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「氷室先生、終わりました」
「そうか、では速やかに帰宅しなさい」
「はーい」
「返事は短く1回で簡潔に」
「じゃあさようなら」
「ああ、また明日」


毎年毎年この時期はよほど気をつけていないと帰ったふりをして残っている生徒がいるから困る。教師になってからもう10年以上が経過して、自分なりに少しはそれらしくなってきたと思わなくもない。一時期ロボットだのアンドロイドだのと言われていたが、今の生徒達もそんな事を影で言っているのだろうか。

文化祭の準備期間中とは言え、安全のために生徒の帰宅は午後8時と決まっている。腕時計に目をやると8時3分だった。残っている生徒はいないはずだが、念のために見回りをしてこよう。

職員室から出て明かりの消えた教室の並ぶ廊下を歩いていると、ふいに昔の記憶が蘇ることがある。月明かりの中、教室の隅で居眠りをしていた君を揺すって起こしたのはこんな夜だった、と思う。









「起きなさい、何時だと思っている」
「……ん……せ、んせぇ?えっ!?あっ、うそっ、せんせー!!」

がばっと起き上がった君はその拍子に椅子から転がり落ちて尻餅をついた。目を白黒させながら俺を見上げて心底驚いた顔をしている。

「床は底冷えがするから早く立ち上がりなさい」
「先生!」
「何だ?」
「お月様がきれいですね」
「……?」

唐突に君は床に座り込んだまま、「月がきれい」だと言う。俺はうっかりその指先につられるように窓の外に目を向けた。確かにくっきりと明るい月が夜空に浮かんでいた。満月ではなかったがそれでも明るい光は校庭を照らし出し、文化祭のモニュメントに飾り付けられたモールがきらきらと輝いていた。

いつの間にか立ち上がった彼女は、人一人分ほどの間を開けて俺の隣に立って夜空をうっとりとした顔で見上げている。

「君はいつも唐突だな」
「あ、いや、まあ……そうですね。そうかもしれません」
「いや、私は叱っているのではない。面白いと思う」
「面白い……ですか?」
「ああ、面白い」
「ちょっと嬉しいかも」
「何故だ?」
「どうしてかと言われましても……。まあ、とにかく嬉しいです」
「さあ、もう帰りなさい。何かあればまだ学校にいる。連絡しなさい」
「はい。今日はご迷惑をおかけしました」
「いや……どうということもない」
「さようなら」


ばたばたと鞄を掴んで走り去った彼女の後ろ姿をしばらく見ていた。
とにかく月が美しい夜だった。







「氷室だ」
「あなた、まだ学校?」
「ああ君か」
「もう帰れます?」
「そうだな、後30分ほどで帰宅しようと思うが」
「そう。見回りしないとわたしみたいに居眠りしてる子がいるかもしれないものね」
「そうだな」
「あなた、月がきれいよ」
「また君は唐突だな」
「ふふふっ、面白い?」
「ああ」

携帯を手にしたまま廊下から薄暗い教室の窓際へと移動する。見上げた夜空にはあの日のような少し欠けた月が煌々と校庭のモニュメントを照らし出していた。

「あの頃みたいだな」
「そうね、氷室先生」
「止めなさい」
「そうそうあなたにプレゼントがあるの。早く帰ってきてね」
「楽しみにしている」
「じゃああなた、お誕生日おめでとう」
「まったく君は……。ありがとう」

今夜も月の美しい夜だ。
見回りを速やかに終えて帰宅することにしよう。

君が待つ家に。




afterword by the writer
いつも書く時にプロットを考えて書き始めたりしません。短いものほど思いつき(例えば与えられたテーマとか、頭に浮かんだ小さなイメージとか、セリフとかシチュエーションとか)から書き始めます。今回はもちろんテーマありき。
ではどんな話にするか。主人公ちゃんとくっついていて欲しいという書き手の勝手な願望を元に書き始め、プレゼントを何にしようとかどこで「おめでとう」と言わせようかとかあれこれ考えはしました。結局こんな何でもない事件の起こらない話になりました。
タイトルが無いままにアップしようかと思ったのですが、わたしの好きな映画「Moonstruck」からいただいてしまいました。あ、映画の内容とは何ら関係ありませんが「moonstruck romance」という言葉もあります。辞書で確認してみてください、ある意味二人にぴったりかもしれませんね。

 
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