2004年7月31日(土) 休日出勤また
 8時50分起き。七生といっしょにシャワーを浴びて朝食。バイクで11時10分に会社へ。校正が終わらんので休日出勤。1時半に神戸屋で買ってきたパンで昼食し、FMラジオを流しながら、がんばって校正。カバーデザインを頼むのに坂ポンにメールしたら、旅行とか世間話でメール合戦になる。まだあと校正50ページくらいあるよ。明日も出勤だな。8時10分に出て帰宅。みーが陽太と七生をお風呂に入れてくれていて、風呂上りで裸の二人がうろちょろしている。夕食は、焼餃子、人参とコンニャクのきんぴら、茄子のピリ辛。疲れたので10時半にみんなで寝る。7月が終わり。今年の夏は暑いねー。

2004年7月30日(金) 陽太プールではしゃぐ
 8時半起き。だんだん起きるの遅くなってきている。台風10号だが、東京ではほとんど大したことはない。朝食のあと、シャワーを浴びて出ると青空。電車で10時20分に出勤。昼食は赤まんまで、とろろそばとまぜご飯のセット。ゲラ読みに集中するが、今日中には終わりそうもない。また休日出勤だなー、とあきらめて伊豆高原の日記をちょこっと書いてから、7時45分に会社を出て帰宅。七生は眠っていた。
 みーと陽太と七生は、日中に幼稚園の友だちと厚生年金のプールに行ってきた。ウォータースライダーがあるので、陽太はご機嫌でひとりで滑っていたとか。流れるプールでもひとりで浮き輪で回っていたらしい。夕食は、鶏の照り焼き+キャベツ千切り、トマトとキュウリ、葱塩冷奴と夏メニュー。週末だし、夜になっても暑いのでビールが進む。二人で6缶も飲んで、みーはすっかりご陽気に。私は陽太と風呂に入って、しばらく遊ぶ。10時10分に陽太を寝かせる。0時半に就寝。

2004年7月29日(木) 陽太、英語教室へ参加
 8時起き。シャワーを浴びてから朝食。陽太は英語教室の夏季コースに参加するので、みーは七生を連れていっしょに二子玉川の地区会館に出かけていった。私も電車で10時20分に出勤。昼食はO君と大陸酒房でチンジャオロース。曇りがちだった空は晴れてきた。PCで動作チェックしながらゲラを読み続ける。8時半に出て帰宅。枝豆、ウルメ鰯、塩鮭焼き、モロヘイヤのお浸し、インゲンのオリーブオイル炒め煮。英会話教室でお絵かきしたらしく、見せてもらった。
 11時に子供たちを寝かせにかかり、私もいったん寝る。0時50分に起き出して歯を磨き、1時45分に就寝。仕事してると書くこと少ないな。GRへのバックアップデータ書き戻しもようやく終了。台風10号が八丈島の南に来ているらしいが、高気圧に挟まれほとんど動いていないらしい。しかも西に動くという予想も珍しい。

2004年7月28日(水) 続くかなー?
 7時10分起き。曇ってるな。先にシャワーを浴びて、パンで朝食。上野毛駅のポストにDVDを投函してから、電車で9時40分に出勤。昼食はO君と三ツ星食堂に行って野菜カレー。いつ行っても混んでるなここは。日記を少し追加で書く。会社宛てに来たお中元の山分けタイムが来たので、とりあえずビールを何本か冷蔵庫に突っ込んでおく。8時15分に出て帰宅。七生と陽太を先にお風呂に入れて寝かせる。10時前から夕食。枝豆、焼餃子、人参ツナサラダ、ジャコ。みーは、ネットからフリーの家計簿ソフトを落として、再び家計簿をつける気になったらしい。0時半に就寝。

2004年7月27日(火) 夏はスイカ
 7時40分起き。曇り空だ。残りのドーナツで朝食。みーがすいかを一口サイズに切って種を除いて出すと、七生もよく食べる。七生といっしょにシャワーを浴びて外に出ると、もう晴れてきた。電車で10時に出勤。昼食はO君と時津洋に行って、刺身とちゃんこの定食。意外にも魚も新鮮でうまくていいのだが、問題は客がいなくてガラガラなことだ。われわれの他に1組しかいなかったが、潰れなきゃいいがな。
 写真を選択して、苦心の宮古・沖縄編の日記を書き終えてアップ(長かった)。8時半に出て、セブンイレブンで牛乳を買ってから帰宅。夕食は、魚力で380円だったという刺身の盛り合わせ(お得!)、茄子の梅煮、茹でとうもろこし。10時半に陽太と七生を先に寝かせる。みーは1時半に寝る。私は宮古・沖縄のDVDを焼いて封筒に詰め、明日投函できるようにしてから、2時15分に就寝。

2004年7月26日(月) 久しぶりのお湿り
 8時10分起床。東京では何週間かぶりの雨。昨日買ったドーナツで朝食。マンゴーがうまいが、もう少し熟すのをまってもいいかな。電車で10時に出勤。4GBのマイクロドライブと、C1のHD空き4GB分にバックアップデータを入るだけ詰め込んでおく。全部で20GBくらいだから、これを3日もやればGRも完全に元に戻せるか。ほとんどは取り置いてあったムービーファイルなんだが。昼食はO君と、実に久しぶりの三宝庵でざるそば大盛り。宮古・沖縄旅行中の日記を書いておく。
 みーからメールで頼まれて、チコマートに行ってバンダイ食玩のメロンパンナを1つ購入(105円)。ヨークマートでアンパンマンとばいきんまんを陽太と七生に買ったんだけど、これは欠品だったんだとさ。8時10分に会社を出て帰宅。まず陽太といっしょにお風呂。夕食はウルメ鰯、エノキとキュウリの梅和え、ほうれん草のオリーブレモン和え。陽太はリボンを振り回して「ローラ!」とロールパンナの真似をしてせっかくの風呂上りなのに玉の汗。9時40分に寝かせて、私は直ったGRにデータを書き戻し、さっそく宮古・沖縄旅行のDVDの編集。1時半に就寝。

2004年7月25日(日) いまごろ1年点検残工事
 8時20分起き。シャワーを浴びて朝食。9時に鉄建の担当者とともに業者がやってきてウッドデッキの修理。雨が降ると膨張してサッシが開かなくなるのだが、根本的な解決になるかどうかはまた雨が降ってみないとわからない。私が他の住戸の件も窓口となっていたので、担当者を捕まえていちいちチェックしておく。理事って用務員ですな。工事が終わったところで12時から素麺で昼食。私は必要なアプリをGRに再びインストール。といっても、Office、筆まめ、3Dマイホームデザイナー、TMPGEnc plusと、数本のオンラインソフトくらいか。TMPGEncでMov→MPEG2変換がトラブっていたのがクリーンインストールで復活したのはうれしい。
 2時20分に七生は昼寝に突入。いままで使わなかったプリインストールのアプリはバンバンと削除していく。VAIO付属のSONYのソフトはほとんど無駄ですな。さすがに60GB以上も空きがあるのは気持ちいい。3時間ほど寝た七生が目を覚ましたところで、みーは5時に先に家を出て高島屋へ。私と陽太、七生も5時40分に家を出て合流し、6時前から早めに牛鉄に行って夕食。まだ明るい外を眺めながらビールと焼肉はいい気分。よく食って飲んだのでさすがに9千円弱といった。
 7時半に店を出て、まだ早いのでみーには再び買物に行ってもらう。陽太と七生を自転車の前後に乗せて先に帰宅。アンパンマンのビデオを30分だけ見せてから、二人ともお風呂に入れる。9時20分に寝かせにかかったら、ちょうどみーが帰ってきた。みーも添い寝で、10時には子供たちを寝かせてほっと一息。新しいウエストバッグとTシャツを買って帰ってきて、久しぶりの自由なショッピングができたことにご機嫌。みーは0時に、私はさらにHDの中身を整理をして、デフラグをかけてから1時に寝る。

2004年7月24日(土) 休日出勤
 9時起き。幼稚園に送る必要がないので、だんだん夏休み時間になってまいりました。パンで朝食のあと、七生とシャワーを浴びる。みーが高島屋に買物に行くというので、1時間ほど陽太と七生と遊んでいる。みーの帰宅を待って、11時過ぎにバイクで家を出て11時40分に出勤。新しいHDには昨日とまったく同じ手順でバックアップデータを書き戻しておく。旧いほうのHDはフォーマットを試みたが、今度はどう接続しても認識さえしなくなった。うーん、水曜日に認識したのが最後っ屁だったらしく、データ救出も危機一髪だった。
 これで新HDが認識するか確認にいったん家に戻ろうかと思ったが、あまりに暑いので挫折。日中ちょっとバイクに乗る気にならない。1時半過ぎに神戸屋に行ってサンドイッチとコーヒーで昼食。全体を通してざっと目を通した初校のゲラを、今度は細かく2回目のチェックに入る。しかしこのペースだと1週間はかかりそうだな。OKさんに期待した私が甘かった。6時50分に会社を出て帰宅。みんなで揃っての夕食は、豚の生姜焼き、人参とツナのサラダ、もずく。10時半に子供たちは寝かせ、二人も11時に就寝。
 リカバリし直した新しいHDだが、再びGRに装着するとやはり「Operating System not found」と出る。うーん、これはもう仕様だな。GRから外した時点か、他のPCに接続した時点で、元に戻してもWindowsが起動しないように細工がされているとしか思えない。再びフォーマット&クリーンインストールで復活させ、すぐに使うメールデータとブックマークだけは復旧しておく。残りのバックアップデータは、会社のマシンから少しずつマイクロドライブ運んで書き戻してしていくしかないか。とほほ、面倒だな。

2004年7月23日(金) なんでーっ
 晴れ。8時15分起き。朝食を食べていると、宮古のN間ちゃんからマンゴーが届いた。2kgで大玉が5個で、うーんいい香り。シャワーを浴びて、電車で10時15分に出勤。昼食はO君と千種鮨で日替わり8カン。引き続き初校の直しを続ける。ようやく残り100ページくらい。昨夜クリーンインストールのあと外して持ってきた新HDに、会社のPCにバックアップしてあったデータをすべて書き戻す。8時に出て帰宅。さて、HDを装着して電源を入れたら「Operating System not found」。な、なにー?
 Dドライブにあるバックアップデータだけ生き残ればいいので、リカバリCDでシステムのCドライブだけのフォーマット&リカバリを試みるがこれもダメ。がっくりするが、昨日の手順にミスがあったのかもと、再びHD全体をフォーマットをかけつつ夕食。鯖のみぞれ煮、舞茸とパプリカの炒め、モズク、トマトとキュウリ。夏野菜がうまい。その間に、みーが陽太、七生とお風呂に入れてくれる。10時20分に、みーと陽太、七生は先に寝る。私はGRにOSをインストールし直してから、2時45分に就寝。

2004年7月22日(木) GR復活(仮)
 7時20分起き。シャワーを浴びて、ミスドのマフィンで朝食。久しぶりにバイクで9時半に出勤。暑い。引き続き初校のゲラを読みつつ修正。昼食は宏でイタリアンスパゲティ。O君に買ってきてもらったHDを持って、8時20分に会社を出て帰宅。七生はすでに寝ていた。ラッキーとさっそくGRに新ハードディスクを装着。リカバリCDをセットして、パーティションを20GBと残りに分けてOSを再インストール。見事に復活。あとはバックアップデータを戻すだけだ。再びHDを外して会社に持っていくようにしておく。
 とりあえず夕食。カレーライス、ウルメ鰯、ブロッコリー。今日は久しぶりに絢ちゃん親子が遊びに来ていたそうだ。七生も9時半に一度起きたがまだ眠かったらしく、10時20分に陽太と共に再び寝る。私も寝てしまったが、0時半に一度起き上がり、歯を磨いて、マンションのMLに週末の補修工事についての連絡を書いておく。GRが復活するまで、臨時でC1を家庭用代替マシンにしている。遅くなって2時50分に就寝。

2004年7月21日(水) 新HDゲット
 7時40分起き。晴れて暑い。ドーナツで朝食にして、シャワーを浴びる。電車で10時10分に出勤。持ってきたHDを会社の自作マシンにつないで、データをバックアップする。O君に貸してもらったIDE変換のパーツでつなぐが、スレーブだと認識しない。よくわからんがマスターにすると認識したので、とりあえずはデータを全部吸い上げる。この間にも頻繁に「遅延書き込みデータの紛失」エラーが出て、このHDに原因があることがはっきりした。昼食はO君とRyomaに行って鉄火丼。帰り道にいつものマッサージ屋に寄ると暇そうだったので、2時から揉んでもらう。
 3時半から班会議だが、割と早く終わったので、夕方は初校のゲラを読み進める。うーん、けっこう直しありで時間がかかりそう。O君が秋葉原に行くと言うので、ついでにノート用の新しいHDを買ってきてもらうように頼む。同じIBM→日立(HGST)の交換で容量は30GB→80GBへ一気に2.7倍となる。価格はギリギリ2万円を切る。9時に会社を出て帰宅。新しいHDを装着してフォーマットしつつ夕食。豚の角煮(煮卵入り)、ごま豆腐、島らっきょうにモズクとまだ沖縄気分が持続中。角煮もうちの食卓には珍しい登場だが、おいしかった。10時40分に陽太を寝かせ、みーと私は1時に就寝。

2004年7月20日(火) 39.5℃!
 8時20分起床。朝から暑い。ドーナツで朝食のあと、車で10時半に出勤。昼食はO君と五反田に出てKUA'AINAでアワイアンハンバーグ。ポリマーの半年間の半額割引の期限が迫っていたので、ハガキを持って晴海のオートウェーブへ。しっかし恐ろしく暑いなー。FMラジオからは東京の最高気温が39.5℃と、観測史上最高を記録したという。おそらく実際の路上では40℃はゆうに超えているだろう。渋滞の車中も熱い。そして、ごと日だった。
 2時半に晴海について車を預ける。私は持ってきたゲラを手に、待合室に。意外とこれが仕事が捗るのだ。この酷暑の中、ほとんど人はいない。といってもTVでフジの「恋人よ!」というドラマが大音量でやっている(野沢尚脚本)。これリアルタイムでちょこっと見たこともあって、ついつい気を抜いたら観てしまう。いかんいかん。最初は四角関係なんだが、最後は鈴木保奈美の役柄が死ぬという激しくヘンなストーリーなんだよな。予定通りの2時間半で5時に呼び出しがあった。キーを受け取って会社に戻る。
 陽太は昨日永代のお婆ちゃんが「明日泊まりにおいで」と言った件を覚えていて、「お婆ちゃんいつ来るかなー」と朝からずっと言っていたらしい。この暑さでなえていた永代のお母さんも約束を果たすために迎えに来て、5時にいっしょに永代に向かったそうだ。私は8時過ぎにでて帰宅すると、七生はひとりで寝ていた。みーと二人で夕食で、鰻の白焼き、トマト、枝豆、モヤシのナムル、もずく。動かなくなった家のVAIO GRのハードディスクを外し、会社のPCにバックアップに持っていくことにする。1時に就寝。

