今から一世紀以上も前のM32(1899).10.7。 栃木県内は、台風の接近に伴い風雨が強かったそうです。この日夕刻、日本鉄道線(現東北本線) 箒川鉄橋にさしかかった混375レを悲劇が襲いました。折からの強風にあおられた列車の一部が鉄橋から転落し多くの犠牲者とけが人を出したのです。 この事故は、鉄道創業期に発生したものとして、たいへん有名な事故です。 そして、月日は流れました。 |
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事故現場付近(鉄橋の野崎側)には2つの慰霊碑が建立されています。こちらは、野崎駅よりの慰霊碑です。 |
こちらは、鉄橋の袂の慰霊碑です。どちらの慰霊碑も荒れておらず、どなたかが現在でも周辺の草刈など整備を行われておられるようです。 | ![]() |
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同じく鉄橋の袂の慰霊碑です。 後ろは、R4の跨線橋です。 |
両慰霊碑とも、今でも行きかう列車を見守り続けています。 | ![]() |
私はこの場所を何度か訪れましたが、慰霊碑に香華が手向けてあるのを一度ならず見かけました。遭難された方のご子孫によるものか、あるいは地元の方が行われたのかはわかりません。いずれにせよ、100年の時をこえて、遭難された方の安らかな眠りとともに鉄道の安全を祈る多くの方々がいらっしゃることに感動を覚えました。今年も、10.7がもうすぐやって来ます。 |
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作成 2002.9.17
写真撮影 2002.3.10
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