ブラームスについて  Johannes Brahms


 ブラームスは古典派に属していると言われることがある。深い作品を数多く残しており、特に交響曲の深さに関してはベートーヴェンの後継者といわれるほどである。彼の曲の持つ深さとあたたかさは心を慰めてくれる。ブラームスの音楽はドイツという国の持つ文化的な深さを象徴しているように私は感じている。したがって、ドイツから輸入された学問である刑法学の書物を紐解くとき、ブラームスの音楽と同じ種類のあたたかさと深みを感じることがあるのだ。


 << Aimez-vous Brahms ? >>


Violin Sonata No.1 "Regenlied"
 「雨の歌」の別名を持つが、この雨はまだ冬の寒さの残る早春の雨だろう。霧雨のやわらかさの中に残る冬の寒さといった趣だ。
 先日友人と連れ立って、来日していたイツァーク・パールマンのコンサート行った。その際この曲を聴いてきたが、本当に素晴らしかった。ずっと浸っていたい、そう思わせる優しさも持っていた。彼女はハイデガーを引いてきた。『単純なものこそ変わらないもの、偉大なるものの謎を宿している』と。私にはよく分からないが、帰り道に頭の中を駆けめぐる旋律は心地よかった。その日は早春の雨が降っていたが、濡れることは厭わしくなかった。そういう、やわらかく優しい曲。


 手元のレコードは、スターンないしオイストラフのLPとパールマンの2枚のCD及びグリュミオーのCD。

 オイストラフのLPは稀少盤のようで、かなりのプレミアがついていた。録音された時期は分からないが、その音質から判断すると1950年代前半のようだ。とすると、彼の録音としてはかなり早い時期のものである。それ故だろうか、普段聴き慣れているオイストラフの演奏よりは抑揚が大きく、主観的な側面があるようにきこえる。もちろん私がオイストラフに求めるやわらかくて伸びやかな音楽は同じである。

 パールマンの2枚は、アシュケナージとの83年のスタジオ録音、及びバレンボイムとの89年のライヴ録音。
 ライナーノーツにも触れられているが、パールマンはベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集をアシュケナージと共に、そしてモーツァルトのそれをバレンボイムと共に録音している。そのことが、両者の演奏の性格を象徴的に示しているだろう。前者がメルツェデスならば、後者がBMWに例えられよう。E320と528i、前者の骨太な哲学と信頼性、後者の直列六気筒の恍惚とするような歌声。それぞれにそれぞれの魅力があるが、両者はいずれもドイツ車としての魅力を持っていることには相違ない。

演奏会:イツァーク・パールマン すみだトリフォニーホール 1998年3月12日
LP:CBS SONY スターン(Vn)/ザーキン(Pf) 1966年12月22日
   Connoisseur Record オイストラフ/ギンスバーグ
CD:CBS SONY パールマン(Vn)/バレンボイム(Pf) 1989年10月
   EMI パールマン(Vn)/アシュケナージ(Pf) 1983年4月
   PHILIPS グリュミオー(Vn)/シェベック(Pf) 1976年2月


Intermezzo Op.118-2
 この曲もまた優しい曲だと思う。聴くものの心を裸にしていくような、純粋で美しくて優しい曲。多くの人はこの曲に優しさやなぐさめを求めていることだろう。

 手元にはヴィルヘルム・バックハウス、カルメン・ピアッツィーニそしてジュリアス・カッチェンの録音がある。バックハウスの素朴で無骨な演奏、ピアッツィーニの繊細な演奏はそれぞれ素晴らしい。

 しかし、カッチェンの演奏を一度聴いてしまうと、それ以外の演奏を聴くことはできなくなってしまうだろう。彼の演奏を聴いていると、全てを許したくなってしまう。私がこれまで聴いてきた Op.118-2 でこれに比肩すべき演奏があるとすれば――残念ながら、と言うべきなのだろうか――かつて私の部屋である人が弾いてくれた演奏だけであるように思う。

演奏会:私の部屋 1999年1月17日
LP:CBS SONY グレン・グールド 1960年9月
   LONDON ヴィルヘルム・バックハウス 1956年11月
CD:BMG カルメン・ピアッツィーニ 1991年6月
   LONDON ジュリアス・カッチェン 1962年5月


ハンガリー舞曲集
 ハンガリー舞曲集は、記憶が確かならば義務教育課程において第5番を強制的に聴かされることになっていたと思う。そこで聴くのはオーケストラ版なので、一般にハンガリー舞曲といえばオーケストラ版のほうが有名だが、もとはピアノ連弾のための作品である。

 まだレコードがなかった時代、家庭で手軽に音楽を楽しむ方法はピアノを弾くことしかなかった。したがってこの時代には有名なオーケストラ作品の多くは出版社の手によってピアノ版に編曲されている。また、ピアノロールというピアノ自動演奏装置が発達したのもそういった背景による。