2004年7月19日(月) お疲れさまでした
 海の日。7時45分に自然に目が覚めた。カーテンを開けて子供たちも起こして、8時に食堂に下りる。昨日と同じような干物とごはんの朝食メニューだが、みそ汁を暖かく出してくれるのはうれしい。朝食の後ロビーでコーヒーを飲んでから部屋に戻る。昨日の夕食で残していたオレンジジュースを陽太と七生に飲ませ、ぼちぼちと荷造りをして出発の準備をする。10時を回ってロビーに降り、チェックアウト。お試し価格の3000円なら、まずまずの宿でした。
 宿の人が駅まで送ってくれるという(お母さんが渡した心づけが効いたらしい)。ワゴン車に乗り込んで伊豆高原駅の東口の方に降ろしてもらう。予約の列車は13時発なので、また2時間半もある。七生は抱っこで寝てしまったので、駅と一体のショッピングビルの中庭にあるベンチに寝かせる。ご両親についていてもらって、私とみーは陽太を連れてお土産を買いに外に出る。O君に干物を買ってきてくれと頼まれていたのだ。
 東口近くにスーパーがあったが、ほかにはささやかな商店しかない。国道135号まで歩いて出てしばらくすると、「徳造丸海鮮家」というお土産屋を発見。「王様のブランチで伊豆のお土産No.1!」とうるさいぐらいPOPが立っている冷蔵で真空パックの「金目鯛漁師煮」というのを買う。戻ろうとすると、喉が渇いて自販機のジュース「Qoo」を飲みたいという陽太がダダこね大暴れ。みーがこれをからかって歩きますます大泣き。
 ぐるっと回るように駅の西口ロータリーへと戻る。途中の歩道にミミズがたくさん干からびているのを、陽太が泣きながらもビビッているのを見て、みーは大笑い。11時半に再びご両親と合流して、私はさらに干物を探して駅ビル内の店をあっちこっちと見て回る。1時間ほど悩んで、最終的にかますの干物1枚とカラスミを片腹買ってようやくほっとする。お土産を気にする旅は面倒だね。まだ時間があるので、吹き抜けのロビーでしばらく陽太と七生を遊ばせつつ待ち、みーとご両親は車中の弁当を買いに行く。
 12時45分にようやく改札が開始され、ホームへ降りてさらに10分ほど待つ。帰りはスーパービュー踊り子号。先頭じゃないのは残念だが、ガラスが大きく天井まで回っていて、開放感は抜群。13時5分に発車して、すぐにお弁当を開く。あとは車窓の景色を眺めながら、回転対座シートで陽太と七生はキャーキャーと遊びながら過ごす。品川には止まらないので、2時間で東京駅に降りる。駅構内でご両親とは分かれ、われわれは京浜東北線でいつものように帰る。
 上野毛から歩いて5時に帰宅。陽太はなぜか「魔女の宅急便」をビデオで観始め、われわれはほっと一息。夕食まで暇になったので、雑巾がけをしておく。みーは七生と共に先にお風呂。そのあと6時から私と陽太もお風呂。七生は寝てしまったのでベビーカーに乗せ、7時20分に家を出る。私は自転車の後ろに陽太を乗せて先にドッグウッドプラザへ。ミスドでドーナツを買ってから、先にForlonに入る。追って七生と歩いて来たみーと合流して夕食。
 月曜日だったのでちょうど胡弓の生演奏が入る日で、青いドレスのお姉さんがCDラジカセをバックに演奏。上手だね。これをBGMに食べるのもなかなか気持ちよい(あと寝るだけだしな)。陽太も気になるようで、大方食べたところで近づいて見に行く。みーと二人で紹興酒をロックでやりながら食べる。七生はずっと寝ていたので、陽太が残した天津飯を折り詰めにして持って帰る。9時20分に店を出て帰宅。みーは目を覚ました七生にご飯を食べさせて、陽太は11時に寝かせる。寝ないかと思った七生だが、0時には寝付く。二人は1時半に就寝。さすがに2週連続旅行はお疲れでした。

お婆ちゃんに作ってもらった浴衣と甚平さんだよー 伊豆高原駅で帰りを待つお揃い服の二人

2004年7月17日(日) ぐらんぱる三昧
 8時起き。朝食の呼び出しが来て、食堂に下りる。朝食は干物を中心に、わさび漬けやお新香、海苔、温泉卵など典型的な和風旅館のメニュー。ロビーで食後のコーヒーを飲み、TVでアニメを観る。9時に部屋に戻ってもしばらくTVでアニメ(韓国制作?)。昨晩の話では、下田に行って水族館でイルカやアシカのショーでも見るか、城ヶ崎の伊豆海洋公園でプールで泳がせるかといっていたが、身支度をして11時にロビーに降りる。タクシーを呼び、乗り込んで伊豆高原駅に行くのかと思っていたら、陽太の「公園で遊びたい」という一言で再びぐらんぱる行きとなった。がく。
 出口からなら昨日のチケットでも入れそうだったが、みーが忘れてきたのでまた買って入る。ベビーカーを借りようとしたら、古いのしか残っていない。今日は混んでいるらしい。その代わり曇り空で、昨日より涼しくて過ごしやすいのは助かる。陽太はまずはトランポリン(気に入ったらしい)。続いて真ん中の広場にある100円の幼児用カートに乗る。お爺ちゃんも七生と乗る。陽太が運転して七生と乗っている光景は「あー兄弟で遊べるようになったんだなー」なかなか感慨深い。お爺ちゃん太っ腹で、陽太は6種類ほどあるカートを全部制覇した。
 お城型の遊具でみーと陽太で遊んだあと、さらに陽太はバルーンのスロープで10分、ボールプールで10分とフルコースである。1時前にいったん切り上げて、レストランへ昼食に移動。ちょうど昼時とあって混んでいたが、「忠右門」という和食屋に入れる。座敷に座って天丼とうどんのセットなどで腹を満たし、お父さんとは当然ビールを飲む。七生がぐずり出して、お母さんが少し外に連れて行ったら、眠って戻って来た。1時を回ってさすがに眠かったらしい。
 2時に昼食を終えて、眠った七生はベビーカーに乗せてご両親に見ていてもらうことにして、陽太とみーと3人でまた遊びに出る。馬に乗せてもらってぐるっと1周というのがあって、陽太も初体験。意外に落ち着いている。まだ公園の中で行っていないアスレチックにも挑戦。2つの井戸を結ぶ地下の土管をくぐるやつは陽太もできたが、あとはけっこう難しい。滑車のロープ渡りをやったら、また昨日の長い滑り台に出る。七生とご両親も合流して、再びここでひとしきり滑る。
 涼しいとはいえ、坂の昇りはけっこうきつい。30分ほどたっぷり遊んでから、再び遊園地に移動。みーと陽太とお母さんと七生でサイクルパークに入って変わり自転車に乗って遊ぶ。私は疲れたので、お父さんといっしょに外でムービーを撮りながら見ている。陽太とみーが再度ジェットコースターに乗り、最後にみんなで駐車場を1周する遊覧機関車型のバスに乗ってようやく終わり。しばらくキッズルームで遊んでから、タクシーを呼んで4時20分にぐらんぱる公園を後にする。朝から5時間も遊べば十分でしょう。
 帰ってからすぐにまた陽太とお風呂。やっぱりシャワーが熱くならないので宿の人に言ったら、入浴している途中で何度か見に来る。やっと修理の業者が来たらしく、途中から直ってお湯が出てきた。交代してみーと七生もお風呂。あがって6時20分から食堂に下りて夕食。昨日と違う女性2人組がいたが、あとはやはりわれわれ家族だけ。ビールを開けてゆっくり食べる。新鮮な刺身に加え、唐揚げとミズナのサラダ、生春巻、鰈のホイル焼き、茶碗蒸しなど、どれもおいしい。
 7時40分に食べ終わって、しばらくロビーでくつろいでから部屋に戻る。TVを点けると、NHKの「新撰組!」がちょうど池田屋のシーンだったので、見ながら部屋でくつろぐ。陽太と七生は隣のご両親の部屋とをいったり来たりで、もう汗だくになって遊んでいる。歯を磨かせて9時に電気を消して子供たちを寝かせ、われわれも疲れを取るために10時15分には床に就く。

なかなか微笑ましい兄弟ツーショット 陽太、馬にも初挑戦

2004年7月17日(土) 今度は伊豆高原
 9時15分起き。朝から暑い。朝食のあと旅行の荷造りをする。海の日を加えた3連休で先週末に続いて旅行である。永代のご両親のお抱え旅行で、持ち出しが少ないのは幸いだが、体力的にはかなりきつく、正直休みたかった気持ちもある。風邪も治りつつあるが、まだ万全じゃない。疲れのせいか、沖縄から帰る日あたりから左の後頭部首筋の生え際に、ポツポツと湿疹ができて、だんだん首に広がりつつある。4月に皮膚科でもらった薬も鞄に入れておく。
 陽太と七生も着替えさせて、11時に家を出る。二子玉川発の時刻表で2分読み間違えていたので、予定通りの上野毛13分発の電車に乗れる。大井町で乗り換えて品川に11時40分に到着。駅構内のアンデルセンで昼食のパンやサンドイッチ、さらに子供たちに売店でおにぎり、ついでに自分たちにビールを買って、エレベーターで東海道本線の11・12番ホームに下りる。時刻は12時前で、ご両親が東京から乗ってくる電車を待つ。
 お母さんから、スーパービュー踊り子(先頭は展望車になっている)の一番前に乗れると聞いて陽太と期待していたのだが、あっさり間違いだったらしい。12時7分に来たのはごく普通の四つ目の踊り子号。先頭のドアでご両親に迎えられて入るが、1号車の一番前なんだが、前は壁でなんにも見えない。残念でした。5人で3列に分かれ、一番前の列ではご両親が七生とベッタリで遊んでいる。2列目にみーと陽太、私は一番後ろに一人で座る。ちょうどいい、昨晩夜更かしだったし、体調のためにもここは寝ておこう。
 昼食のフレンチトースト、サンドイッチとデニッシュ、もらった穴子寿司を少し食べ、ビールを1缶飲んだら、鞄にあったMuvo2の音楽を聴きながら目を閉じる。品川から伊豆高原まではちょうど2時間の旅で、1時間余りの間の休息。たまに目を開けると、七生がお父さんに抱かれて運転席越しの景色を見させてもらっていたりする。陽太にくすぐられて気が付いたら、周りの席はかなり人が減っていて、あと5分ほどで伊豆高原。七生もずっと起きて遊んでいたらしい。ゴミを片付けて降りる準備。
 14時8分に伊豆高原の駅に降りると、ホームは東京よりはさわやかな風が吹く。改札を出た横のレジャー案内のコーナーでしばらく旅の行動を考える。伊豆の各施設(なんとか美術館とか)の割引券が、ここで自販機でまとめて売っている。レンタカーは予想通りに満車だった。今日は陽太を外で遊ばせるために、ぐらんぱる公園に行くことにして、割引券を買ってから6人で1台のタクシーに乗り込む。駅からは15分、1500円くらいで公園に到着。
 割引券をチケットに換えてゲートを入ると、去年の11月に来たとき(ちょうど日記ないね)よりも人がずっと少ない。荷物をコインロッカーに入れ、七生のオムツを換えてから、もう寝そうなのでベビーカーも200円で借りておく。陽太はまず水の広場に移動して、トランポリンで遊ぶ。この時点でもう汗だく。お爺ちゃんは七生と真ん中の広場にある100円で乗れる幼児用カートに乗る。陽太も乗りたいと言うかと思ったら、ウンチになったので、これをきっかけに移動する。
 次いで、ここの名物(と勝手に思っている)風の丘にある長いローラー滑り台。タダでの上、いちばん面白い。尻に敷く青いウレタンマットを手に陽太は何べんも滑る。お父さんも七生を抱いていっしょに滑って、「怖がるかと思ったら、喜んでるんだもん」とうれしそうだ。私とみーも交互に陽太といっしょに滑ったりするが、降りたら坂を登るのが大変。休憩場所でお母さんが差し出してくれるお茶を戻るごとに口にしながら、汗を拭き拭き陽太と、ときおり七生も加えてこれを繰り返す。体力勝負だぜ。電車で寝ててよかった。
 遊園地のほうに移動。ここも空いているので、遊具に片っ端から乗る。自分で漕ぐ巨大なかご型ブランコのトップスインガーを皮切りに、水中ゴンドラ、キッズコースター、アンパンマンの遊具、ゴーカート、ロボットの遊具など、すべて待たずに、しかも客は自分たちだけで乗れる。4時ごろに七生は寝て、暑いのでみーとお母さんは日陰で七生と休み、私とお父さんが陽太とつきあって交互に遊ぶが、汗拭きのタオルもハンカチもすぐにビショビショになる。
 4時半までたっぷり遊んで、もういいでしょうということで公園を出て、旅館に行くためのタクシーを呼ぶ。お母さん持っていた宿の地図を見せると、運転手は悩んだ末に「東芝EMIのところね」といって走り出した。昔「ペンギン博物館」だった「怪しい少年少女博物館」の角を曲がって、避暑地らしい店が並ぶ狭い通りを抜ける。狭い道をくねくね曲がった末に、やはり15分くらいで到着。「プロヴィデンス伊豆高原」て名前はちょっと似合わないけど、結構キレイそうなところだ。
 部屋に荷物を運んで5時。洗面所のドライヤーに確かに「東芝EMI××荘」と書いてある。変電設備もエアコンもロビーに置いてあるTVも当然のように東芝。昔保養所だったがコストカットで売却され、いま第三者運営というありがちなパターンですな。「居抜き」というらしいですが、転換してまだ日が浅いらしく、今回の宿泊費はお試し価格の1泊\3Kだそう。
 一息入れるとおっくうになりそうなので、夕食の前にまずよく遊んで汗まみれの陽太を風呂に入れることにする。部屋から5mという近さの風呂に行くと脱衣場が狭い。洗い場はわずか2つで、石造りで立派な広めの家庭の風呂という感じだ。先客の初老の男性と入れ替わりだったのでよかったが、とても他人と入る広さじゃない。ただ、窓からは外の緑が見えてこの時間は結構気持ちいい。いちおう温泉だし。
 ぬるめなのに熱いという陽太を湯船に浸からせて、先に私が洗う。すぐにお父さんも入ってきたが、2人+子供でもういっぱいという感じ。洗うのにいくら出してもシャワーが熱くならない。水というわけではないが、30℃くらいだろう。陽太は逆に冷たくて喜んでいるが、真夏だからいいけど冬なら怒るぞ。続いて隣に座らせてて自分で頭と体を洗わせる。「耳の後ろ」とか「首の近く」と誘導してやると、自分で上手に全体を洗える。下を向いて流すのも平気。すっかりできるじゃない。その調子で体も洗わせて、最後にもう一度湯船に浸かる。
 お父さんは途中でさっさと出て行ったが、陽太がずっと浴槽に水を出して遊んでいたので、小一時間は入っていたらしい。陽太を拭いてパンツ一丁で部屋に返してやると、もう6時らしく、夕食の呼び出しが来た。急いで私も体を拭いて部屋に戻って、6時15分に下の食堂に下りる。他の客は、さっきの初老の夫婦だけらしくガランとしている。先に食べ始めていたご両親と七生の席に加わり、子供たちにはオレンジジュース(1本ずつ!)、大人は瓶ビールで乾杯。
 まだ明るい外を眺めながら上げ膳据え膳の夕食で、風呂上りにビールの幸せ。料理もなかなかうまい。刺身の盛り合わせに、小あじのマリネ、タコのマリネ、蛤のお吸い物、野菜の煮付け。海の幸を中心に、素材もいいし味付けも上品。メインは白身の焼魚で、ありがちな揚げ物とか鍋がないのもいい。陽太にはちゃんと洋風のおかずを別に用意。お母さんが七生に食べさせてくれているので、みーも私も割とゆっくり食べられる。早めに食べ終わった陽太には目の届くロビーでTVを観ていてもらい、大人たちはビール7本を空け、7時半までかかって食べる。途中から七生もいっしょにロビーで遊んでいた。
 陽太はお婆ちゃんに浴衣を作ってきてもらい、これを着てうれしそうだ。くりくりの坊主頭とも似合う。七生は小さな甚平さんを作ってもらったが、これもかわいい。部屋に戻って少ししてから、みーと七生にお風呂に入ってもらう。ご両親の部屋がすぐ横で、入口が隣接しているので、陽太は部屋から部屋へとどたばた走り回って、行ったり来たりしている。せっかく風呂に入ったのにもう汗だらけ。せっかくの浴衣ももう少し破いてしまった。
 みーと七生が戻ってきて、9時から子供たちを寝かせる。相当に疲れているはずだが、興奮しているのかなかなか寝付かない。陽太が先に、七生も10時過ぎにやっと寝た。みーも疲れたらしく10時半にそのまま寝る。私はMZ3のムービーをPCに移してから、PHSカードでメールチェックを試みるが、DDIPの電波は届かないみたい。明日に備えて、私も11時には就寝。

