<< Aimez-vous Brahms ? >>
手元のレコードは、スターンないしオイストラフのLPとパールマンの2枚のCD及びグリュミオーのCD。
オイストラフのLPは稀少盤のようで、かなりのプレミアがついていた。録音された時期は分からないが、その音質から判断すると1950年代前半のようだ。とすると、彼の録音としてはかなり早い時期のものである。それ故だろうか、普段聴き慣れているオイストラフの演奏よりは抑揚が大きく、主観的な側面があるようにきこえる。もちろん私がオイストラフに求めるやわらかくて伸びやかな音楽は同じである。
パールマンの2枚は、アシュケナージとの83年のスタジオ録音、及びバレンボイムとの89年のライヴ録音。
ライナーノーツにも触れられているが、パールマンはベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集をアシュケナージと共に、そしてモーツァルトのそれをバレンボイムと共に録音している。そのことが、両者の演奏の性格を象徴的に示しているだろう。前者がメルツェデスならば、後者がBMWに例えられよう。E320と528i、前者の骨太な哲学と信頼性、後者の直列六気筒の恍惚とするような歌声。それぞれにそれぞれの魅力があるが、両者はいずれもドイツ車としての魅力を持っていることには相違ない。
演奏会:イツァーク・パールマン すみだトリフォニーホール 1998年3月12日
LP:CBS SONY スターン(Vn)/ザーキン(Pf) 1966年12月22日
Connoisseur Record オイストラフ/ギンスバーグ
CD:CBS SONY パールマン(Vn)/バレンボイム(Pf) 1989年10月
EMI パールマン(Vn)/アシュケナージ(Pf) 1983年4月
PHILIPS グリュミオー(Vn)/シェベック(Pf) 1976年2月
手元にはヴィルヘルム・バックハウス、カルメン・ピアッツィーニそしてジュリアス・カッチェンの録音がある。バックハウスの素朴で無骨な演奏、ピアッツィーニの繊細な演奏はそれぞれ素晴らしい。
しかし、カッチェンの演奏を一度聴いてしまうと、それ以外の演奏を聴くことはできなくなってしまうだろう。彼の演奏を聴いていると、全てを許したくなってしまう。私がこれまで聴いてきた Op.118-2 でこれに比肩すべき演奏があるとすれば――残念ながら、と言うべきなのだろうか――かつて私の部屋である人が弾いてくれた演奏だけであるように思う。
演奏会:私の部屋 1999年1月17日
LP:CBS SONY グレン・グールド 1960年9月
LONDON ヴィルヘルム・バックハウス 1956年11月
CD:BMG カルメン・ピアッツィーニ 1991年6月
LONDON ジュリアス・カッチェン 1962年5月
まだレコードがなかった時代、家庭で手軽に音楽を楽しむ方法はピアノを弾くことしかなかった。したがってこの時代には有名なオーケストラ作品の多くは出版社の手によってピアノ版に編曲されている。また、ピアノロールというピアノ自動演奏装置が発達したのもそういった背景による。
ブラームスも、家庭で音楽を楽しむことが出来るように、ハンガリーの民族音楽のモチーフを用いた一連のピアノ作品集を出版した。それがこの舞曲集である。この一連の曲には作品番号が付けられていないが、それはこの曲が「作曲」されたものではなく「編曲」されたものだからである。ハンガリーの音楽家との間で著作権訴訟が発生したというエピソードはあまりに有名であり、法律学にいそしむ者としても興味深いところである。
他にもブラームスは自作の全ての交響曲につき4手版あるいは二台のピアノ版の編曲を作っているし、ワーグナーはベートーヴェンの第九番交響曲をピアノ独奏のために(!)編曲している。そしてグレン・グールドもピアノ版のベートーヴェン交響曲を録音している。こういったピアノ編曲版の演奏を聴いてみるのもまた面白い。
ハンガリー舞曲集に関してはカッチェンよりもラベック姉妹の演奏のほうが聴いていて楽しい。女性の演奏だけに華やかさを持っている。作品の由来を考えればそういった演奏のほうがいいように思う。
LP:PHILIPS ラベック姉妹 1981年
CD:LONDON ジュリアス・カッチェン/ジャン・ピエール・マルティ 1962年5月
PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
この曲を、誰の曲であるのかを知らされずに聴いて、それがブラームスのものであることを指摘するのは困難ではないかと感じている。僕は、この曲の冒頭を聴いて、リストのピアノ協奏曲を想起した。