 ブラームスも、家庭で音楽を楽しむことが出来るように、ハンガリーの民族音楽のモチーフを用いた一連のピアノ作品集を出版した。それがこの舞曲集である。この一連の曲には作品番号が付けられていないが、それはこの曲が「作曲」されたものではなく「編曲」されたものだからである。ハンガリーの音楽家との間で著作権訴訟が発生したというエピソードはあまりに有名であり、法律学にいそしむ者としても興味深いところである。

 他にもブラームスは自作の全ての交響曲につき4手版あるいは二台のピアノ版の編曲を作っているし、ワーグナーはベートーヴェンの第九番交響曲をピアノ独奏のために(!)編曲している。そしてグレン・グールドもピアノ版のベートーヴェン交響曲を録音している。こういったピアノ編曲版の演奏を聴いてみるのもまた面白い。

 ハンガリー舞曲集に関してはカッチェンよりもラベック姉妹の演奏のほうが聴いていて楽しい。女性の演奏だけに華やかさを持っている。作品の由来を考えればそういった演奏のほうがいいように思う。

LP:PHILIPS ラベック姉妹 1981年
CD:LONDON ジュリアス・カッチェン/ジャン・ピエール・マルティ 1962年5月
   PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年


Piano Sonata No.3 in F minor Op.5

 この曲を、誰の曲であるのかを知らされずに聴いて、それがブラームスのものであることを指摘するのは困難ではないかと感じている。僕は、この曲の冒頭を聴いて、リストのピアノ協奏曲を想起した。

 ブラームスは古典的な様式の作品を多く残しているから、彼が活躍した時代を、実際よりも数十年早く、すなわちベートーヴェンの少しあと、シューベルト等と同じ時代に属しているものと錯誤してしまうことさえある。しかしながら、実際にはショパンやリストよりもさらに遅い時代に属する作曲家だ。とするならば、ブラームスがこのような作品を書いていたとしても、時代的な背景からは驚くべきことではないのかもしれない。

 交響曲においてはストイックなまでに形式を貫いたブラームスだが、ピアノ曲においては自由な創作を行ったようだ。それは、この曲が5つの楽章から構成されていることからもうかがい知ることが出来る。

CD:ジュリアス・カッチェン 1962年6月


Clarinet Quintet in B minor
 私の高校時代の同級生で、熊本高校の吹奏楽部で指揮者/クラリネット奏者をしていた冨村憲貴さんが、「ブラームスならクラリネット五重奏曲だよ」と薦めてくれたので、LPを買ってきた。(私の中のイメージでは、彼はベニー・グッドマンであり、「マエストロ冨村」だったりする。)

 このLP、中古だというのに元値よりも高かった。即ちプレミアがついていた。私にとってクラリネットという楽器は、「シング・シング・シング」、「その手はないよ」等のグッドマンの曲で聞く以外は注意して聞くことのない楽器なので、いまいちこの曲の理解は不十分である。ただ、ブラームスの室内楽曲の持つあたたかさが、木管によっていよいよ優しさをもって迫ってくることは確かだ。

LP:ウラッハ/ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 1976年


Piano Trio No.1
 ブラームスの室内楽は心を慰めてくれる。何も考えずに浸っていたい、と思わせる。ピアノとチェロの低音から穏やかに始まるこの曲は、愛する人を抱擁するときに感じるような大らかさと優しさを持っている。ブラームスの音楽は温かさを持っているとしばしば言われるが、これほどの温かみを持つ曲は彼の曲の中でも数えるほどしかないだろう。

CD:LONDON カッチェン(Pf)/スーク(Vn)/シュタルケル(Vc) 1968年7月
LP:COLUMBIA スークトリオ 1978年


Violin Concerto
 ブラームスの作品の中には、演奏の仕方によっては非常に息苦しい音楽として聞こえるものがある。例えばピアノ協奏曲第1番や交響曲第1番、そしてこのヴァイオリン協奏曲などである。それは、古典的な様式によっているからなどという形式的な問題ではなく、彼の作品が苦悩の中から紡ぎ出された結晶であるがゆえにそれに内在している性質なのだろう。しかし、それを息苦しいままの音楽として聴かせてしまっては、ブラームスによる苦悩から音楽への昇華は無に帰してしまう。