これは長ーい滑り台 むしむしくんジェットコースター

2004年7月16日(金) 陽太くりくり頭で夏休みに突入
 7時40分起床。いい天気が続く。先にシャワーを浴びてから朝食。陽太を幼稚園に送っていく。今日は幼稚園の終業式で、もう夏休みに入る。うらやましいなー。PTAである「なかよし会」で、そのあとに親子参加のお祭りイベントがあるらしい。電車で9時50分に出勤。11時に進行中の本のゲラを受け取りに六本木ヒルズまで行く。小規模な編プロなんだが、いま話題のライブドアと業務関係を結んだらしく、同社のフロアに間借り移転したんだとか。興味本位でオフィスの見学も兼ねて行ってみた。
 恵比寿で乗り換えて日比谷線で六本木へ。恵比寿側にちゃんと六本木ヒルズ方面の出口ができていた。そのまま地下通路からエレベーターに乗ると、ガラス張りの円筒形のホールを昇って、2Fの広場まで出る。オフィス棟の森タワーに行くと、自動回転扉はやはり停止中。開けっ放しの隙間から入ると偶数階用のアッパーロビー(UL)と奇数階用のロワーロビー(LL)に分かれている。先に電話で聞いていたからよかったが、実にややこしい。ULからエレベーターに乗ろうとしたら自動改札みたいなゲートがある。
 入ろうとしたらチャイムが鳴った。横の受付けをしないといけないみたい。受付女性に行き先を告げ、名刺を2枚見せて、入館証をもらう。警備員がいるゲートをこれを見せて通り、やっとエレベーターに乗れる。当然フロアの高さごとにいくつか分かれているので、めざす38Fに行く基を選んで乗り込む。途中で意味なく停止して、ドア上の液晶モニタに「下カゴ乗降中です」とか表示される。なんだこりゃ(あとでOKさんに聞いたら2基連動して動いているとか。なぜだか不思議だ)。全体的にSF映画チックなギミックを感じさせる公共スペース。
 エレベーターを降り、右手の受付らしき場所に向かうと、私服の女性が2人立っている。でかい寄せ書きパネルが2枚、カウンターの下に立てかけてある。「合併反対」? ああ、近鉄バファローズの買収の件か。それにしてもカジュアルなイベント会場みたいなので、思わず受付はここでいいのかと聞いたら、いいという。相手の名前を告げて内線で呼び出してもらい、しばらくミーティングスペースで待つ。巨大な発行する衝立みたいなのもあり、オフィスとはいえマンションぽいインテリアのコンセプトなのか。
 すぐにOKさんがやってきて、案内されてオフィス内に入る。ここの出入口の扉もICカードをかざさないと開かないようで、入念なセキュリティだね。オフィス内はがらんと広く、島型の机が並ぶだけのキレイだが平凡なレイアウトだ。OKさんがゲラのチェックを終わらせるしばらくの間にフロアを見学するが、デスクにぎっしりといる人がみんな若い。それもカジュアルな私服なので、学生の集まりのよう。私のようなTシャツに破れGパン姿でもまったく違和感がない。堀江社長の方針だろうが、さすがに設立8年の若い会社である。
 ライブドアは1000人余りの社員がいるらしいが、平均29歳と言うからフロア内もエネルギッシュで華やいだ雰囲気だ。少し昔のP社を思い出すが、昇り調子だけに社員の前向き感が大いに違う。そんな中に1週間前に引っ越したばかりというOKさんの会社は、買収されたわけではないが、社長のHMさんがWeb事業をライブドアに売却して人員半分は転籍して、残りの編集部門は便宜上間借りすることになっただけらしい(ややこしいが)。周辺の一角は同様の協業会社がいくつか入っているらしいが、殺風景なデスクが並ぶだけで、人もまばらで入居待ちオフィスのような状態になっている。
 ゲラを受け取ってから、OKさんと12時前に早めの昼食に出る。再開発されてからのこの周辺はよくわからないが、旧WAVEビルの裏あたりにあるこれもオシャレなレストランビルの中から「CYCLO」というベトナム料理の店を選んで入る。OKさんは牛肉のピリ辛丼、私は豚角煮丼を頼んで、食べながら上記のような会社の移転顛末の話を聞く。HM社長は、女性版堀江社長を目指しているらしく、下で働いている人たちはいろいろ大変そうですなー。OKさんはあくまで紙媒体にこだわりたく残ったらしい。
 ジャスミン茶を飲みながら1時間ほど話をして、12時50分に店を出る。HM社長にも会いたかったのだがあいにく離席中とのこと。帰る前に森タワーの来訪者カードは返さないといけないらしいので、一度ULの受付前に戻ってOKさんのサインをもらってから警備員に渡し、ここでOKさんとも分かれる。不審者対策だろうとはいえ面倒だね。せっかく来たので周辺を探索してみたかったのだが、いかんせん暑い。じっとしていても汗がにじむこの天気で、好奇心にまかせて歩き回る気にもならない。
 素直に帰ろうと思って駅に戻って電車に乗ったが、ふと思い立って引き返して、また六本木で降りる。麻布十番でみーの好きな鯛焼きを買って帰ろうと思ったのだ。駅員には「大江戸線に乗りたい」といったら160円を返してくれた。少々距離があるが六本木ヒルズを抜けて、長い階段を外苑西通りに降りる。少し歩くと新装テレビ朝日のビルがある。この前の池と広場を抜けて、けやき坂を降りるとまた外苑西通りに戻る。ここらへん道路脇のサインも小じゃれててオサレですな。
 交差点を渡って麻布十番商店街を日陰の歩道を選んで歩く。徒歩で20分くらいだろうが、抱えた紙封筒は腕の汗を吸ってしなしなになっている。さらに400mほど歩いて商店街にある浪速屋に到着。東京の鯛焼きといえば、ここと四谷のわかばが双璧である。この暑さのせいかほとんど人がいなかったのですぐに買える。6個の箱入りで950円。小さな手提げに入れて渡され、目的を達したので麻布十番の駅を探す。
 大江戸線の入口は外苑西通りの対面にあったが、日差しを避けてここに入ったら失敗だった。延々と地下道を引っ張りまわされ、いったん昇ってまた下ってと5分ほど歩く。ようやく南北線の改札にたどり着いて、あとは目黒まで3駅で会社に戻る。やれやれ、2時ごろに炎天下を歩くもんじゃないな、ふー。沖縄日記3日目も長くなってようやく書き終えた8時半に会社を出る。今日は久しぶりに三園ちゃんとCちゃんが来ていたが、入れ替わりに帰ったところだった。
 Cちゃんに手伝ってもらって、みーはヘアカッターで髪を刈ったらしく、陽太はくりくり坊主になっていた。夏向きで涼しそうでよくなったけど、これでもまだ玉の汗をかいている。夕食は、コールスローサラダ、枝豆、魚力で買ったという刺身の盛り合わせ。切り身の端っこの寄せ集めだが、なかなかお得だ。10時20分に陽太と七生はみーが寝かせ、鯛焼きを半分こする。PCは何度リセットしても起動せず、HDのアクセスランプが着きっぱなし。「書き込み遅延エラー」が頻発していたのでおそらくHDの故障(キャッシュ?)だろう。困ったなー。週末なので夜更かしして、3時に就寝。
 17日〜19日は永代のご両親との伊豆高原旅行。まーた長くなりそうなので、ちょっと更新は先になりそうデス。いま仕事忙しいので(- -;)ゞ(7月28日記)

2004年7月15日(木) 久々の幼稚園お届け
 7時50分起き。起きるとガラガラ声。朝食の後、久しぶりに陽太の手を引いて幼稚園に送っていく。陽太の長びいた風邪のせいで7月に入ってからなんと初めてだ。それも明日までで、来週から幼稚園は夏休みに入る。電車で9時40分に出勤。いい天気なので、昼食はO君と庭園美術館のレストラン。筍とトマトのスパゲティは悪くなかった。それにしても暑い。このところ平気で35〜6℃が続いている。沖縄の日記2日目をUP。イベントが多くてますます長くなった。
 風邪は鼻の奥がズルズルいっているが、もう快復途上なのは間違いない。8時10分に会社を出て、セブンイレブンで牛乳を2本買って帰宅。みーがシャワーさせてくれていたので、陽太と七生を先に寝かせる。二人とも寝付いたところで、9時40分から夕食で、切干大根、ゴボウのきんぴら、おから、トマト、メカジキ焼き。0時20分に就寝。

2004年7月14日(水) 回復の兆し
 8時起き。曇り空。昨日しつこくうがいしたせいか喉の痛みが引き、風邪は悪化せずに済んだ感じがある。それでもみーに声はひどいと言われたが。朝食のあと、保護者会があるとかで、みーが七生を連れて陽太を幼稚園に送りに出る。私は後片付けしてから家を出て、電車で9時50分に出勤。空は晴れてきて、また暑くなる。昼食は青椿で鶏モモ肉のトマト煮丼。味は悪くないんだが、ご飯とのなじみ具合がイマイチかな。沖縄旅行の初日の日記を記憶が確かなうちに書いておく。しかし長い。
 8時10分に出て帰宅。七生と陽太といっしょにシャワーを浴びる。10時過ぎからようやく夕食で、鶏肉と茄子の字部煮、小松菜のナムル、ネギ塩冷奴。10時40分に七生を寝かせ、遅れて陽太も寝かせる。0時半過ぎに就寝。風邪はよくなりそうな感じだが、鼻ばかりすすっているせいか、頭がボーッとしてすっきりしない。

2004年7月13日(火) 休み明け
 8時起き。喉と鼻の具合はよくも悪くもなっていない。鼻をすすりながらドーナツで朝食のあと、七生とシャワーを浴びる。そういえば七生は2日ぶりだな。まだ寝ている陽太は、念のため幼稚園はお休みにする。家を出てすぐにお土産を忘れたことに気づいて取りに戻る。1本遅れて、電車で10時40分に出勤。昨日の涼しさはどこへやら、東京もいきなり暑い。最高気温は36℃。班の人とOGさんに「チョコもち」を配ったが4個余る。
 昼食はO君と、たまたまビルの出口でいっしょになったOTさん、OGさんも誘って、韓国料理屋の椿で。土産話をしながら石焼ビビンパを食べる。いきなりサンヤツの締め切りが今日とか言うので午後は版下作り。旅行のムービーを会社のPCにいったん移してMPEG2エンコード。不調だった家のPCが旅行前についにまともに起動しなくなったもんで、困ったものだ。O君と、たまたまやってきた谷戸さんにもチョコもちを1個ずつあげ、残り2個は持って帰る。
 サンヤツの版下をアップしてから、8時半に出て帰宅。陽太は熱が下がってホッとする。やっぱり旅疲れだったようだ。みーと風呂に入っていた陽太と七生を先に寝かせるが、なかなか寝付かない。親もいっしょに寝てしまい、10時半にやっと起き出し、夜の11時から夕食。金目鯛の西京焼き、舞茸とエノキの炒め物、トマト、N間ちゃんからいただいたモズクは、だしニンニク風味の割と薄味でうまい。
 みーが買ったゴーヤビールを飲んでみるが、割と普通のビール。ほのかにゴーヤの苦味があるかなーとも思うが、そもそもビールってホップで苦いからな。子供たちが寝ているので少しTVを観る。みーは1時に寝て、私は2時20分に就寝。家のPCはセーフモードでも起動しない、というか白い画面のままだ。騙し騙し使っていたが、とうとう逝ってしまったな。

2004年7月12日(月) 沖縄から風邪とともに
 8時起き。右の鼻が詰まっている。みーが言うには声も鼻声だというし、やはり風邪のひきはじめのようだ。ま、もう帰るだけの最終日だからいいけど。昨日「パレット久茂地」で買ってあったパンで朝食にする。コンビニ氷の残りを冷蔵庫に入れていたので、溶けた水とともに昨夜のアルコールで乾いた喉を潤す。泡盛だからか、かなり飲んだ上に寝不足の割にはそんなに体調は悪くない。シークヮーサーデニッシュは暑さのせいかドロドロでいまいちだった。
 みーがシャワーを浴び、二人で荷造りをして帰る用意。チェックアウトは11時で余裕があるが、10時半にO君とはロビーで待ち合わせにしている。もともと荷物でパンパンだったバッグだが、お土産の袋があれこれ増えて持つ手がいっぱい。これで子供2人を連れての移動は辛いので、衣類は大きなバッグで宅急便で送ることにした。冷蔵庫からモズクを出して、お土産類もレジ袋にまとめる。みーが飲まなかったゴーヤビールやマンゴーの残り2個も紙袋に入れる。
 みーが保険証をどこに入れたかを思い出せないと、せっかくまとめた荷物を出して調べていたが、結局見つからなかった。10時半を回り、また待ち合わせに遅刻だ。急いでロビーに降りて、チェックアウトしてカードで支払いを済ませ、宅急便の伝票を書く。宿泊費は家族で3.8万円(3人×@6300円×2泊)と広さを取ったので納得ずくだったが、なんと宅急便は2310円もする! が、沖縄から送ると思えば仕方ないか。貪欲なO君は、7時半に起きて、市場通りまで歩いて行って朝食に焼魚定食を食べてきたんだとか。えらい。
 ついでに那覇で一番うまいと評判の店のサーターアンダギーを買ってきたといい、私たちにも1袋くれる。代わりに余っていたマンゴーを1個あげる。フロントに荷物を預けてホテルを出ると、乗る予定だった列車がちょうど駅を発車したところ。ゆいレールの県庁前駅まで3分ほど歩く。今日も朝から晴れていい天気で暑い。切符を買ってホームに上がり、見下ろす街をムービーを撮りながら7分ほど待って、10時52分の列車に乗り込む。もっと空いてると思っていたが、そこそこ立ち客もいて、意外に使う人いるのね。
 陽太はO君と最前列の席に座れて、運転席越しに前の軌道を眺めている。私はその様子や窓から見える風景を撮りながら12分で那覇空港に到着。2泊3日なので移動に便利なホテルで正解だった。駅を出て連絡通路を空港に移動。2Fのお土産売場のあたりで待っていてもらい、私は陽太を連れて3Fのチケットロビーへチェックインしに行く。ところが当然あると思っていたチケットレス専用の機械がない。5人ほど待つ有人のチェックインカウンターに並んだが、張り紙を見て航空券発券のカウンターに並び直す。
 こちらは比較的空いていて列の2番目。5分ほど待ってカウンターの女性にクレジットカードを渡し、端末で無事に発券とチェックインが完了。3台しかない自動チェックイン機は20人くらい並んでいる。シーズンなんてもっと混んでいるだろうに、ずいぶんと貧弱な設備だな那覇空港。2Fの出発ロビーに戻ると、みーはお土産に島らっきょを買っていた。さらに子供たちの昼食のパンとビールを買ってくるのを待って、11時半に身体と手荷物検査を通る。
 32番ゲートに向かう途中にポケモンジェットが見えて陽太に期待させたが、残念ながらわれわれが乗る東京行きではなかった。来るときと同じスクリーンの前の席に4人で座って待つと、予定時刻の11時45分を過ぎても遅れた乗客が何組かバラバラと入ってきて、10分ほど遅れてようやく飛行機が動き出す。飛び立ってドリンクが配られる前に七生は膝の上で眠った。陽太に空港で買ったパンを食べさせ、みーと私も軽くサンドイッチを食べ、ビールを1缶飲む。
 陽太はまた同じレゴのロボットをもらって開けて組み立てる。七生にはみーが折り紙をもらう。私はけっこう鼻水が出てきたので、ビールを飲み終わったら少し目を閉じて回復を祈る。七生を抱いている分、重みがかかってお尻がすぐに痛くなるが、時々抱っこの体勢を変えながら着陸までウトウト眠る。5分遅れくらいで2時20分に羽田空港に到着。少し待って、2時54分の京急で品川へ。O君はそのまま浅草線から三田で三田線に乗り換えるというので、ドアが閉まるまでホームで手を振ってから分かれる。
 あとはいつものコースで、京浜東北線で一駅で大井町で乗り換え、大井町線の先頭に座って上野毛まで20分。最高気温30℃くらいと思ったより東京は暑くなかったが、やっぱり荷物送っておいて正解だったねーと、みーと言いつつ歩き、4時前に帰宅。ふいー、お疲れ様でしたー。重いウェストバッグを外し、窓を開けて換気して、短パンに着替えてホッとする。コーヒーを淹れ、腹が減ったのでO君にもらったサーターアンダギーを食べる。道の駅許田で食ったほうがうまかったな(揚げたてだったし)。さっそく陽太はアンパンマンのビデオを入れて、七生もいっしょに観始める。これ幸いと、私はイソジンでうがいして葛根湯を飲むと2時間ほどベッドで寝る。
 少し体調がましになって6時に目を覚ますと、おや少し雨が降っていた。ほとんどあがった6時半に自転車に陽太と七生を乗せて家を出て牛鉄に向かう。みーは延滞していたPINGUのビデオをTSUTAYAに返してから合流。さすがに月曜の夜は空いている。牛鉄は旅行帰りのうちの夕食の定番ともいえるね。7時前から8時20分まで1時間半ゆっくり食べて、赤ワインのデカンタをみーと分けてリラックス。子供たちに頼んだリンゴジュースのデカンタは、半分以上七生が飲んだ。不思議に思ったら陽太がまた熱っぽい。
 心配して、それでもドーナツは買って家に戻る。計ってみると38.1℃。あちゃー、旅疲れが出たかな。旅行中じゃなくてよかったけど。そんな陽太だが、なぜかひとりテーブルに座り、鉛筆を片手に以前に買ってあったドラえもんの1年の学習本で、平仮名を書く練習をしている。まだ薄い網掛けの文字をなぞるだけだが、妙に熱心にやっていて不思議。遅れて歩いて帰ってきたみーも驚いていた。なぞるという行為を理解しただけでも成長で、ちゃんと誉めてあげる。
 熱の陽太に風邪ひき始めの私だし、みーも七生も旅行疲れがあるので、10時半にはみんなで床に就く。これにて2004年の沖縄旅行編の日記は終了。あー書くの大変だった。また今週末、伊豆行きの旅行があるんだけどね。

