Scribbles.?雑文集》 2000年8月23日

中原中也のカフェー

内田明 <uchida@happy.email.ne.jp>

外来語の表記は難しい。

例えば、現代の辞典類で「カフェ」という見出しによって示されるところの語。コーヒー、喫茶店、女給が接待し洋酒を出す飲食店、という3種の語義があり、「カフェ」「カフヱ」「カフェー」「カフヱー」「カッフェ」「カッフヱ」「カッフェー」「カッフヱー」等の表記があるという。

ここでカフェという語を選んだのには、訳がある。昭和35年角川書店発行の中原中也全集(旧字旧仮名)にある「散歩生活」と「亡弟」を眺めていて、酒が出てくる店であるカフェについて中也の表記が揺れているようであることに気づいたのだ。

昭和7年頃に書かれたと覚しき「散歩生活」では「カフェー」と印刷されているが、昭和8年10月の「亡弟」では「カフヱー」になっている。

「散歩生活」より:

「女房でも貰つて、はやくシヤッキリしろよ、シヤッキリ」と從兄みたいな奴が從兄みたいな奴に、淺草のと或るカフェーで言つてゐた。そいつらは私の卓子のぢき傍で、生ビール一杯を三十分もかけて飮んでゐた。

「亡弟」より:

友達を訪ねて、誘ひ出し、豪徳寺の或るカフヱーに行つて、ビールを飮んだ。その晩は急に大雨となり、風もひどく、飮んでる最中二度ばかりも停電した。客の少ない晩で、二階にゐるのは、私と友達と二人きりであつた。

「カフヱーにて」という題の詩まで書いている詩人が、これほど短期間に異なる表記をするものなのだろうか、と奇妙な感じを受けたのだ。この全集は「散歩生活」の中で「來」の字を1箇所だけ「來」ではなく「来」で印刷するという誤りを犯したように見える――戦前に逝去した中也が意味もなく1箇所だけ新字を意図して表記したってことはないだろう――ので、「カフェー」についても間違えたのではないかという疑念が湧いた。

しかし、例えば同一人物の名称について「ヹルレエヌ」(ヱに濁点)の例と「ヴェルレエヌ」の例がある等は原文のままであると全集の編者が凡例で断っているから、「カフェー」と「カフヱー」に関しても、実際に中也の表記が揺れていたのかもしれない。

全集のすべての例にあたってみたり、原稿を探ってみたりすれば謎は解けそうだけれど、残念ながら私には、この真相を追及するガッツも能力もない。

日本国語大辞典の第5巻によると、永井荷風はコーヒーの意味で「カフヱー」と記し、酒が出てくる店の意味で「カッフヱー」と記していたようである。荷風が終始一貫してこの書き分けを行なっていたかどうか等は不明だけれど、語義が異なるものを区別するこの書き分けは、私にも大いに納得が行く。

中也の「カフェー」は腑に落ちない。

どうせ真相を追及するガッツも能力もないのだから、《飲料である「コーヒー」とは違って、「カフェー」にせよ「カフヱー」にせよ店鋪が“腑に落ちる”ことはあり得ない》から腑に落ちなくていいのだ――という屁理屈によるオチをつけ、この問題を忘れてしまうのが得策だろうか。


最後に1つ、表記上の注意。私がこの文中で記した作品名「散歩生活」の「歩」は、底本の表記ではJIS X 0213:2000の1面86区35点の文字である。1面42区66点の文字ではない。UCSでも両者が区別されるから数値参照で表記すべきかとも思ったけれど、このファイルではJIS X 0208:1997で包摂されているところの「歩」として記した。


2000年8月23日
内田明
email: uchida@happy.email.ne.jp