の現代語訳について―

 歌論・歌学のコーナーを更新、「古今集仮名序」のテキストに、本居宣長による口語訳(『古今集遠鏡』)を付けました。
 紀貫之による仮名序は、和文で書かれた史上最初のまとまった歌論であり、文学論であり、文芸批評です。《日本の文芸思想》というものがあるとしたら、その核心に位置するものです。一千年の和歌の歴史も、源氏物語も、本居宣長の「もののあはれ」論も、小林秀雄の批評も、貫之のこの短い論文によって支えられています。貫之によって、日本の文学に一本の芯が貫かれました。
 私は仮名序を読むたびに、そこに脈打つ、「やまとうた」にかけた貫之の情熱に敬服します。そして最後の一節を読み終えるたびに、自分の胸も熱くなるのを覚えます。挑戦的で、ラディカルで、パッションに溢れ、優艷で、明朗で、堂々とした文章。このような日本語の散文を、私はほかに知りません。
 そのような至高の散文を、私ごときになぜ訳せるでしょうか。宣長の口語訳を借りたのは、必ずしも「虎の威を借」りようと思ったわけではないのです(汗)。

 さて、宣長の古今集口語訳。これを初めて読んだときは、正直面食らったものです。たとえば貫之の名歌、「人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける」の、宣長訳を引いてみましょう(読みやすいように、表記に手を加えています)。

人はどうぢゃやら、心も変はらぬか変はったか知らぬが、なじみの所は、梅の花が、わしが来たれば、これこの様に、前方(まへかた)のとほりの匂ひに相変はらず匂ふわいの。

 宣長自身の説明によれば、これは当時の京言葉をベースにした俗語訳、ということになるようです。みやびな古今集の歌を、またなんという俗な言葉に改めたものか、しかも宣長が…と、私は意外の感に打たれたものでした。しかし、宣長の意をよく汲んでみると、なるほどと思い直したのです。
 宣長は、注釈と口語訳の違いを、山の木々を見ることに譬えて語っています。古典の注釈は言わば、山の近くに住んで山をよく知っている人が、あの木は何々だ、根もとの草木はこうこうだ、枝ぶりは…と詳しく親身に説明して聞かせるようなものだ。いっぽう、口語訳というのは、遠眼鏡(望遠鏡)を借りて山を見るようなものだ、と言うのです。実際は遠くにあるのだが、遠眼鏡に写して見れば、「あさましきまで、ただここもとにうつりきて、枝さしの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見え分れて」まるで、庭先の植木を見るように見えてしまう。また、自ら俗語訳をすることの効用について、こうも言っています。

俗言(さとびごと)に訳(うつ)したるは、ただにみづからさ思ふに等しくて、物の味を、みづからなめて、知れるがごとく、いにしへの雅言(みやびごと)みな、おのが腹の内の物としなれれば…

 現代の卑近な言葉に置き換えることによって、古典との距離感をいっきに縮めてしまう、いや無化してしまう――それが口語訳(現代語訳)なのだ、というわけです。そのようにして古典が「あまさしきまで」「のこるくまなく」見えてしまうのは、実は錯覚とも言えるのですが、近づきがたいような古典を、初学者にも生き生きと身近なものに感じさせるためには、これも一つの方便なのだ、と宣長は考えていたように思えます。
 『古今集遠鏡』の「例言」には、俗語訳にあたっての注意書きなども記されていて、非常に興味深いものです。いくつか挙げてみましょう。

 その他「てにをは」や助動詞の訳し方の注意などが事細かに綴られています。古典の現代語訳のみならず、翻訳一般に当てはまることが多い、金言の宝庫だと私は思いました。
 古典の現代語訳については、賛否両論があるようで、たしか川端康成や太宰治が無用論を書いていたのを読んだおぼえがあります(もっとも、川端は京言葉による源氏物語の翻訳を志したことがあるそうですし、「竹取物語」のみごとな現代語訳もあります)。私は宣長の「現代語訳=遠眼鏡」説に、蒙を啓かれました。橋本治氏の「桃尻語訳」は私はいまだに読んでいないのですが、もしかするとあれも、宣長流俗語訳の現代版だったのでしょうか?(平成十三年一月二十六日)



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