O君が撮ってきた市場の魚たち。この鮮やかさがいかにも沖縄 ちょっとお疲れモードの帰りの飛行機の中。七生を抱く私も寝てます 我が家の焼肉屋、牛鉄での旅行帰りの晩餐でございます

2004年7月11日(日) 美ら海水族館
 9時起き。クーラーをつけっぱなしだったが、少し寒くて一人で寝ている陽太が心配だった。ここのホテルは素泊まりだったので、朝食を食べに行かねばならない。O君はもともと朝はあまり食べないというので、家族だけでホテルの外に出る。朝からむっとした空気。国際通りに至近とはいえ、何の下調べもしていないので、どこで朝食が食えるかわからない。とりあえず、交差点を渡ってすぐ近くの「パレット久茂地」という複合ショッピングビルに向かう。
 中心となるデパートの「リュウボウ」は10時からでまだ開店前。ビルの案内には喫茶らしいものがある。周囲をほとんど一周して見つけた「Rカフェ」も、やはり10時開店だった。よさげなカフェだったのでがっくり。時計は9時40分だが、陽太がお腹空いたとうるさい。しかたないので、やはりビルの1Fにあるモスバーガーに入ってモーニングで朝食。陽太はホットケーキ、みーと七生はジャムトースト、私はツナとトマトのデニッシュサンド。私はどうもパン系じゃないと朝の雰囲気が出ないのだ。
 もう少し食べようと私もホットケーキを注文に行ったら、モーニングは終わったと言われた。時計を見ると10時5分過ぎ、ケチー。あきらめてコーヒーを飲み干して店を出る。やはりビルの一角にあったニッポンレンタカーのカウンターに寄って、車の空きを聞いてみるが、すでに満車とのこと。やっぱり日曜じゃなー。少し腹具合が物足りなかったので、開店したリュウボウの地下に行って、ベーカリーでパンを買う。
 ホテルに戻る途中で、交差点の向こうにO君を発見。いっしょにホテルまで戻る。O君は早起き(?)して、空港近くの「パイナップルハウス」までタクシーで行って帰ってきたところだったそうだ。すでに汗だく。フロントで鍵をもらうついでに、レンタカーのパンフレットももらう。10時半に部屋に戻って、陽太と七生は買ってきたパンをさっそく食べる。私はパンフレットのレンタカー屋に電話すると、まだVitzクラスが空いているという。
 予約して、11時にホテルに迎えに来てもらうようにお願いして、私は急いでシャワーを浴びる。昨日入っていない七生もざっと洗ってやって、ヒゲを剃ってたら11時5分前。急いで服を着て、フロントからの呼び出しの電話に、11時を少し回ってロビーに降りる。すでにO君とレンタカー屋が待っていて、いっしょに送迎のワゴン車に乗り込む。渋滞の県庁前を抜けて空港方面へ。国場川を渡ったところ、車で10分はかからない場所に「トラベルレンタカー」はあった。すぐ近くにガジュマルの樹上に造られたデザインのレストラン(アジア食堂)もある。
 ガラス張りの店内でカウンターに座って、沖縄顔のお姉さんと手続きをする。Vitzが12時間で税込み4400円とは安い。ただし、免責補償や休業補償は別途(というか免責補償の制度はないみたい)。七生のチャイルドシートは無料だが、陽太のジュニアシートを1台分520円で借りて取り付けてもらう。暑い車内に乗り込んで、11時半に走り出す。さてどこに行くかと泥縄で考えて、結局、少し遠いがO君が最初から行きたいといっていた巨大な水槽がある水族館に行ってみることにする。
 那覇市内の国道329号を走って、沖縄自動車道の那覇ICまでは20分ほど。12時に高速に乗ってからは100km/hくらいで追い越し車線を走り続ける。空は晴れたり曇ったり。O君が言っていたが、ほとんど山の中を走っているので、別に沖縄らしいわけじゃなく、気分的には中央高速を走っているのと大して変わらない。それにしても追い越していく車がほとんどない。沖縄の人はみんな安全運転なんだね。というか、そこまで急ぐ必要がないからか。
 距離にして60km弱、時速どおりだいたい35分で自動車道の北の終点となる許田(きょだ)ICを降りる。ここからさらに海沿いの一般道を20kmほど走ることになる。その前に、下りてすぐ国道58号沿いにあった「道の駅許田」に車を入れて休憩。道の駅だが、青果や日用品、鮮魚まで扱うスーパー「やんばる物産センター」があって、地元ナンバーも多く、ずいぶん土くさい匂いがする施設である。トイレに行ってから、並ぶ地元ファストフードの売店の中から、沖縄のおやつならこれだろうとサーターアンダギーを買いに。
 先にO君が買ったパイン味のサーターアンダギーを一口もらうと、これがまだ暖かくてうまい。模擬店のようないいかげんな売店で買ったやつだが、さすがに沖縄、この気候で作り立てを食うとどこでもうまいんだ。そこでさっそく私も黒糖と普通のやつを1個ずつ買う。陽太にはイチゴミルクのかき氷(これも沖縄名物ですな)を買って車に戻って食べさせる。O君がいましも揚げ立てでのサーターアンダギーをまた買ってきて、これがまたうまい。昼飯前だというのに食いすぎ。
 天気はやや回復して、窓越しに日差しが照りつける。名護の市街あたりには、国道沿いにポツンとパラソルが立っていて、何かと思うと露店のアイスクリーム屋がそこここにある。さながら昭和のアイス売りのように、あるのは保冷ボックスと人ひとりだけである。バス停とか公園の近くとかならまだしも、こんなところに店を出して人が来るのかという何もなさそうな場所にもアイス売りがいて、「これで儲かるんかいな」とみんなで不思議がる。
 名護市街で道を左へ分かれ、海岸沿いを走る国道449号に。道の駅で水族館の割引券を買い忘れたので、途中の「MMC」というダイビングショップに寄ってO君が買う。ついでに店の人に聞いたら、水族館にもレストランはあるが、混んでいるだろうとここでいわれたので、着く前にどこかで昼食を食べることにする。O君が「カンに任せますよ」というので、本部(もとぶ)大橋を渡って、あとは左に曲がればもう少しで水族館のある沖縄記念公園というところで、国道沿いにある1件のレストランに1時20分に入る。
 照り返しのきついコンクリートの駐車場に停め、沖縄らしい平らな屋根のコンクリート作りの住居とも店舗ともつかない店に入る。「アンビシャス」という名前だが、内装は安っぽいスナックである。テーブルの上に100円占いのガチャガチャでも置いてあれば似合いそう。いかにも土建業な地元の人が1組、昼飯を食べている。地元の人向けの定食屋、夜はスナックとみた。間違えて車を入れそうになったすぐ隣の家が店の人の住居らしく、庭に「ここに停めてもけっこうです」とある。道沿いには小さなプレハブ小屋の生乳アイスクリーム屋も併設。
 入口脇のテレビの前の少し広めの席に陣取って、5人でメニューを眺める。私はそんなに腹が減ってないので沖縄そば、みーと陽太はそれぞれタコライス、O君は沖縄旅行で食いたいといっていたステーキ200gの定食(わずか1000円!)。店の奥の厨房近辺で忙しそうで、笑顔のないおばさんに頼む。TVでは「新婚さんいらっしゃい」。まず出てきた沖縄そばはなかなかうまい。タコライスはチリパウダーがかかっていて辛かったので、代わりに陽太と七生にそばを分けて食べさせ、私がタコライスを食べる。
 遅れて出てきたO君のステーキはレアでニンニクの香りがプンプンと強烈に漂う。缶を開けて温めたボウル一杯のクリームスープが付く。肉を一片もらったが、そんなに悪い肉じゃない。瓶で付いてくるソースが、さすがに沖縄のテイストである。タコライスがやたら量が多くて、結局腹いっぱい。2時に店を出て、あとは3分ほど海沿いを走ると水族館の駐車場の入口だ。しかし満車。数百メートル離れる第2駐車場を案内する紙を渡されるが、この炎天下じゃ歩かされるのもたまらん。
 Uターンして、道を挟んで駐車場入口の対面にあった無料の公共駐車場に入れる。七生を抱いて、それでも300mほどは歩いて「沖縄美(ちゅ)ら海水族館」へ向かう。ちょうど海を見下ろす坂に建っており、4Fがゲート、3Fが入口で斜めに下へ移動しながら1Fから出るような構造になっている。石とコンクリートとガラスを組み合わせた凝った建築の後ろに沖縄の海が広がり、なかなかいい景色だ。一番暑い2時過ぎの屋外から冷房のキンキンに効いた建物の中に入る。気温差ありすぎで体には少々キツイ。
 車でたっぷり寝た七生はご機嫌でロビーを歩く。みーとO君のトイレを待って、2時20分に自動改札ゲートから入場。沖縄の水族館と思えないくらいに人がいっぱいいる。右手には子供がヒトデなどを触れる浅い「タッチプール」。左手には水槽を巻いて徐々に右回りに降りていくスロープの通路となっている。この水槽は沖縄の海を模したような造りで、珊瑚や熱帯魚がきれいなのだが、陽太が勢いをつけてスロープを降りていくので、1つ1つをじっくり見られない。それに水槽の前はけっこうな人だかりで、その頭越しにさらっと眺めながら、人垣の後ろを足早に進む。
 個別の小さな水槽が並ぶ暗い展示室を抜けると、この水族館のメインとなる「黒潮の海」という大水槽が目の前に現れる。中にマンタやジンベイザメが悠々と泳いでいるのが見える。ちょうど2Fにあたるこの場所は、建物を上下に貫く水槽の中間くらいの高さ。ここから1Fまでは吹き抜けで、水槽を望むステージ状になっている。客席を兼ねる九十九折のスロープを徐々に降りていくと、最下部の幅22.5m×高さ8.2mという巨大なアクリルの窓の前に出る。映画のスクリーンさながらの窓の中をたくさんの魚たちが泳いでいる。うーむ、これはすごい。いままでの水族館のイメージを超えたスケールだ。
 水槽の幅35m、奥行き27m、深さ10mと海を切り出して見ているみたい。ちなみにこの巨大なアクリルの窓はギネスブック認定で、厚さもなんと60cmもあるそうだ。私が見た水族館の中でも、まちがいなくNo.1認定である。陽太は展示を見てはいるのだが、さらっと行ってしまうので、後ろのみーと七生、O君たちとずいぶん離れてしまった。この巨大な水のパノラマの前でしばし停まって、追いついてくるのを待つことにする。先に行きたがる陽太を説得しつつ、ムービーや写真を撮りながら10分ほどすると、ようやく3人が追いついてきた。
 O君は希望が叶って、しかも期待通り(以上?)だったことに感動しているよう。「ここに泊まりたい」とさえいっている。車飛ばして来た甲斐があったよ。みーと七生・陽太と水槽を下から眺める「アクアルーム」に入って魚たちのお腹を眺める。私はあまりに途中の展示を飛ばしてきたので、陽太を連れていったん通路を戻って、タッチプールから見直すことにする。陽太はヒトデに少しだけ触った。やたら観光客から中国語が飛び交っているのも不思議だが、説明しているお姉さんが「触るときに水から出さないで」という意味の手書きの中国語のプラカードを片手で見せているのもおかしい。
 ゆっくり各水槽を見直そうと思ったら、みーから「3時から給餌が始まるよ」と電話があり、結局はまた急ぎ足で1Fの巨大ウィンドウの前に戻る。4Fの床にあたる水面から餌が降ってきて、ゆっくりと水中を落ちていく。それをジンベイザメや魚たちが食べているのをバックに、窓の脇でお姉さんがマイクで解説している。魚たちが口を開けて食べる様子は面白いが、餌をやると水が一気に濁るので、見た目はあまりキレイではない(1時間半で全部の水が入れ替わるといっていたが)。給餌が終わって、集まっていた人がバラけ出したところで、まともに昼食を食べなかった陽太が「お腹空いた」と言い出した。
 1時間もいるとさすがに疲れたな。てことで「黒潮の海」の水槽を望む隣のカフェ「オーシャンブルー」に入って一服にする。陽太にはみーがジャンバラヤを食べさせるが、入っているパプリカや香辛料がひっかかるのか、チビチビとしか食べない。それでも半分くらいは食べさせて、われわれも20分くらいは椅子に座って、コーヒーやジュースを飲んで傍らの水槽で泳ぐ魚たちをボーッと眺める。そろそろ行くかと、順路の最後にサメの模型や深海の展示を眺めておしまい。陽太をトイレに行かせ、お土産売場でO君がジンベイザメのTシャツを2枚買うのを待って、4時過ぎに1Fの出口から外に出る。相変わらず外はむっとする空気に包まれる。
 エスカレーターで4Fまで戻り、七生のオムツを換えてから駐車場への道を戻る。車に戻ったが、車内の暑さにしばらくクーラーを全開にして、10分ほど木陰で待つ。大人たちは暑さにうんざりだが、元気な七生は芝生で歩いて遊ぶ。4時半にやっと乗り込んで出発。みーとO君が帰り道にある名護の「パイナップルパーク」に寄りたいというので、来る時とは違って山の中の道を戻る。水族館からは30分ほどで着いたが、陽太が寝てしまったので、私と七生は車で待つ。
 降りて入口を見に行ったみーとO君は、外の売店でパイナップルジュースだけ買って5分ほどですぐに戻って来た。中はパイナップル型のカートに乗って巡るらしいが、500円払って入るほどでもなさそうだったそうな。喉が渇いていた私はこの細長い一輪挿しみたいな容器に入ったジュースが激ウマだったが、O君がいうには砂糖が入ってるよう。あとは那覇に帰るべく許田ICまで車を走らせるが、意外にも名護市内はけっこう混んでいた。高速に乗る前に、また許田の道の駅に寄る。
 O君はまたサーターアンダギー(明日の朝飯にするそう)を買って、私は隣接のスーパーでなにかお土産になりそうなものを探す。O君に子守りを交代してもらい、みーもやってきて店内をうろつく。私はちょっと重いが「チョコもち」なるものをバラで1ダース買い。みーはさんぴん茶の茶葉とやはりチョコもちを買う。レジのカウンターの上には半分に切られた新聞紙が3cmほど詰まれていて、これで野菜とかを包装するんだろう。昔はこういう風景、町の商店では普通にあったよね。
 40分ほどお土産の買物に費やして、6時に再び出発。許田から自動車道に乗ると、七生も寝てしまった。順調に那覇ICまでまた35分ほどで、さらに川の南側の329号を20分ほど走る。みーがバイクが少ないねというが、この暑さじゃクーラーの効く車に乗りたくなるわな。指定のスタンドでガソリンを入れてから、返却予定で告げていた7時ピッタリにトラベルレンタカーに到着。車を戻して、ハイエースでホテルまで送ってもらう。みーが運転手に聞いたら、アジア食堂の樹はやはり作り物だそうだ(そりゃそうだ)。
 いったん部屋に戻って、すぐ7時半にロビーで待ち合わせをして、夕食に出る。幸いなことに、水に濡れて送受信不能だったみーの携帯は復活した。陽太も七生も昼寝をしたので少し安心だが、陽太が早く早くとうるさいので、ホテル近くの店にしておく。裏通りで客待ちのタクシーの運ちゃんが道行く観光客になぜか店を勧めているのが不思議だ。みーとO君によさげな店を選んでもらい、「あかさたな」という琉球家庭料理を標榜する店に入る。小さな雑居ビルの2Fにある狭い店。観光客がほとんどっぽい。ちょうど同じタイミングで来た4人家族と大きめの正方形のテーブルに角を挟んで相席になる。
 子供たちにはやはりソーメンチャンプルーで、大人たちは定番の沖縄料理。昨日まで食べてなかったものはスクガラス豆腐、もずく天、中身汁といったところ。山羊刺しもあったけど、チャレンジする勢いがなかった。往復約200kmのドライブにけっこう疲れ気味だった私だが、またオリオンの生で復活。そんなに食べはしなかったが、ご機嫌の七生を膝に抱いていい気分で飲む。新潟から来たという隣の家族連れの長男(5歳)と、ANAでもらったポケモンの絵本をネタに遊ぶ(子供ってよくキャラ名憶えてるよな)。しかし、家族4人とも似たような色違いのアロハを着ていて、実にわかりやすいリゾート客だな。
 この子供の相手でよくわからなかったが、みーもO君も料理にはかなり満足したみたい。陽太は意外にもここのシークヮーサージュースは気に入って、最初は七生と半分に分けた分を一気飲みして、おかわりしていた(気まぐれだからな)。ソーメンで足りなかったらしい七生はラフテーも食べる。全体に癖がなく上品な味はともかく、量も上品なのはちょっと物足りないかな。でも、会計1万円弱とこっちに来てから一番安めだった。興味のないポケモンの名前当てクイズにも飽きたので、隣の客に別れを言って、9時に店を出てホテルに戻る。
 みーはもう少しお土産を見たいとひとりで買物に出て、しばらく陽太と七生とで部屋で遊ぶ。陽太は浴衣の紐を振り回して「ローラ!」とロールパンナのまねで汗だく。七生もレースのカーテンにくるまってキャーキャー喜んでいる(宮古でもやってた)。私は宮古で余ったチョコウエハースを食べながらTVの開票速報を見つつ、勝手に部屋で遊ぶ二人をときどきケアする。七生はベッドサイドのラジオのスイッチを入れたり消したり、内線電話の受話器をカールコードの限界まで思いっきり引っ張ったりと、なかなか放っておけない。
 小一時間で買物を済ませたみーが戻ってきて、ついでに隣のファミマで氷とおつまみと明日の朝の牛乳を買ってきてくれた。O君がドアをノックして部屋で飲みに来たが、とりあえずは子供たちを先に寝かせようと待ってもらい、10時半に電気を暗くして私は陽太と布団で、みーは七生とベッドで添い寝で寝かせにかかる。疲れと酔いで、当然のようにいっしょに寝てしまう。
 気がついたら0時。O君と飲む約束をしていたので、氷とつまみと残っていた泡盛「多良川」の瓶を持って403号室に出向く。O君も待ちくたびれて寝ていたらしいが、ノックしたら起きて来て、参院選挙の開票速報を見ながらベッドに座って二人で飲む。自民党がもっと減らすかと思っていたが、大したことないな。みーの買ってきたえんどう豆スナックが意外にうまい。7分目まであった多良川の瓶を二人で空けて、手荷物を少なくしたところで2時に部屋に戻る。
 みーも含めて3人ともお休み中の横で、パソコンに移したMZ3のムービーから、グラスボートや水族館の写り具合を確かめておく。海亀の昼寝は海の色とのコントラストがあいまいで判別できるか微妙だなー。そうこうしていると遅くなって、3時に就寝。寝る前に気付いたら、疲れたせいか右の扁桃腺のあたりが食べ物がひっかかったようにイガイガしている。むー、風邪ひいたのかな。いよいよ明日は帰るわけだが、もともと実質1日では期待していなかったが、本島では水族館に行っただけだった。それより起きられるのか。

