「生きろ」について個人的な印象でも

片岡昭彦 (hxb84156@pcvan.or.jp)

 とにかく、もののけ姫の盛況ぶりは,ジブリの方々におめでとうございますと言いたい。何はともあれ、宮崎監督の作品がこれからも見れるチャンスを残してくれたと言う事じゃないかと思うのです。

 ま、そんな事はおいといて、作品の内容ですが、個人的にはとても気に入った作品の 一つとなりました。
 ただ、ちょっと気になった事の一つがキーワードである「生きろ」でした。何が気になったかと言うと、キーワードであり、とても深い意味のある「生きろ」だと思うのですが、作品中では、意外と軽い表現で終わっていたからです。内容的にはサンのアシタカに対する気持ちのターニングポイントだと思います。以後二人の関係は、当人はもとより見ている観客にとっても変化していると思います。しかし、とっても重い言葉のハズである「生きろ」がドラマを見ている間感じられなかったのです。画面に釘付けにされていたせいもあるでしょう。見終わって考える「生きろ」を映画の最中には考えられなかった。見ようによっては当然かも知れません。生きる事自体、日常に於いては意識して活動する内容では無いからです。唯一、死と向かい合ったときにだけ現れる認識なのかも知れません。

 そんな事をボーッと考えながら、この原稿を書こうと思っていたところ、友人の死を知りました。20数年の付き合いをしてきた友人ですが、1ヶ月前に死んでいたことを知りませんでした。飲み会の根回しをして分かったと言う、なんとも不謹慎な、ありがちな状況でした。PAOさん(友人のハンドルネーム)は、交通事故それも自爆で即死だそうでした。子供は3歳と0歳9ヶ月の二人。奥さんと結婚したのが6年ぐらい前だったかな。数ヶ月前に、会社の都合で富士の裾野に引っ越したばかり状況でした。
 まさに「生きろ」と言う言葉をかみしめてしまいました。

 もののけ姫の作品は、解消し得ない対立の存在と、それを乗り越えて生きて行く現実を示していると思います。ただし、乗り越えなければならない存在と言うものは、憎しみだけでは無く、悲しみ、それも出口の無い悲しさ。そう言った物を含んでいると思い知らされました。

 道は違っても、思いは違っても、お互いを思い、まずは共に生きよう。確かに、当人にとっては「生きろ」じゃなくて、「死にたくない」が先でしょう。「生きろ」と言うのは自分に向かっている言葉じゃなくて、相手に対しての思いですね。

 そう言う訳で、私の全ての友人と、それ以外の人々に「生きろ!」と言う事で、この訳の分からない雑文を終わらせる事にします。ご静聴ありがとうございました。


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