老 人 なぜこの御仁は宮崎駿の名前を知っていたのじゃろう。
次 元 さあなぁ、なにしろヲタクっぽいやつだからな。
ルパン そんなんじゃねぇ。
次 元 おまえ起きてたのか!
ルパン あれはもう10年以上前の話だ。おれは独りでファンクラブを作ろうと躍起になっていた青二才だった...
naucon97ではお世話になりました。ハーミオン/零です。自己紹介の時に昔話などしてしまって、自分のトシを再確認してしまった次第です(笑)。
宮崎駿ネットワーカーFCも早10年、いろいろありましたが、気がつくとあっという間の出来事でした。ここでちょっと昔話の補足など。
昔々のASCII-NET実験時代、モデム(カプラ)は300ボー、半角カナが幅を利かせていた古き日々。パソコン通信がまだ一般的に認知される遥か昔のことです。
アニメボードでの話題といえばスタジオぴえろ、サンライズ作品が中心で、宮崎駿ネタはどちらかといえばマイナーな存在でした。
ASCII-NET上で初めてできたアニメ系ファンクラブがミンキーモモのファンクラブでしたが、それに刺激されて「日本で2番目のファンクラブを作ろう」と思い立ったのが11年前、1986年の春先だったと思います。まわりの友人に助けられながら会報を発行し正式にネット上で産声を上げたのは1986年6月16日でした。その名もASCII-NET宮崎駿FC<Valley Wind>。
ちょうどラピュタの制作・公開時期に重なり、当時は会報発行を中心とした活動を行っていましたので、徳間書店への取材や資料の転載、投稿原稿をまとめる事が活動のほとんどでした。
それから約1年後、ASCII-NETが実験を終え、正式サービスに移行するタイミングでPC-VANにその活動の場を移し、宮崎駿ネットワーカーFC/SIGとして生まれ変わりました。
SIG移行にともなって会報の発行は休止し宮崎駿ネットワーカーFCは会員だけでない広範囲なファンを対象とした活動へと変化していきました。そして現在、新SIGOPの佐藤さんのもとで運営が続いています。
宮崎駿ネットワーカーFCを作ったとき、「みんなで創るFCです」と前書きに書きましたが、この時は建前上の言葉に過ぎませんでした。
ファンクラブを私物化していた私は、愚行を繰り返していました。とにかく誰よりも早く情報を手に入れ、それを公開するということが快感だったのです。しかし時間が経つにつれて「知ってしまう」ことと「提供しなければならない」ことがファンであるという自分自身の心を蝕み、作品に対して素直な気持ちで接することができなくなっていました。そしてSIGへの転換。
「ファンであるなら舞台裏を知るより作品を見て何かを感じることが最も大切。ファンクラブは情報を得る場所ではなく、そうして感じたことを育てる場所である」気付いたのは愚かにもだいぶ経ってからの話です。
トトロの公開前後、本当の意味でのファンクラブを作れないかと考えました。誰のものでもない参加者がバランスさせ運営する単なる受け皿としてのファンクラブです。
数カ月の後、SIGに何となくこういう方向性ができ、結局、「参加者それぞれが自らの行動によってFCを中心に繋がっていくイメージ」はその後のSIG、そしてnauconへと受け継がれる基本的なスタンスになっていったといえます。
これからも、決して受け身でなく、強制もされず、同好の仲間と一緒に想いを育てられる場所、そんなFC、SIG、nauconであって欲しいと思っています。