地元に根付いたなかなか土くさいキッチュな雰囲気が溢れる許田の道の駅 「黒潮の海」の巨大なパノラマウィンドウ。人と比べるとその大きさがわかる 頭上を横切るマンタやジンベイザメに七生も思わず見上げる

2004年7月10日(土) 宮古から本島へ
 8時起き。さすがにみーはまだ寝ているが、陽太と七生が起きて目を覚ました。昨晩はN間ちゃんとワイン1本を開けて、さらにデカンタを追加したとか。楽しかったみたいですよ。朝食のチケットを持って8時45分にシャングリ・ラへ。ペタペタと楽しげに歩く七生だが安物のサンダル(甲の部分がマジックテープ)がすぐに脱げてダメだ。まだ時間が早いので店内はすごい人で、テーブルもほぼ満席。空くのを少し待って、昨日とほぼ同じ窓際のテーブルを取る。
 9時を過ぎると一気に人が減ったので落ち着いて食べる。パンの種類とか、ゴーヤチャンプルと目玉焼きがなかったりとか、昨日とは微妙にメニューも違っている。私は牛乳にシークヮーサージュースも飲んでみた。陽太は相変わらずジャムパンにソーセージ、パイナップル。このパイナップルがまたうまい。西瓜も出ていたので七生にあげたら、そりゃよく食べる。安物じゃないのでちゃんと甘いしな。また同じタイミングでO君も来ていたので、イスを持ってきて少し話をする。
 朝食を終えて、先にロビーのカウンターに行って、レンタカーの手配をしておく。しかし安いクラスは全部で払っていて、午後からしか空いていないと言う。再度ジャパレンに電話してもらうと、大きめのSAクラスならあるという。6時間で9900円だが、時間優先で妥協して配車してもらう。10時前に部屋に戻って、私と陽太はシャワーを浴びる。チェックアウトが11時なので余裕があるはずが、荷物が多いのでなかなか大変。荷造りに11時10分までかかってようやく部屋を出る。
 すでにO君も来ていて、レンタカーの人が待っているというので、先にレンタカーの書類手続きを済ませて料金を払う。玄関先に停めてある車を受け取ると、手続きの間ずっとエンジンかけっぱなしだったらしい(おそらく冷房のためだろう)。鍵を抜いて急いでロビーに戻ってチェックアウト。KMさんにお礼を言ってカードで決済する。1泊1.2万円と半額以下にはしてくれたが、レジャー(オイルマッサージもね)や昼食などで2万円余り加算で、合計約7万円。家族4人で2泊の料金なら、うーん安いのか高いのか。O君は1泊1万円だったが、あの部屋じゃ微妙だな。
 KMさんによると今年はいまがとても混雑していて、盛夏の時期のほうがまだ空いているというが、それは料金が高いからだろう。KMさんに「また来ます」と行って分かれ、荷物を車に積み込み、乗り込んで11時半に東急リゾートに別れを告げる。借りた車はカムリで、さすがに広くて乗り心地もいい。余裕がある走り。まずは平良の市街地の方へ向かい、車中でどこへ行くかを検討する。3年前の記憶で伊良部島もよかったので、時間が合えば船で行ってみるかと提案。
 ガイドブックで時刻表を調べる。4時までには空港に帰って来たいので、復路は2時半の便に設定。行きは次が12時発のはやて海運で、これを逃すと1時45分。これじゃ島にタッチしてくるだけで意味がない。とりあえず平良のフェリーターミナルに行って埠頭に車を停め、私と陽太だけ降りて窓口で確認してみる。時計はちょうど12時を指している。人客船ならもう少し頻繁にあるのだが、それじゃ車を借りた意味がないのであきらめる。とてもじゃないが、暑くて徒歩で観光するような天気じゃないしな。
 車に戻ってドライブを再開。N間ちゃんの住む狩俣の方まで行ってみることにする。宮古島と池間島を結ぶ池間大橋まで一気に行って、橋の上でいったん停めて景色を眺める。七生はもう車で寝てしまった。橋を渡りきって、池間島の入口にある海の家で休憩。ここの展望台は物干し台みたいだが、景色はいい。O君がサザエのつぼ焼きとマンゴーを2個を買ってくるが、これで1150円とは安い。しかもこのマンゴーがうまい! 喉が渇いていたせいかもしれないが、濃厚なジューシーさが口に染み渡る。
 陽太にはブルーシールのアイスを食べさせてたら、すぐに溶けてぼとぼとこぼしている。寝ている七生をベンチに寝かせてトイレ。みーが店の女将さんに言われて、八重干瀬並みの海中が見れるというグラスボートを勧められる。一回乗ってみたかったことだし、一人2000円を払って乗ることにする(子供はタダ)。海の家にあったわかりにくい看板を見ると徒歩200mと勘違いしたが、車で付いて来いという。先導する店の車についていったら1km以上は走って港に出た。
 掘っ立て小屋のような乗船場に着き、車を停めて外に出ると、むっとするほどの暑さ。みーに抱かれた七生も目を覚ました。次の出発は1時5分というが、あまりに暑いので先に船に乗り込む。この船が思ったよりちゃちい。幅3m、長さ6mくらいで、貧相な日よけの屋根と、両脇にビニールシートの波よけ、船底の真ん中に海中を覗く生簀のような細長いガラスの窓。他には沖縄の人らしい母娘4代と思われる家族と、観光客のカップルが1組が同乗する。
 最後のカップルを待ったため、予定を遅れて1時15分に出発。思ったよりも波は高く、ぐわんぐわんと揺れながら船は小さな港を出る。池間大橋をくぐって、大神島の近くまで行くと言っていたから、けっこうな距離だ。陽太は、前にある窓ガラスから外を覗いている。島の近くのエメラルド色に見える海は、珊瑚が死滅して砂になっている場所らしい。後ろでエンジンを操るおじさんは、いかにも気のよさそうな島の人で、あれこれ説明してくれるが、なにせエンジン音がうるさくてよく聞こえない。
 池間大橋をくぐってしばらくすると、海は濃紺の色に変わる。しばらく走り続けると海はまた浅くなり、15分ほどで最初のポイントに到着。乗船客が一斉に船倉の窓を覗き込む。キレイな珊瑚礁を熱帯魚が泳いでいるのが見える。おじさんの説明によると「ここは漁師しか入れないウガンバシという場所で、八重干瀬よりこっちのほうがいい」というようなことを言っている。八重干瀬に行ったことがないんで比較できないが、おじさんは自分が写真撮影の案内をしているからと自信たっぷり。
 続いて「海亀が昼寝する場所に行く」という。半信半疑でまた10分くらい船で移動。島以外は何も目印がない海の上なのに、エンジンの速度を緩めると「あと25mくらいだから」とおじさんは言う。そこでガラスの窓から海の底を覗いていると、確かに見えた! 3〜4匹はいるだろう。海底にうずくまるように海亀がじっとしている。先ほどよりやや深いのでぼんやりと甲羅と手足・頭が見える。動かないので昼寝しているといえばそうなんだろうが、というか、どうやって海のポイントがわかるんだオジサン。
 続いては一番でかい珊瑚を見せてくれるという。これも正確に場所へと誘導してくれる。世間では5m程度ででかいらしいが、直径14mくらいあるやつ、年齢にして1400歳だって。確かにでかいんだが、船の窓が狭いもんで全貌がよくわからん。そもそも珊瑚について詳しくないので、そのすごさをイマイチ理解していない私たち。
 ここらへんまではずっと窓を覗いていた陽太と七生だったが、そろそろ飽きてきたらしい。移動の間はぼーっとイスに座っている。最後にオジサンは「アジサイ色の珊瑚」を見せてくれた。通常ねずみ色の珊瑚だが、確かに青紫色に輝いている。これはこの場所にしかないらしい。なるほどー、いいもの見せてもらったなー。それにしてもおじさん頭の中のGPSの精度は大したもんだ。
 1時50分を回って、これにて海中観察は終了。港に引き返す。すぐそばに大神島が見えるので、20分くらいはまた海を走ることになる。目が半分閉じかけていた陽太だったが、そのうち私にもたれかかって寝てしまった。波があるので、前の窓から飛沫が飛び込んでくる。全開だった窓をみーが5cmほどに閉めたが、風が入らなくて暑い。私が再び20cmほどに開けたら、池間大橋をくぐるとき、ちょうど前を横切ったレジャーボートの航跡に乗って、大きく船が跳ねた。
 と思ったら、窓からバケツでかけたような水が入ってきた。その場所にいたみーと七生は上半身がずぶ濡れ。おまけにウェストバッグのポケットにあったケータイも被害。おじさんは相手の船に怒っていたが、そういう問題なのか。まー、とにかく揺れも激しいことなので、寝ている陽太を抱いて港まで我慢する。2時20分に岸について、順に降りる。予定の50分を上回って、おじさんサービスしてくれたらしい。岸に着く前にケータイ連絡して「あー、おじさん帰ってきたから」という言葉にも受けた。
 暑いので、とりあえず車に戻って移動。いい時間になったので、昼飯も食べないといけない。池間大橋を渡って狩俣の集落へ戻り、おそらくこの辺で唯一かと思われる「すむばり」という食堂に入る。その前に、みーと七生は車で濡れた服を着替えて来る。店の前には「わ」ナンバーのコルトが2台停まっており、この時間にしては店内はけっこう人がいる。この店の売りはタコらしい。タコライスのタコではなく、海のタコのほうである。試しにO君が頼んだタコ炒めを食ってみたら柔らかくておいしい。しょっぱい味付けもあってか、陽太もパクパク食べる。
 忙しいせいか愛想のないお姉さんに注文してしばらく待ち、O君は具の全部入りと思われるすむばりそば、私は豚とナーベーラーの丼、みーはパパイヤ炒め定食を頼んだがこれがなんとカレー味でした。陽太にとわざわざ頼んだざるそばは、やはり緑色をしていて、タレがやや酸味がきつかったためか食べない。残してももったいないので私が無理やり食べたが、そば自体はぼそぼそとコンビニの麺みたいであまり腰がない。暖かいそばの方がうまいかな。
 3時40分に店を出て、宮古空港に向かう。池間島に行って昼を食べただけで、十分な時間になってしまった。4時5分に駐車場に止め、荷物を持ってロビーに。1Fのジャパレンのカウンターに行くと人がいなかったので、朝に言われたとおりに車のキーを壷に入れて、ケータイで返却の連絡を入れ、駐車場番号を伝えておく。来るときにもらっていた航空券でチェックインを済ませ、忙しく2Fの出発ロビーに上がると4時20分。N間さんが来るのを待つ。マンゴーを送ってもらう住所を伝えておかねばならない。
 みーとO君は公衆電話にあったメモ用紙に送り先を書き留めていたが、出発まであと30分しかない。さっき水をかぶったせいか、みーのケータイは電源は入るものも電波が入らない状態になっているのも間が悪い。すむばりで食べなかった陽太は案の定「お腹すいた」というもので、みーが売店でチョコパンを買ってロビーの椅子に座って食べさせる。これを見た七生も黙っていないので、沖縄名物「うずまきパン」を食べさせる。親もちょっとつまんでみたら、確かに砂糖がじゃりじゃりとするが、妙にうまい。宮古のベーカリー直送だからか。
 こうするうちにもN間ちゃんから連絡もこないまま、時間は過ぎていく。私のケータイの番号も教えておいたのだが、かかってこない。15分前までにはゲートに行っておきたいところだ。パンを食べさせながら1Fから昇ってくるエスカレーターを睨んでいたが、時計はついに4時35分を回る。手荷物には重いモズクもいっしょに宅急便で送ってもらおうと思ったんだが、あきらめるか。ま、ウチナーはてーげーだからな。荷物と身体検査を抜けて、なおも後ろを見ながらゲートに向かう。
 ガラス越しのロビーを見ていたが、10分前に搭乗が開始され、さすがにあきらめて飛行機に乗り込む。予定の4時50分に那覇行きの飛行機は出発。3年前は同じような状況で、そのときはN間ちゃんは来たんだがなー(借りていた車を返すという重要性があったからだが)。機内では、また陽太はメタルの組み立て飛行機をもらう陽太。七生には、ピカチュウの絵本。みーの膝で落ち着いていないが、私は疲れたのでウトウトする。あっという間に5時40分に那覇空港に着陸。
 まだ寝たりない私はぼーっとしていて、到着ロビーを出てから少し休憩。そこにあった水槽の魚を眺めて陽太は喜んでいる。売店のブルーシールをO君と陽太が食べて、仕切り直して出発。沖縄唯一の軌道路線のモノレール「ゆいレール」の駅へと連絡陸橋を移動。6時10分発の列車に乗車。空港の周辺は自衛隊の基地らしく広々としている。陽太は一番後ろの席で軌道を眺めているが、私はまだ席でぐったり。途中の駅からけっこう人が乗ってきて思いのほか混雑している。ホテルのある県庁前駅までは12分程度で、意外に早く到着。
 県庁前駅に降り立つと、いきなり那覇市のど真ん中あたりで、ビルが立ち並ぶ都会の風景。ちょうど参院選前の最終日とあって、候補者の名前を連呼する声がやかましい。駅からホテルが見えたので、高架の駅から通りに降り、交差点を渡って歩く。3分ほどで那覇の宿「サンパレス」に到着。チェックインして4階の411号室に入る。荷物を置いて、ベッドに腰掛けてしばし休息。陽太も一人分払って和洋室という3人用の部屋にしたので広い。ただし古い。窓からは川をはさんでさっきのモノレールの軌道が見える。
 O君がシャワーを浴びるというので、7時半まで和室のTVでクレヨンしんちゃんを見ながら少し待つ。サンダルに履き替えて、那覇の夜の町に繰り出す。川を渡って、1ブロック向こうがもう国際通りの入口。陽太も七生もお疲れ気味だし、近いところにしておいてよかった。夜の国際通りは土産物屋でぎらぎらしていて、中華街か竹下通りかという感じ。あからさまな観光客目当てで、疲れた状態ではあまり興味が湧かない。1本裏の通りに入ると、飲み屋街。そこここに呼び込みの店員がコピーのチラシを配っていたので、そのうちの1枚をもらってその店に行ってみる。
 ビルの地下にある「まんざら亭」という居酒屋。黒い下足入れに靴を入れ、裸足で店に上がると内装も黒い。通された奥の座敷は、大きく2つに区切られた片方では15人ほどで大盛り上がりの宴会中、もう片方は観光客らしい大所帯の家族連れで8人くらい。その隣の4人テーブルに腰を降ろす。抱いていた七生はもう寝てしまっていたので、座布団をもらって横にする。隣のタバコの煙が部屋に充満していて目が痛いが、とりあえず生ビール、陽太にはカルピス、食事をいくつか注文する。
 隣の宴会で忙しいのか、なかなか頼んだドリンクも料理もこない。15分も経つと、みーにもたれかかっていた陽太も耐え切れずに寝てしまった。やっときた生ビールで乾杯するが、カルピスはどーすんだよ。来たときは疲れと胸焼けで食欲のなかった私だが、冷えたオリオン1杯で復活。沖縄で飲むオリオンてなぜこんなにうまいんだろうね。陽太も座敷に横にして、大人3人でまったりと夕食を楽しむ。隣の家族は早々に帰って行ったので、タバコの被害も緩和された。
 最初は胃と相談して、オクラの梅和え、茄子の煮浸し、鰹の刺身など、和風なメニューばかり頼んでいた。あとはとうふようをちびちびやっていたが、そのうち調子が出てきたので、ふーチャンプルも頼む。ここでは魚料理がうまかった。最初はO君がミーバイを頼んだが、なかったので適当に似た魚に変えてもらったのだが、唐揚げをガーリックトマトバター味でピリ辛に煮付けてあってうまい! ちょっとアクアパッツアのような味。骨までしゃぶって食べていたらO君に「本当に魚好きですよね」と皮肉られる。
 子供たちが二人とも寝てしまったので、O君と泡盛に変えて飲む。1合ずつ、最初は松藤5年、次がおもろ10年。どちらもロックできりりと辛口でうまい。個人的には松藤が気に入った。最初は体調のせいもあって対応にかなり不満だったのだが、最後はけっこういい店じゃないかという気分になって、9時50分に外に出る。3人で1万円ならお値段もまずまず。寝てしまった陽太は私が抱き、七生はO君に抱っこしてもらう。ホテルまで歩いて5分くらいの場所でよかった。O君に部屋に運んでもらい、とりあえず今日はこれでイベントは終了。
 陽太と七生は布団とベッドに寝かせて、みーと二人でN間ちゃんにもらっていたマンゴーを1つ手で皮を剥いて食べる。宮古島産はうまい。二人もかなり疲れたので、初の本島観光となる明日に向けて体力を回復するべく、歯を磨いて11時20分にベッドに横になる。すぐに寝た。3日目終了。残す行動日は実質1日だ。(てか、日記1日分書くのに半日かかってるんですけど(^ ^;))

