宇都宮市中心部の北側を東西に走る競輪場通り。沿道には、大型スーパーや総合病院、郊外型飲食店、ホテル、そして行政機関などが建ち並ぶ主要道路です。 これらの施設に取り囲まれるように畑が取り残されています。ある日、偶然この畑に目を向けた私は固まってしまいました。最初は、「何じゃ・・」そして「何で・・」。 私の頭の中には、「ツアラトストラはかく語りき」が鳴り始め、同時に?マークが充満しました。そう、「2001年宇宙の旅」のモノリスを連想したのです。 よく見るとそれはコンクリート製の橋台でした。相手方の橋台も、橋脚もなく、そこに続く築堤もありません。 |
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畑の中に忽然と存在するこのコンクリート製橋台の正体は・・・・・ |
T15年、宇都宮−岩原間に大谷石輸送を主目的する鉄道が計画されました。 これが、大谷石材鉄道です。大谷石の輸送機関としてはすでに、 宇都宮石材軌道(後の東武大谷線 鶴田−荒針間) 宇都宮軌道運輸(宇都宮人車軌道) が存在していましたが、大震災後の急速な大谷石需要の伸びを後押しとして計画されたものと考えられます。(概略地図はこちら) 本鉄道の特徴は、省線との連絡駅を宇都宮駅としたことです。他の2社が市街地を通過できず、いずれも宇都宮駅への連絡ができないのに対して大きなアドバンテージを有していたと思われます。 しかしながら、その後やや放漫で楽観的な経営方針が災いしたのか、あるいはすでにモータリゼーションの萌芽見えたのか、完成を見ることなくS12ついに免許を失効してしまいました。 工事がどの程度進捗していたか定かではありませんが、このページで紹介する橋台はその遺構なのです。 |
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地元の方のお話では、かつて3対の橋台があったそうですが、現在はこれ一基を残すのみです。 高さは、5mくらいでしょうか。 |
建設当時と川筋も変わり、なぜここに橋梁が必要なのかさえも想像できません。それがまたいっそうこの遺構を異様なものとしています。 |
この宇都宮のモノリスは、すでに70年近くここ立ち続けています。将来も、決してその本来の役割を果たすことはないでしょう。しかし、その異様なエネルギーにより人々の好奇心を揺さぶり続けています。いまでも、多くの人が吸い寄せられるようにそのそばを訪れるそうです。 注)この物件は私有地の中に存在しています。また、周囲は畑であり、不法侵入や畑 を荒らすなどの行為はおやめください。 <疑問> 大谷石材鉄道は、宇都宮駅から一旦北上し、現在の竹林地区で西へ転向するルートを採っていたものと思われますが、その北上区間はM30に廃止された「旧日本鉄道線」とほぼ同一ルートと考えられます。・・・・とすると・・・この区間は廃止区間の再利用とも考えられます。 真相はいかに・・・・・・・。 想像図はこちら。 |
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更新 2002.9.13 地図を追加
作成 2002.9.8
写真撮影 2001.5.20
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