■東武鉄道 日光軌道線 103号・ED611号■


1.車両の沿革

(1)日光軌道線について
■明治中期の足尾銅山物資輸送を嚆矢とする日光市内の軌道交通は、日光電気軌道が軌間1067mmの電気鉄道として明治43年に日光・岩の鼻で開業、続いて大正2年に馬返までの全線10.6kmを開業した。
■戦後昭和22年には、東武鉄道の日光軌道線となり、日光市民と足として、国際観光地日光を訪れる観光客の足として活躍した。また、古河関係の貨物輸送も行い、路面を貨物列車が走る珍しい光景が繰り広げられた。
■昭和40年に第二いろは坂が開通すると自動車輸送の優位性は確定的となり昭和43年2月24日(25日)にその歴史に終止符を打った
  注)廃止日については24日とする資料と25日とする資料がある。

(2)100型電車103号
 昭和28年に一族10両が宇都宮車両で新製されたボギー式単車。時流からか正面は2枚窓で、最急60パーミルの勾配を乗り切る強力な主電動機を備えていた。軌道線廃止に伴い、全車が遠く岡山電気軌道へ譲渡され大阪車輌工業および自社で改造の上、同社の3000型となった。103号は、3009号となり平成14年まで活躍したが新LRT「MOMO」の導入に伴い廃車となった。
 なお、僚車3010号(109号)は、岡山の地にあって竹久夢二を記念するイベント車となり、現在も運行中である。
項目 諸元
定員(名) 96 内座席28
最大寸法(mm) 12350×2200×3552
重量(t) 15.0
主電動機 600V 60HP×2

(3)ED610型電気機関車ED611号
  昭和30年に東洋電機で製作された4動軸電気機関車。国鉄より譲渡されていた旧アプト式ED40(日光軌道ED4001→ED600型ED601)を補完して貨物輸送に活躍。軌道線廃止に伴い、栗原電鉄へ譲渡され西武所沢車輌工場で改造の上、同社のED35型ED351号となった。昭和62年、細倉鉱山の閉山による貨物輸送の廃止に伴い廃車となった。
項目 諸元
最大寸法(mm) 11050×2640×4100
重量(t) 35.0
主電動機 600V 80KW×4


2.保存状況

両車両は、日光軌道を愛する1ファンであるAさん(仮称)の努力と私費の投入により栃木県内に里帰りし、大切に保管されています。この事実に鑑みて、とちレビとしてはその所在地などに関するお問い合わせにはお答えできません。ご了承をお願いいたします。
以下の取材は、Aさんのご好意により実現したものです。この場を借りてお礼を申し上げます。
■103号
外観は、岡山時代のまま。Aさんの地道な保全作業が行われている。排障器は取り外されているが、下の写真のようにちゃんと保管されている。
車内は極めて良好な状況。つり革をユラユラさせて走り出しそうだ。
綺麗に整備された東洋製マスコン。勾配での安全性を高める特別な装備も組み込まれているという。
原型をよく残すサイドビュー。
岡山時代の特長、錘式パンタを装備した高やぐらは撤去されている。オリジナルはビューゲルだ。

日光時代より長い年月を過ごした岡山の匂いを伝えてくれる方向幕。なお、日光時代の方向幕は、運手席窓上に付いた小型のものであった。
■ED611
昭和63年。役目を終え、栗原電鉄石越駅と東北本線石越駅を結ぶヤード上にいたころの彼女。達磨小僧は、一目見てファンになった。このあと10年以上もこの場所で、少しずつ色あせながらも、そのときが来るのを待ち続けていた。
平成16年の彼女。簡易ながらも上屋が掛けられ、痛みやすいルーバーは保護されて保全作業中。日光時代は、端梁下部に路面走行用の排障器が取り付けられていた。
磨き出されたマスコン。Aさんの思い入れがわかる。
石越での10年は彼女に、少なからずダメージを与えていた。Aさんは、この困難な作業に黙々と取り組んでおられる。

3.あとがき

 日光軌道は、栃木県に住む人にとってもっとも思い入れの深い失われた鉄道の一つであろう。宇都宮のLRT計画にも少なからず影響を与えているように思われる。その、思い出深い、歴史を伝える車輌の里帰りを実現されたAさんには本当に頭が下がる。ここまでの、さまざまな紆余曲折さえもこともなげに語るAさんは、写真だけを撮ってゆく達磨小僧に、最後まで何の不満も漏らされなかった・・・・。



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作成    2004.9.25
写真撮影 2004.7.20

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