おわかれ前に東急リゾートで家族写真も撮っておいてもらう 青い海の上を走る池間大橋の上で。向こうが池間島 ちゃちなグラスボート。七生もちゃんと海中を観察してる

2004年7月9日(金) 宮古リゾート三昧
 8時50分起き。エアコンがほどよく効いているので、ずいぶん寝過ごしてしまった。窓の外は、昨日に続いて雲があるながらも晴れている。まだ寝ていた子供たちも起こして、とりあえずは朝食に出かける。例によってシャングリ・ラのバイキング。海沿いの窓際に席を取って、みーと陽太が料理を取ってくるのを待つ。七生はなぜかプチトマトが非常に気に入ったらしく、次から次から口に入れて、20個くらいは食べたかも。あとはウィンナーも。
 みーが座ったところで、私も代わって料理を取ってきて食べる。ここのバイキングはよくある作り置き感がないところがいい。鶏肉ソテー、ハンバーグ、レンコンはさみ揚げ、ベーコン、焼きたての目玉焼き、3種類ほどのパンにクロワッサンにベーグル、牛乳とオレンジジュース。みーは朝からゴーヤチャンプル、陽太はリンゴジュースにジャムパン。他にもたくさんあったけど、いつもどおりにパン食を中心に食べる。途中でやってきたO君も見つけて、少し話をしてから店を出る。
 部屋に戻る前に、七生を連れてO君のシングルルームを見せてもらうが、確かに狭くてビジネスホテル並み。しかもこのホテルでは稀少な海を向いていない部屋なのだ。窓からは下の駐車場とテニスコート、その向こうにはさとうきび畑が見える。海辺のリゾートなのに、この風景は妙におかしい。沖縄らしいともいえるが。O君が言うには、オーシャンウィングの海側も全部ツインらしく、どうやらシングルルームはこの6Fと4Fの島側にある2つしかないようだ。つまり一人で泊まる時点で選択肢はないってことか。
 昨日空港でもらった無料ガイドブック「んみゃーち」に、O君が面白いことを発見した。奥付の編集後記に見覚えのある名前が。HZさんとKBくんだ。以前、私と同じ雑誌を作っていた2人だ。HZさんが編集人で、KBくんが編集長となっている。姓名とも同じなので間違いないだろう。こんな仕事をやっていたとは。KB君はもともと「るるぶ」のバイトで取材をしていた経験を生かしたのだろうが、宮古島に取材に来れるなんてちょっと羨ましいぞ。いや、仕事で来ても大変なことも多いだろうが。
 部屋に戻って、みんな水着に着替え、日焼け止めを塗って出る。また陽太が急かしてうるさいので、七生と3人で先に11時に部屋を出る。まず、プールで小手調べ。七生の脇を抱えてプールに入れて、ユラユラと脚から先をつけて動かすと笑っている。よしよし。ということで、少し乱暴にバシャバシャやっても「うきゃ」っと喜んでいるから大丈夫。水に慣れてきたようだな。先に海に行っていたO君が戻ってきて「いつまでも来ないと思ったら」と言われたので、陽太を誘って海に出向く。
 空は薄雲がゆっくり流れ、たまに切れたときに強い日差しが照りつける。あまりピーカンでも日差しが痛くて困るので、海水浴にはちょうどいいくらいの晴れの天気だ。海辺のパラソルをひとつ取って、ひとり遊ぶ陽太の横で、七生の脚を波打ち際につけてみる。昨日と違って大丈夫みたい。少し調子に乗って、七生を抱いて、そのまま海の中に入っていってみる。私の胸の下あたり、七生の体も浸かるくらいの深さに入っても大丈夫。むしろゆらゆらと寄せる波の動きに喜んでいるみたいだ。よしよし。
 しばらくして、みーもやって来た。陽太も同様に抱えて水に入ってみたが、足がつかないのは嫌らしく、泣きそうになっている。みーに頼んで、浮き輪を借りるか買ってきてもらうことにする。さらに20分ほど待って、売店で1680円で買って膨らませてくれたという浮き輪を持って、みーが戻って来た。これで陽太は心おきなく沖に出て行く。といっても、私が横に付き添っているわけだが。波も穏やかで、数々の魚たちがすぐそばに泳いでいる。
 砂浜に戻った陽太が「これに乗りたい」といって指差したのはバナナボート。時刻は11時45分くらい。レジャーカウンターに行って、ボートを3人分申し込みする。一人2100円は高いが、まーリゾート価格だからね。「いま乗っている人が戻ってきたら乗っていいですよ」と言われて砂浜に戻ると、みーに抱かれた七生がいましも寝そうになっている。再びカウンターで、ウキウキマットとタオルを1枚借りて、パラソルの影に敷いて七生を寝かせる。
 ちょうどバナナボートが戻ってきたので、陽太が「早く乗りたい」とうるさい。七生はまだ眠りが浅く、みーにしがみついているので、家族で乗る予定だったが、O君と3人で乗ることにする。陽太にライフジャケットを着せて、O君と私も装着。陽太を先頭に5人乗りの4mくらいの長さのバナナボートにまたがり、持ち手につかまる。運転手に「子供が先頭で大丈夫ですか」と聞くと、ゆっくり走るから大丈夫という。七生を無事に寝かせて、浜でムービーを撮り始めたみーに手を振りながらゆっくりと海の上を走り出す。
 来間大橋のほうに蛇行しながら、ポンポンと弾みながらゆっくりと海面を移動。陽太は、波を超えて弾むたびに「うゎー」だの「おぁー」だの言葉にならない感嘆の声をあげて、とっても楽しそう。浅い砂浜のエリアを抜けると、海はエメラルドグリーンから一気に紺碧の色に変わる。引っ張るジェットスキーの航跡に乗り上げるとボートが飛ぶように揺れる。これが大人ばかりだともっと派手なんだろうけどね。そろそろ戻るあたりから、陽太も落ち着いたらしく、嬌声も少なくなって景色を眺めている。
 水に近いので、スピードがそんなになくても気持ちいい。10分ほどの体験を終えて砂浜に戻る。運転手に「ゆっくりだから大人は物足りなかったでしょう」と言われたが、陽太は十分楽しんだようだ。12時を回って、太陽は上からじりじりと暑い、というとよりまともに照ると痛い。日焼け止めを塗ってきたのだが、脚はすでに赤くなり始めている。パラソルの陰で風に吹かれている七生は、気持ちよさそうに眠っている。眠かったのね。
 浮き輪の陽太を押しながら、海に入って海水浴を楽しむ。エメラルドグリーンの中にポツンと黒い場所があるので、ゴーグルをかけて覗いて見ると、小さな岩礁があり、その周りに熱帯魚がたくさん泳いでいた。陽太のゴーグルも取りに戻り、もう一度見せてやる。なかなかこんな体験ないものね。O君も私のゴーグルを借りて少し泳ぎに行く。実は、O君、1週間前にレーザー近視矯正手術を受けて、目の刺激は厳禁なのだが、海の誘惑に負けたらしい。
 小一時間海で遊んで、1時に陽太が「プールに行く」と言い出したので、O君に付いていってもらう。七生はまだ寝ているので、みーと3人でしばらく海辺のパラソルの影で海を眺める。周りは初老の夫婦が意外にも多い。文庫本なんて読んだりしていて余裕である。湘南にいそうな馬鹿そうな若いヤツはほとんどいない。それなりの高級リゾートだからだろう。3年前より混んでいる気がするのは、7月上旬とはいえ夏休みの分散化が進んだからか。それでも海に入っているのは20人くらいと、この広さに対しては十分空いているが。
 陽太とO君が戻ってきて、O君はいったん部屋に戻っていった。七生が目を覚ましたので、1時半に昼食にMoonShellのテラス席に移動する。陽太はまたプールで遊んでいるが、生ビールと昼食を注文。陽太を呼び戻して、タコライスを食べさせる。みーは焼きそば、私はイカ墨ピラフのカレー添え。どれもうまいが、それなりに高いからね。生ビール1杯が890円、陽太がごくごく飲み干したオレンジジュース1杯が580円する。部屋でシャワーを浴びて着替えてきたO君も合流して、クラブサンドイッチを注文。
 ここでは七生も陽太もよく食べ、タコライスはほぼ半分ずつ平らげる。料理が来るのが遅かったので、店員がミックスナッツをサービスでくれた。これをつまみにプールサイドでしばらくのんびり…とはいかない。陽太が食べ終わったらすぐにプールに戻る。浮き輪があるし、しばらく放ったらかしていたが、そのうち監視員のお姉さんが声をかけてくれ、いっしょに遊んでくれる。親としては立場がないので、私もプールに行く。ビール飲んだばかりだってのに、付き合ってプールで泳がされる。
 2時半を回り、たまにカーッと照る日差しが肌に痛い。プールの人影はまばら。食べ終えた七生も抱いてプールに入れ、胸までつけて水面を泳ぐように動かしてやると大いに喜んでいる。さすがに子供は慣れるのが早い。3時前に監視員のお姉さんにお礼をいってプールを出る。海に残していたゴーグルと取りに行き、ウキウキマットを返してから、また少しプールに浸かる陽太を急かして部屋に戻る。こんなに水に浸かっていたら、昼寝しないと絶対に夜まで持たないだろう。
 すぐに子供たちにシャワーを浴びさせて、私とみーも浴びる。あがった陽太は、ものの見事にすぐ寝た。これで夕方は外出できなくなったので、私も寝たいところだが、昼寝した七生が元気で寝てくれない。みーは子供服を洗濯に施設内のコインランドリーに行く。少しだけウトウトしたが七生の相手に起こされて、3時半から6時までは部屋の中でのんびりと過ごす。窓からの景色を写真に撮ったり、部屋でもリゾートしてるからこれも悪くない。
 みーが5時半ごろからベッドに横になると、いっしょに七生がゴロンとなって、ようやく寝たのが6時前。6時〜6時半にN間ちゃんが迎えに来るといっていたが、遅れて7時になると連絡があった(てーげーだからね)。そこで、みーは行きたがっていたフットオイルマッサージに急遽予約を入れて、6時半から行ってくる。私は二人の寝ている写真を撮って、C1に向かって少し日記を書いておく。7時過ぎにみーが戻ってきて、N間ちゃんからルームコールがあり、陽太を起こしてロビーに下りる。
 N間ちゃんのお母さんがモズクをお土産にくれたが、1Lほどのビニールパックが4つもある。部屋の冷蔵庫に押し込んでから、O君を呼び出して再びロビーに集合。今夜はN間ちゃんの甥っ子と姪っ子である、たくや君(5才)とゆうきちゃん(8才)が同伴。2列目のシートは勢いよく土足で乗り超え、イプサムの3列目に乗り込む。7時半にホテルを出発。後ろでキャーキャー騒いでいる二人を尻目に、寝起きの陽太はぼーっと暮れゆく窓の外を眺めている。七生はまだみーに抱かれておやすみ中。
 東急リゾートは年配の人が多いという話になると、たまにフロントの宅配便のバイトもしているN間ちゃんが教えてくれる。毎月くる客や、トップシーズンに10連泊する客もいるという。1泊4万として40万円かよ! 世の中、金持ちが多いんだね。車のクーラーが壊れているので窓を全開で走るが、島の夕暮れの風が心地よい。日中は灼熱でも夜はぐっと過ごしやすくなるのが、都会とは違うところ。N間ちゃんがサンプルで持ってきたマンゴーがとってもいい香り。B級品のいいやつを選んでくれたというが、4個で1000円と言うからかなりお得だ。
 O君はわれわれ家族が部屋で休息している夕方に、自転車を借りて来間大橋を渡って、対岸のグラスボート(海中が見える船)に乗って戻ってきたらしい。ご苦労様です。日本一の農道橋で1.69kmもあり起伏に富んでいるというのに、よく炎天下を自転車で往復したもんだ。ただ、グラスボートは堤防沿いに回るだけでイマイチだったとのこと。
 昨日の西里通りあたりから少し離れた街道(マティダ通り)沿いにある「あぱら樹」という琉球居酒屋に到着。ちなみに「あぱらぎ」とは宮古の方言で美人のことらしいです。裏の狭い駐車場に停めて2階の個室に上がる。七生は座布団の上に寝かせて眠りつづける。大人はビール、子供はオレンジジュースで乾杯。料理は典型的な沖縄料理に加え、居酒屋メニューがいろいろ。昨日食べてなかったのはグルクンの唐揚げ、ミミガー、ラフテー、ナーベーラー(ヘチマ)炒めなど。
 N間ちゃんのお勧め、伊勢海老のオーブン焼きを頼むが、これがワタの苦味が絶妙のソースでうまい。大人の味。半身つく定食で2000円ならとってもお得。O君も絶賛で、海老料理でうまいと思えるのは珍しいかも。ちなみに、たくや君のお父さん(N間ちゃんの義弟)は漁業権を持っていて、しょっちゅう伊勢海老を取ってきては食わせているらしい。とっても羨ましいじゃないか。かくいうたくや君もこの伊勢海老料理はうまいらしく食べていた。
 最初は顔がなじむまでに距離があった子供たちだが、そのうち互いに持ってきたおもちゃで遊び始めた。陽太はアンパンマンの人形が真ん中にはまった絵本がお気に入り。たっぷり3時間は寝た七生も9時前にようやく目を覚まし活動再開。まずは目の前の料理をバクバクと食べる。N間ちゃんも七生の手のかからなさには感心していた。しまいに子供たちは部屋でブリッジしたり、バタバタと部屋の外に出て行ったりして落ち着かなくなるが、あまり気にする人もいない大らかさ。七生はN間ちゃんに抱かれておとなしくしている。O君は近くの昨日のサンエーに歩いて短パンを買いに行って戻って来た。
 私は多分オリオンの生を5杯は確実に飲んだ。8時からほぼ2時間、ビールと料理を堪能して、ゆうきちゃんたちのお父さんが二人を車で迎えに来たのを10時に見送ってから、われわれもお開きにする。会計して1.8万円と今日もよく食った。再びN間ちゃんの車に乗り込み、途中のサンエーに寄ってもらって、陽太と降りて泡盛「多良川」の2合瓶(378円)と氷、安売りのさんぴん茶500mlを2本、オリオン「太陽仕込み」1缶、つまみにLoakerのカカオウエハース、陽太にパックのアップルジュースを買って戻る。途中の夜道を車からMZ3で撮りながら東急リゾートまで送ってもらう。
 10時50分に玄関先に到着。こんな機会はめったにないので、みーはN間ちゃんと二人で飲みに行ってもらうことにする。私と陽太、七生、O君は降りて二人の車を見送り、それぞれいったん部屋に戻る。まずは陽太と七生に歯を磨かせて、先に眠そうだった陽太はすぐに横にして、11時過ぎには寝かせる。これで一丁上がり。七生はたっぷり夕寝したのでまだかかるだろうなと、買った多良川をロックでチビチビ飲んでいると、しばらくしてO君がやって来た。
 O君の部屋があんまりだったので、コーラルウィングの雰囲気だけでもと部屋にご招待したのだが、せっかくなら夜の子守りも一人でやるより楽しくというわけだ。七生はテーブルの上のお菓子やボトルにちょっかいを出しながら部屋の中をうろうろ、ベランダについて出てきたりもしていたが、それでも0時前には自分で「ねんね」と言いながらベッドにゴロンとなった。添い寝しているとほどなく寝る。これで本日の親の業務は完了。ほっとしてTVをつけて二人で少し飲む。
 O君も0時半に部屋に戻っていったが、みーが鍵を持っていないので、私は帰ってくるまで待っている必要がある。TVのチャンネルを回すとBSでMotoGPのブラジルGPが始まった。ちょうどいいやと、これを観ながらさんぴん茶割りを飲む。これが日本選手が優勝したレースでした。いや、私も玉田誠って人初めて知ったんですけど。いわばF1で日本人が優勝したくらいすごいんですが、佐藤琢磨の3位よりマスコミの扱い低いね。ブリヂストンタイヤも初勝利らしい。私もHONDA+BSだし(関係ないけど)よかったね。
 さて、観終わってもう2時を回ったが、みーは帰ってこない。みーもコブなしで飲むのは久しぶりだから、たまにはゆっくりしてくればいいし。しばらく日記の続きを書いていたが、そろそろ眠くなってきて歯を磨いておく。考えてみれば廊下の一番奥の部屋だし、この時間はめったなことで人も通らないだろう。てことで、ドアのセーフティロックを倒して噛ませて、少しだけ隙間を開けておく。これでいつ帰ってもいいよとメールを出して、私は3時に寝る。みーは3時半くらいにタクシーで戻って来たらしい。