ブラームスは古典的な様式の作品を多く残しているから、彼が活躍した時代を、実際よりも数十年早く、すなわちベートーヴェンの少しあと、シューベルト等と同じ時代に属しているものと錯誤してしまうことさえある。しかしながら、実際にはショパンやリストよりもさらに遅い時代に属する作曲家だ。とするならば、ブラームスがこのような作品を書いていたとしても、時代的な背景からは驚くべきことではないのかもしれない。
交響曲においてはストイックなまでに形式を貫いたブラームスだが、ピアノ曲においては自由な創作を行ったようだ。それは、この曲が5つの楽章から構成されていることからもうかがい知ることが出来る。
CD:ジュリアス・カッチェン 1962年6月
このLP、中古だというのに元値よりも高かった。即ちプレミアがついていた。私にとってクラリネットという楽器は、「シング・シング・シング」、「その手はないよ」等のグッドマンの曲で聞く以外は注意して聞くことのない楽器なので、いまいちこの曲の理解は不十分である。ただ、ブラームスの室内楽曲の持つあたたかさが、木管によっていよいよ優しさをもって迫ってくることは確かだ。
LP:ウラッハ/ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 1976年
CD:LONDON カッチェン(Pf)/スーク(Vn)/シュタルケル(Vc) 1968年7月
LP:COLUMBIA スークトリオ 1978年
しかしながら、このオイストラフとクレンペラーによる演奏は、見事に苦悩を素晴らしい音楽へと昇華させている。
LP:東芝EMI オイストラフ/クレンペラー/フランス国立放送管弦楽団
CD:Grammophon ミンツ/アバド/ベルリン・フィル 1987年9月
CD:PHILIPS ブレンデル/アバド/ベルリンフィル 1967年
CD:LONDON バックハウス/カール・ベーム/ウィーンフィル 1967年
LP:東芝EMI リヒテル/マゼル/パリ管弦楽団 1969年10,11月
MELODIA エッシェンバッヒャー/フルトヴェングラー/VPO 1943年12月
CD:TOSHIBA EMI オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管 1957年
PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
RCA アルトゥーロ・トスカニーニ/NBC交響楽団 1942年12月27日
LP:Grammophon カール・ベーム/ベルリンフィル 1963年
LONDON サー・ゲイオルク・ショルティ/シカゴ響 1978年5月
CD:PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
LP:Grammophon カール・ベーム/ベルリンフィル 1963年
LONDON サー・ゲイオルク・ショルティ/シカゴ響 1978年5月
しかし、私はクレンペラーの演奏が先の二人のものよりも好きだ。トスカニーニのように溢れんばかりの情熱とそれを抑制する理性との緊張感の狭間で葛藤のある音楽を聴かせるというのでもなく、フルトヴェングラーのように生の歓びを迸らせるのでもない。少しだけ間を取ったり、少しだけ抑揚をつけたりというふうに実に精緻な音楽を積み重ねていき、しかしながら結果としてスケールの大きなブラームスを浮かび上がらせる。鈴木竹雄教授の「会社法」(鈴木竹雄 『新版会社法 全訂第五版』、弘文堂、1994年)が実に何気ない簡潔な表現から成っているにもかかわらず、その後ろには一貫した思想が貫かれており全体としてスケールの大きな法律論を展開しているのと同じように思った。ブラームスの持つ重厚さとあたたかさを非常に良く表現している。壮絶な生涯を送ったクレンペラーの人生観がブラームスの音楽に一貫する悲愴感・諦観と共鳴してこれだけの音楽を作りあげたのだろう。
この曲を小澤・ベーム・クレンペラーで聴き比べたことは、私にとってブラームスを理解する上でも、音楽の聴き方を学ぶ上でも大きな勉強になったように思う。
LP:Grammophon カール・ベーム/ベルリンフィル 1963年
東芝EMI オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管 1957年
LONDON サー・ゲイオルク・ショルティ/シカゴ響 1978年5月
EMI フルトヴェングラー/ベルリンフィル 1948年
CD:PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
SONY ブルーノ・ワルター/コロンビア響 1959年2月