 しかしながら、このオイストラフとクレンペラーによる演奏は、見事に苦悩を素晴らしい音楽へと昇華させている。

LP:東芝EMI オイストラフ/クレンペラー/フランス国立放送管弦楽団
CD:Grammophon ミンツ/アバド/ベルリン・フィル 1987年9月


Piano Concerto No.1

CD:PHILIPS ブレンデル/アバド/ベルリンフィル 1967年


Piano Concerto No.2
 冒頭のホルン独奏がたまらない。この曲は彼の他の協奏曲と比べるとちょっと違うな、と思わせる。4楽章構成とその内容故にピアノ付き交響曲と評されるが、そんなのはどうでもいい。よくわからないけどその深さは単純にすごい。手元にあるレコードは2枚とも歴史的な名演とされている。孤高のピアニスト・バックハウスの演奏は聴いているとひれ伏したくなってしまう。リヒテルは感情の起伏が豊かでしかしながら抑制もきいていてすばらしい。

CD:LONDON バックハウス/カール・ベーム/ウィーンフィル 1967年
LP:東芝EMI リヒテル/マゼル/パリ管弦楽団 1969年10,11月
   MELODIA エッシェンバッヒャー/フルトヴェングラー/VPO 1943年12月


Symphony No.1
 ときにベートーヴェンの第10交響曲といわれるのも、なるほどである。素朴さも持ちながらでもおおらかであり力強さもある。そしてその深い精神性。レコードはサイトウ・キネンのものだが、素晴らしい。ちょうどこのレコードを買った頃、高校の課題でドストエフスキーを読んでいたが、ブラームスと『罪と罰』に押しつぶされそうになったくらい両者とも重たい内容だった。

CD:TOSHIBA EMI オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管 1957年
   PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
   RCA アルトゥーロ・トスカニーニ/NBC交響楽団  1942年12月27日
LP:Grammophon カール・ベーム/ベルリンフィル 1963年
   LONDON サー・ゲイオルク・ショルティ/シカゴ響 1978年5月


Symphony No.3
 レコードに添付されている冊子によればブラームスの交響曲の中ではこの曲が最も短い。その短さの中にはブラームスの芸術がびっしりと詰まっている。一楽章の主題を始め全体に屈託なく流れていく。明るさを伴った躍動感あるこの主題は、秘めたる情熱と悲壮感を伴っていて感銘を与えられる。そして一楽章の終わりではそれがもの悲しく消えていく。小澤の演奏はこの気まぐれな情熱を見事に描き出していて素晴らしかった。サイトウ・キネンのビルトゥオーソ達の奏でるオルガントーンも美しい。オケが一つの楽器のように鳴っている。

CD:PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
LP:Grammophon カール・ベーム/ベルリンフィル 1963年
   LONDON サー・ゲイオルク・ショルティ/シカゴ響 1978年5月


Symphony No.4
 第一楽章の主題を聴いただけで心をつかみ取られてしまう。ブラームスの語る哲学に身を任せて聴く感じで、譜面に綴られた哲学を演奏者が私たちにどのように朗読して聴かせてくれるのか、そして私たちはそれをどのように理解していくのかが試される。演奏技法云々の問題ではないだろう。
 小澤の演奏もドラマチックで抑揚があり、例えてみれば書院造りの床の間におかれた漆器のように陰影が映えている。ベームの深みのある、黙々と進んでいく音楽も悪くはない。この落ち着きぶりもまた一つのブラームスの表現なのだろう。

 しかし、私はクレンペラーの演奏が先の二人のものよりも好きだ。トスカニーニのように溢れんばかりの情熱とそれを抑制する理性との緊張感の狭間で葛藤のある音楽を聴かせるというのでもなく、フルトヴェングラーのように生の歓びを迸らせるのでもない。少しだけ間を取ったり、少しだけ抑揚をつけたりというふうに実に精緻な音楽を積み重ねていき、しかしながら結果としてスケールの大きなブラームスを浮かび上がらせる。鈴木竹雄教授の「会社法」(鈴木竹雄 『新版会社法 全訂第五版』、弘文堂、1994年)が実に何気ない簡潔な表現から成っているにもかかわらず、その後ろには一貫した思想が貫かれており全体としてスケールの大きな法律論を展開しているのと同じように思った。ブラームスの持つ重厚さとあたたかさを非常に良く表現している。壮絶な生涯を送ったクレンペラーの人生観がブラームスの音楽に一貫する悲愴感・諦観と共鳴してこれだけの音楽を作りあげたのだろう。

 この曲を小澤・ベーム・クレンペラーで聴き比べたことは、私にとってブラームスを理解する上でも、音楽の聴き方を学ぶ上でも大きな勉強になったように思う。

LP:Grammophon カール・ベーム/ベルリンフィル 1963年
   東芝EMI オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管 1957年
   LONDON サー・ゲイオルク・ショルティ/シカゴ響 1978年5月
   EMI フルトヴェングラー/ベルリンフィル 1948年
CD:PHILIPS 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年
   SONY ブルーノ・ワルター/コロンビア響 1959年2月