バナナボートに乗って陽太は大いに盛り上がってました 七生は海辺ではほとんど寝てました。ここはプールサイド やんちゃな島っ子の二人。3年前の日記の写真と比べると…あまり変わってないな

2004年7月8日(木) 宮古島へ
 7時50分起き。いい天気だ。東京はなんと35℃まで上がるという予報。パンで朝食のあと、シャワーを浴び、体が痒いという陽太も体だけ洗ってやる。幸い熱も下がって落ち着いているので、ほっとする。私のTシャツや下着を荷物に追加して、荷造りはOK。私が食器を片付ける間にみーが身支度して、七生を着替えさえる。みーが七生を抱えて、あわただしく9時50分に家を出る。それにしてもすでに暑い。
 病み上がりの陽太は、家を出て10歩も歩いたら「疲れちゃうよ」と言っているが、こちらも大きな荷物を抱えているので、「がんばって歩いて」としか言いようがない。すぐ暑さにやられてデレデレとゆっくり歩く陽太を待っていると、時間がなくなってしまった。環八を渡り、DVDをポストに投函してから改札に入ると、ちょうど乗るはずの電車が停まっている。しかし、ホームに降りる前にドアが閉まる。
 7分ほど待つ間にO君に10分ほど遅れるとメールして、10時13分発の大井町行きに乗る。JRで品川まで一駅、乗り換えるとちょうど10時47分の羽田空港行きに乗れた。停車駅が蒲田だけの最短15分の電車だったので、結果オーライ。11時2分に羽田空港に到着し、出発ロビーまで歩いても、遅れは7分程度だった。しかしO君の姿が見当たらないので、先にチェックインを済ませておく。メールをチェックすると、O君からも15分ほど遅れるとの連絡が入っていた。
 待つ間に、みーがN間さんへのお土産を探して買う。私が七生に付いているが、広い空港ロビーでうれしそうにぐるぐる歩き回って、人の迷惑になっている。25分遅れでO君がやって来た、時間もないのでさっそく手荷物検査を通って、出発ゲートに向かう。珍しくバス搭乗だったので、1Fに降りてバスで移動、地上からタラップを上がる。目の前がスクリーンの48列目に4人で座ると、ほぼ定刻の11時50分に出発。窓際がいいといっていた陽太は少し不満げだが、すぐに「ブロックくれるかな」という方向に気持ちが変わる。
 七生は飛び立ってほどなく私の膝で眠る。ジュースの機内サービスのあと、待望のレゴがやってきた。でも、以前もらったのとまったく同じロボット。それでも陽太はまた組み立てる。大人3人はエビスビールを頼んで旅行気分を盛り上げ、おつまみで空腹を紛らわす。七生には組み立て式のメタルの飛行機をもらい、これも陽太がさっそく組み立てて遊び、翼を床に落っことす。飛行時間は2時間20分で、予定より若干早めの2時15分に那覇空港に着陸。また七生はずっと寝てました。
 飛行機から外へ出ると、東京が暑かったせいか、意外に暑く感じない。O君が昼食の店を探す間、目を覚ました七生もロビーで歩かせる。乗り換えまで1時間余りあるので、ロビーの適当な売店で昼食。私とO君はソーキそば、みーは沖縄そば、陽太にはざるそば。空港で飲むオリオン生ビールもうまいんだ。ざるそばといっても茶そばのように緑色をしているが、何が入ってるんだろ。食べ終わったらもう搭乗15分前になったので、31番ゲートに移動。
 那覇から沖縄まではB737とぐっと小さな飛行機になる。これぞ沖縄旅行の雰囲気だね。ここでもまた子供にオモチャをくれたので、さっきどちらを取るか迷ったANAの飛行機風船を陽太はもらい、七生はポケモンの小さな仕掛け絵本。40分の飛行はあっというまで、窓の外に見えてきた緑色の海を眺めながら宮古空港に到着。B747とは違いあっさりと停止すると、見覚えのある空港ロビーに出る。カウンターにあった無料のガイドブックを2冊もらい、シャトルバスの時間を調べると、20分後。
 先に空港ビルの外に出ると、夕方の風が気持ちいい。東京よりも過ごしやすいくらいだ。すでに停まっていた「空港⇔東急リゾート」と書いた観光バスを見つけて、先に乗り込む。めちゃイケのTVを観て待っていると、他に同乗者は1組だけで、4時50分にバスは走り出す。のんびりとさとうきび畑が広がる、起伏のない島を走り12分で東急リゾートに到着。やや雲はあるが天気に恵まれて、傾きかけた日差しを浴び、順調なリゾートライフの滑り出し。
 N間さんの知人のKMさんというフロントの人に挨拶してお土産を渡し、ポーターに荷物を部屋まで運んでもらい5人でついていく。コーラルウィングの3階の廊下の突き当たりの部屋364号室。4Fの部屋がタバコ臭かったのでここに換えてくれたと言う、なかなか細かいKMさんの気配り。ポーターが鍵を開けてくれ部屋に入ると、おー、窓からは白浜ビーチが見渡せる懐かしい部屋の造り。前回と対称のレイアウトだ。もっと広かったと思ったが、慣れたら同じような気がしてきた。
 さて…O君の部屋はと思ったら、鍵は1つしかない。ポーターの人に言って確認してもらうまで、部屋からの景色を眺めて待つ。陽太は着いたときから「ねぇ海、海行こうよ」と一人でやかましい。とりあえず、みーが水着を出したら、さっさと服を脱いで着替えてまた「早く行こう」と急かす。まぁ待ちなさいって、部屋の話もついてないのに。しばらくしてフロントから電話があり、手違いでO君の部屋は取れていないという。げっと思ったが、幸いシングルが1部屋空いていたので事なきを得る。
 再びチェックインに向かうO君が出て行ったあと、もう抑えきれない陽太を連れて、とりあえず子供たちだけは水着で、私は短パンで4人で海まで行ってみる。3年前と変わってないが、ビーチに降りる坂が砂から舗装路になったくらいか。うれしそうに波打ち際に手と足を浸す陽太。5時半を回ったといっても、東京よりずっと西にある宮古島の日はまだ長い。これだけでも日焼けしそうな感じだ。無事に部屋を確保できたO君も追いかけてやってきて、しばらく波打ち際に足を浸しながら写真を撮る。向こうには来間島と左手にそれを結ぶ橋が見える。
 七生は波に足を着けたら、やっぱり泣きそうになってみーの足にしがみついていた。最初はこんなもんだ。陽太もこうだったなー。20分もすると「6時で海水浴場の営業は終了します」とアナウンスがあった。そこでプールに移動してもう少し遊ぶ。七生はプールにもまだ入らない。近くのシャワーの水を出してやると、これを気に入って自分から頭から浴びてはキャーキャー喜んでいる。これも陽太の時と同じだなー。これで水に慣れれば、明日は多分大丈夫だろう。
 みーの携帯にN間さんから連絡があり、予定だった仕事がなくなったので、これからこっちに来てくれるという。ラッキー。初日の遊びはこれくらいにして、プールサイドのMoonShellバーのテラス席に座ってビールを頼み、海へとゆっくり近づく太陽を眺めながら一息。いきなりリゾート気分全開だねー。7時前にいったん部屋に戻り、海に入った陽太と七生にシャワーを浴びさせ、私とみーも浴びてしまう。これで心置きなく夜を楽しめる。C1を出して古い日記を見たら、奇しくも3年前の宮古島も7月8日からだった。まったく同じ日にまた来れたとはね。
 予定の7時半を少し回ってロビーに出向くと、ちょうどやってきたN間ちゃんと外で出くわした。やー、3年ぶりの再会に大きくなった陽太に驚くN間ちゃん。O君も呼んで挨拶を交わしてからみんなでN間ちゃんの車に乗り込み、この3年のお互いの近況などを聞きながら平良の市街地に向かう。塾の先生はやめて、なんと高校の進路指導員をやっているという。道端に立っていた恋人たち(警官の人形)は、去年の台風11号でほとんど倒れてしまったのだとか。東急の椰子の樹もほとんど植え替えたというから、よほどすごい台風だったらしい。
 平良の繁華街である西里通りの端の駐車場に停めて、三五屋という居酒屋に歩いていく。なんでも350円というのが名前の由来らしいが、あいにくに満席。近くの新しそうな店に入ろうかと迷ったが、3年前に入れなかった西里家という小料理屋に入る。店の人がテーブルを片付ける間に、みーは対面の本屋で陽太の子守り用に「デカレンジャー」の本を購入。8時半ごろにようやく狭い三和土を挟んで左右に分かれる座敷の奥の一角に落ち着いて、オリオンビールで乾杯。
 車で寝てしまった七生だが、座布団に寝かせるのに失敗して目を覚まし、あとはいつものように際限なく食べつづける。飛行機での移動と夕方の海とプールで疲れた陽太は、ジュースは飲むものの、食事もそこそこに「帰ろう」と言い出す。鮪刺身、ジーマミー豆腐、島らっきょの天ぷら、てびち、海ぶどうと海鮮サラダ、そうめんチャンプル(子供たちに)、ゴーヤチャンプル、とうふよう、などなど。うまかったがやや高め。みんなで1.3万円というところ。
 9時50分に店を出て、N間ちゃんにホテルまで送ってもらう。ちなみに沖縄に多いハンバーガー屋のA&Wを地元では「エンダー」ということも教えてもらう。途中のスーパー・サンエーでO君が短パンを買おうとしたが、衣料館はぎりぎりで閉店の10時を回っていてだめだった。夜はほとんど真っ暗で星がよく見える。10時半に東急に届けてもらい、われわれはそのまま部屋に戻って、歯を磨かせて11時に陽太と七生を寝かせる。宮古最初の夜は波の音をBGMに0時半に就寝。O君は、その後もひとりでMoonShellバーへ行って飲んで、宮古そばを食ってたんだとか。

七生は初めての海。びびって親にずっとしがみついてました 陽太は待ちかねたようで、いきなり海にプールに大はしゃぎ。病み上がりのくせに大丈夫か 足を下ろして波打ち際に尻餅ついたら泣き出した。七生は陽太が3年前に着てた水着

2004年7月7日(水) ハラハラ旅行前日
 7時10分起き。晴れ。七生に起こされたが、陽太はまだ寝ている。みーによると、陽太の熱は下がったようで、ほっとする。朝食のあとバイクで9時15分に出勤。今日も暑い。昼食はO君と、大陸酒房という最近できた中華の店。五目そばと半炒飯のセットだが、麺はまずまず悪くない。他の定食もお得そうな感じ。みーは午前中に小島さんに陽太を連れて行ってくれた。熱は37℃台らしい。高熱ではなくなったが、まだ平熱ではないので、明日からの旅行は微妙だなー。
 8時過ぎに会社を出て帰宅。玄関を開けると陽太がダダダダーっと走って飛びついてきた。こんなお出迎えは久しぶりだ。行動が如実に語っているが、36.8℃の平熱にまで戻ったという。よかったねー。これで明日の移動もなんとかなる。夕食は鮪の刺身、陽太がヨークマートで私のために買ってくれたという焼鳥1串、人参とモヤシの炒め、茹でブロッコリ、キュウリ。10時半にみーが陽太と七生を寝かせる。その間に私は食事の片付けと大阪に送るDVDを焼いて封筒に詰める。みーは起き上がって来て旅行の荷造り。0時40分に就寝。

2004年7月6日(火) セカンドオピニオン?
 8時15分起き。暑い。朝方に陽太が起きていたので、うっすら目を覚ましたら、寝過ごしてこの時間。オークションの落札者からメールが来たので連絡をする。余っていたドーナツで朝食。バタバタしていたら遅くなり、バイクで10時40分に出勤。当然、駐輪場は満車だったので、路駐してオフィスに上がる。最近は、駅周辺でバイクも駐禁をよくやっているのを見かけるので、あまり居心地よくない。
 昼食はO君と「時津洋」に行って、ミニちゃんこと鮪丼のセット。日中32℃と非常に暑かったが、冷房の効いた店で食べるとちょうどいい。鮪丼の胡麻ダレがなかなかうまい。みーからメールで、12時に計ったら38.4℃だった陽太の熱が、昼寝から起きたらまた40℃を超えたという。さすがにこれだけ高熱が続くと、大人だって体力がきつい。陽太はもっと辛いだろう。咳もしているというし、みーも負担だろうし、心配なので3時に会社を出て帰宅。
 陽太はアンパンマンのビデオを観ていたが、ソファでぐったりとして、帰っても「あ、おかえり」とあまり反応がない。大蔵の成育医療センターに行こうかと話していたが、みーが先に電話すると、かかりつけの医院に紹介してもらったほうがいいという。で、小島さんに電話したところ、風邪だろうから、安静にしている以外にないと言われて振り出しに戻る。みーは幼稚園ママ仲間のASさんに電話して相談して、瀬田小学校の近くの幡野内科に陽太を車で連れて行くことにした。いわゆるセカンドオピニオンてやつでしょうか。
 私は七生と遊びながら待つ。しかし、この年頃の子供ってほんとに落ち着いてない。ミニプラレールで遊んでいたと思ったら、棚から絵本を引っ張り出し、トミカパーキング、財布のオモチャ、野菜の遠心水切り器、などなどすぐに目移りして遊ぶ。私がちょっと目を離して自分のことをすると「おいで」と、呼びに来る。はいはい、家来である。6時前にヤフオク出品の発送のため呼んでいた、ゆうパックの集荷が来る。郵便局のおじさんに伝票を渡され、遊んでもらう七生。
 荷物の1個が予想より軽く、送料の取り過ぎになったので、相手にメールをしていたら、すぐ七生が呼びに来る。こうやって落ち着かずなんだかんだと部屋の中を移動しながら1時間ほど七生と留守番していたのだが、しまいに自分でアンパンマンのビデオを取り出してビデオに押し込んだので、まぁいいやと観せてやる。これで少し間が持つ。いや、子守りがわりにTVを観せたくなる気持ち、わかります。あと寝ている時間じゃないと親がやりたいことできないもの。
 横で洗濯物をたたみ始めると、10分くらいでみーと陽太は戻って来た。陽太が戻ったので、ビデオを停止。みーの報告を聞くと、X線を撮ってみたところ気管支炎の兆候があったという。医院で水を飲んだら吐いたと言うので、吐き気止めと解熱剤をもらってきた。まだ体温も40℃以上だったという。さっそく薬を飲ませ、ぼーっとソファに座った陽太は、その姿勢のままでウトウト寝始めた。かわいそうに。七生は洟垂れ小僧だが、元気にみーに引っ付きまわっているところがまだ救いである。
 しばらくして陽太が汗をかき始めたので、タオルで何度も拭いてやる。解熱剤が効いてきたかな。どれどれと思って計ったら、まだ38.4℃。下がったといっても十分高いな。みーが夕食を作ってくれて、8時前から食べる。やや熱が下がったせいか陽太は突如「お腹すいた」と言い出し、うどんが食べたいと言っていたが、冷麦しかなかったので別にみーが茹でて食べさせる。それでも4〜5口くらいかな。しらすご飯もほんの少し食べて「ごちそうさま」と、ソファに横になってアンパンマンのビデオを観始める。
 久しぶりの4人揃っての夕食だったが、われわれはジャガイモとベーコンのチーズ焼き、キャベツのナムル、茄子とキュウリのピリ辛漬け。45分ほどのビデオが終わって、陽太に薬を飲ませ、歯を磨かせる。ようやく37.3℃。七生も眠そうなので、二人いっしょに9時半に寝かしつける。私は再び会社に行くべく、自転車で出発。夜になっても蒸し暑いなー。しかし、途中の歩道の段差に激しく後輪をぶつけたと思ったら、一気にパンク。とほほ。幸いにも走り出してすぐだったので上野毛の駅に押して戻って、自転車は置いて電車で行く。
 買った自転車屋の前にパンク修理に置いてこようかとも思ったが、駅から押して帰る。みーによると、明日は吉野サイクル休みだとかで仕方ない。11時半に再び帰宅しシャワーを浴びる。陽太の熱はまだ下がらないようだ。みーは0時半に先に寝たが、私は大阪に送るDVDを仕込んでから、1時15分に就寝。

2004年7月5日(月) 陽太40℃
 8時起き。曇り。陽太の熱は36.9℃と微妙だが、今日も幼稚園は休み。相変わらずすっきりしない感じで、ドーナツも半分も食べない。私はシャワーを浴びて、ドーナツで朝食。遅れて電車で10時40分に出勤。いつもよりきっちり1時間遅れだ。昼食は宏でピラフ。午前中に二人を小島小児科に連れて行ってくれたみーから、また陽太が38℃を超える熱というメールが。夕方には40℃を超えたあって、さすがに心配だ。陽太も七生も昼寝しているという。
 8時10分に出て帰宅。七生は洟を垂らしながらもみーと遊んでいたが、陽太はまた眠っていた。夕食は、サンマの竜田揚げとキャベツ、トマトとオクラのサラダ、切干大根。寝られなくなった陽太がソファに起きてきたが、まだ38.4℃と熱い。これだけ体温が高い状態が続くと大人でも辛いわな。10時20分に七生は寝かせる。私はオークションの後処理メール、みーは食器の後片付けとやっている横で、ソファでうとうとしている陽太。
 夜になっても湿度が高くて、あまりに蒸し暑いので天井扇をつけたら「寒い」とか言うし。しばらくソファに放って寝かせておいたが「眠い」といったので、0時15分に寝室へ。エアコンも控えめにして寝る。

2004年7月4日(日) 投票と陽太の体調
 9時起き。6時に起きて牛乳を飲ませてもらった陽太は、寝られなくてしばらくリビングでひとりで遊んでいたらしい。朝食のあと、みーがシャワーを浴び、七生と陽太も洗ってくれる。陽太の体温もようやく平熱に戻った。11時40分にみんなで車で出て、まず区の上野毛出張所へ向かう。参院選の投票日が沖縄旅行と重なるので、事前投票しておくわけ。今回から不在者投票ではなく、期日前投票という制度ができた。駐車場に車を停め、陽太と七生を連れて2Fに上がる。
 備え付けの簡単な誓約書に住所と名前を書くだけで、あとは普通の投票と同じ。空いてるし、時間も8時半〜20時と同じで、これからは便利なこの制度を利用しよう。それにしても問題は投票したくなる候補者と政党がないことだよなぁ。ホントに。それでもいちおう白票にはせずに12時に投票を終えて、車で昼食に向かう。今日も雲のない晴天に恵まれて、気温は上がりそう。湿度はまだ低めでましなほうだが、暑いことは暑い。
 みーがヤマダ電機に行きたいというので自由が丘へ。ヤマダの駐車場に停めてからまず昼食。真上からじりじり照る太陽の下を歩き、アンミラの対面の2Fにあった「遊」という和風居酒屋に1時に入る。座敷だったので、陽太も七生も畳の上を歩き回る。ひれカツとコロッケの定食で、陽太はひれカツ、七生はカニクリームコロッケのご飯を仲良く食べる。私とみーは、赤穂鯛の煮付けと、銀ダラの西京焼きの定食。途中から七生が眠くなって騒ぎ出し、立って抱っこでなだめつつやっと食べ終わる。
 1時半に店を出て、七生をベビーカーに乗せるとあっという間に寝た。バーゲンをしていた子供服の店を少し覗くと、陽太は置いてあったブリキのロボットの本を興味深そうに見ていた。ヤマダ電機に戻って、陽太の散髪のために電動ヘアカッターを買う。水洗いできるナショナルのカットモードER508P-A。ちょっと高かったけど、私のヒゲトリマーとして使えるのでいいかも。慶子ちゃんのタイミングが合わなかったので、沖縄に行く前に陽太の伸びた髪をみーが刈ってやるつもり。
 2時半にヤマダ電気を出て家に戻る。さらに散髪用のケープを買うのに、環八沿いのダイソーに寄る。駐車場に入れた途端、意外にも陽太が寝てしまった。うーむ、まだ体調が戻ってないのか。目を覚ました七生と20分ほど待って、みーを待って3時20分に帰宅。陽太はそのまま抱いてベッドに運んで寝かせる。その間に、私はヤフオク出品のパン焼き機とポットの梱包作業。6時を過ぎてもまだ陽太は寝ていたので、七生にアンパンマンのビデオを見せてやって、その音で陽太も起こす。
 ズボンをはかせて6時半に夕食に出る。二人を自転車の前後に乗せて牛鉄へ。ビルの下に自転車を停めている間に、「名前を言ってきて、4人で」とお願いして、陽太に先に店に行かせる。七生を抱いて追いかけると、店の前の階段まですごい待ち人数だ。陽太に頼んだ予約名はオダ様になっていた(^ ^;)。追っかけみーがやって来て、私は陽太を連れて銀行に行く。ついでに隣のミスドで明日の朝食を買っておく。交差点で信号待ちしていると同じコーポラのSTさんの奥さんに会った。STさんも牛角で夕食で待ち合わせだとか。
 牛鉄に戻ると、店の前にすごい人。宴会で先に入っていた数十人が出てきたかららしいが、その中に北澤豪もいた(へんな頭だ)。団体さんが出たおかげで、10数組の待ちだった行列は順調に消化されて、7時15分には店に入れる。みーと私はエビス、陽太と七生にはオレンジジュースのデカンタを頼む。七生はお腹が空いたらしく、先に来た韓国のりだけでも食わせろとうるさい。ご飯が来たら、みーが作るのり巻きを片っ端から口に放り込む。
 対照的に、陽太はあまり食べない。豚トロも1人前も食べなかった。うーむ、熱はないようだがいつもの元気がない。七生は鶏ネックの肉もよく食べる。締めに韓国ビビン麺を頼んだが、最後は陽太の「早く帰りたい」と眠い七生のぐずり始めで、追い立てられるように食べて、8時40分店を出る。私は陽太と七生を自転車に乗せて先に帰宅。みーはパンと牛乳の買物。
 帰った二人にはアンパンマンのビデオを30分見せ、歯を磨かせる。9時半にみーが戻って、眠そうだった七生は10時に先に寝かせる。陽太も10時半から寝かせて11時に寝付く。陽太は明日も幼稚園にいかないといっていたので、みーは精神的なものではとちょっと疑心暗鬼になっている。コンコンと咳してるし、単に体調のせいだと思うけど。二人も0時15分に就寝。

2004年7月3日(土) ホテル決定
 11時起き。陽太と七生は7時ごろから起きていたらしく、付き合っていたみーはすでにお疲れの様子。おかげで私は眠れたが。陽太がプラレールで遊ぶと言うので、先にざっと掃除機をかける。すると、もう陽太は忘れていたようなので、先に私もパンを焼いて食べる。喉が渇いたのでアイスカフェオレがうまい。みーは、布団を干して、ベッド下の衣装ケースを開けて衣替え。私は床にひととおり雑巾がけ。
 1時前に七生は寝る。1時からトマトスパゲティで昼食のあと、みーも朝早くて眠い、というので2時に横になる。陽太の熱は37℃台で、「体を直すのに寝なさいよ」と言って、陽太も2時半に寝かせる。みんな寝ている間に、私は使わなくなったパン焼き機と電動ポットをヤフオクに出すために写真撮影。たかがオークションの写真だが、どうも撮るとなるといい写真にしようと思うのは性格の問題か。1時間ほどはかかる。
 天気に恵まれて外は暑そうだが、湿度が低いので部屋の中は極めて快適。風がよく通る設計にしておいた恩恵がしみじみと感じられる。PCに取り込んで色調補正していると、4時前にみーは起きてきた。すぐに3時間寝た七生も起きてきたが、私は出品までしてしまう。陽太は5時半まで寝ている。やっぱり体調がいまいちなんだろう。陽太と七生はアンパンマンのビデオを30分観る。
 夕食は7時から、餃子、アスパラ、茹でトウモロコシ、大根とキュウリの千切りサラダ。子供たちは10時半に寝かせ、その後もみーと二人で宿を探していたが、すでにリゾートホテルはどこも満室。那覇の自由時間は実質1日だし、今回は観光と割り切ったほうがよさそうだ。てことで、那覇の市街地で国際通りに至近な安いホテルを選び、ネットで予約申し込みをしておく。1時50分に就寝。

2004年7月2日(金) ホテル探し
 7時半起き。今日も陽太はお休み。朝食のあと自転車で会社へ向かう。9時45分に出勤。いい天気だが、風は爽やかで涼しい。昼食は、やぶでかき玉そば。再発行を頼んでいた福利厚生会社のカードが届いていたので、さっそくログインして本島でのホテルをチェック。みーに知らせると「息子たちは昼寝中しているのでやってみるか」と返事が来たので、IDを教えてみーに好きな宿を選んでもらう。
 ときどきみーとメールで打ち合わせしていたが、息子たちは5時半まで寝ていたらしく、夜が長そうだ。9時10分に出て帰宅。陽太はすでに寝ていた。夕方に再び38.4℃の熱に上がったらしく、困ったねー。夕食は、さつま揚げ、キュウリとトマトのサラダ、枝豆。11時半に七生も寝かしつける。添い寝のみーもいっしょに寝て、起きて来たと思ったら、再びソファでしばらく寝ている。その間に食器を片付けて、ウェブで宿のチェックをしながら待つ。2時半に就寝。

2004年7月1日(水) 自転車とケータイ調査
 7時半起き。薄日が差す天気。シャワーを浴びて朝食。今日は陽太はお休みで、私はバイクで9時20分に出勤。そこそこいい天気なんだが、風が涼しくて過ごしやすい。昼食はO君と新宿に出る。代々木で降りて、O君が予備校時代に足繁く通ったという「精華」という中華料理屋へ。食券制になっていたことにO君は驚いていたが、O君お勧めの炒飯とつまみに油琳鶏と餃子を頼み、分けて食べる。出てくるの早っ。確かに炒飯はB級なうまさ。西新宿の白龍に通じる感じ(具はずっと少ないが)。500円ででっかい油琳鶏のタレと下のキャベツの絡み具合も好みだ。
 ほどよい満腹感で店を出て、学生たちが溢れる(いる所には若い奴らがこんなにいるもんだ)歩道を歩き、サザンテラスを抜けて新宿へ。JRを渡る陸橋からハンズに行って、サンスターの電動自転車をチェック。やっと実物を見つけたが、悪くないデザイン。16インチに比べて20インチは全体が一回り大きい。両腕で持ち上げてみるが22kgはさすがに重い。試乗できないかと店員に聞くと「跨るくらいなら」という。そこで、胸の高さあたりに引っ掛けてある展示を外してくれと頼む。
 「お客様の体格だとこれくらいないと、小さいの(16インチ)は無理でしょう」と言いながら自転車を降ろしてくれたが、暇だったのか「じゃ、内緒で。乗るだけで買わないでもいいですから」と言って試乗させてくれることになった。ラッキー。店内から店員が押して出し、ウッドデッキに出る。どこで乗れるのかと思ったら「狭いですが、ここでぐるぐる回る感じで」と、10m四方ほどのウッドデッキのデッドスペースを示される。確かに狭いよ…、が乗れるなら乗っておこう。
 間抜けだが、半径3mくらいでぐるぐる回る。店員の説明を聞きながら、いちおうSHIMANOの6段のギアも使ってみる。アシスト力についてはこのスペースでは判断できないが、乗り心地は悪くない。目いっぱい高くしてもまだサドルが低いが、これ以上は伸ばせないという。電池の持続距離は漕ぎ出しが強力なターボモードで12km、ノーマルだと28kmだが、ギアを高くするともっと消費が早いという。とすると、会社までの往復はぎりぎりできるかどうかだな。車重、サドルの高さ、ニッケル水素電池という3点が残念なところ。
 10分ほどぐるぐる回って、再び店員が押して店内に戻る。歩きながら「これ売れてますか」と聞くと、売れてますという。特に年配に人気で(価格が10万円を超えることもあり)、「お客様のような年の人は、脚力に不安がないのであまりいない」という。私もそんなに自信ない年なんですけどもう。店内にあったサドルポストの交換品を当ててみてくれるが、3cm程度しかアップしないという。他の小型BMXはもっと太いポストを使っているが、これは一般的な細いポストなので長くする強度がないらしい。それでも3cm上がればずいぶんラクだが。
 「高い買物なので、よく考えてください」と言われて(店員いい人だな)、礼を言ってその場を離れる。待たせている間、隣の旅行スーツケース(沖縄に使うつもりだったらしい)を見ていたO君と、エレベーターで11Fのベスト電器へ。本日発売のDocomoの小型ケータイ「Premini(SO213i)」を見に行く。モックを手にとるが、ち、小さい。機種変更2万円以上って、思ったより高いやん。しかし、すでに「本日の入荷は完売しました」の張り紙。ベスト電器で売り切れってことは、当然ビックやヨドカメにはないだろうな。
 そう思いつつも、一応価格調査を兼ねて行ってみることにする。紀伊国屋に行くというO君とはここで分かれ、西口のヨドカメへ。軒先に並ぶモックの上にはやはり完売の表示。発売日の昼で品切れとは、かなり人気なのか。心配したダイヤルキーの操作はそんなに悪くなさそうだが、モックの液晶を比べてみると、いまのSO211iよりもさらに一回り小さい。同じならまだしも、うーむ。代々木まで歩いて目黒に戻る。操作性が気になるので、目黒のドコモショップに行ってホットモックを触ってみる。
 ちょっとした文を打つが、上下のスクロールと決定ボタンが近すぎて、何度も押し間違える。クリアキーが一番下ってのもなぁ。液晶はやはり小さ過ぎて目が疲れるし、固めのダイヤルキーも押していると指がすぐ痛くなってきた。すぐにも買い換えるつもりでいたんだが、これはダメかも。この小ささは魅力だが、メールを多用する私にとっては文字入力の操作性の後退はかなり痛い。小型化のためにジョグダイヤルを捨てたのは失敗でしょ。意外とすぐに出そうな改良版に期待したい。
 期待に満たなかったので、さっぱりと気持ちを切り替えて会社に戻る。遅くなってしまったが、日記はようやく追いついた。帰る直前に局長に話し掛けられ、9時20分にようやく会社を出る。バイクにちょうどいい気温と湿度で、爽やかな風が気持ちいい。当然、陽太と七生は眠っていた。みーによると、まだ二人とも熱があるらしい。陽太は明日も幼稚園は休ませるか。夕食は、鮭の塩焼き、舞茸のソテー、ブロッコリー、トマト。みーがシャワーを浴びて、私は後片付け。0時40分に就寝。

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