ある編集長の悩み

じょばんに (giovanni@mt.cs.keio.ac.jp)

 naucon97が終ってしばらく経ったある日、1週間後にコミックマーケット52の参加日を控え、ある編集長は悩んでいた。新刊のタイトルは「風使い通信 vol.10」。特集記事は「もののけ姫」であった。もちろん、単に締切が迫っているのに遅々として編集作業が進まないという直接的な理由もあった。しかし問題はもっと深いところにあった。本自体の構想がまとまらないのだ。原稿を書くとか以前の問題で、どういう目的でこの本を作っていくのか、核となるものがまだよくわからなかったのだ。

 それでも少しずつでも書こうと手を動かし始めるが、すぐにある疑問が浮かび上がってくるのだ。「もののけ姫」は自分にとって特集を組むほど面白い作品だったのか。

 「風使い通信」は、本来「風の谷のナウシカ」を中心に取り扱うものである。が、実際には宮崎駿作品の公開に合わせて「紅の豚」や「On Your Mark」などの作品についての特集も組んできた。過去の作品である「カリオストロの城」の特集もやったことがある。今回も、公開直後の感想集として「もののけ姫」を取り扱うことは迷うところのないものであった。

 が、文章を書くパワーが生まれてこない。無論、映画は試写会も含めて4回も観ている。サントラCDも買った。飽きたわけでもなく、この先も何度か劇場に足を運ぶことになるだろう。気持ちとしては「もののけ姫」について話すに十分な準備は整っていると言える。実際「もののけ姫」はよくできているし、2時間15分という長丁場にもかかわらず、その長さを微塵も感じさせないのは全くもって凄いというしかない。僕は特に冒頭からアシタカが村を離れて旅に出るまでの一連のシーンが大好きだ。本当に一部の隙もない。躍動する映像。緻密で流れるように進む話。まさに物語の導入としては、抜群の出来栄えではないかと思う。その他、サンとエボシ御前の決闘のシーンや月光の夜にモロとアシタカが言葉を交わすシーンなど、挙げればいくらでも出てくるのだ。

 でも、なぜ。

 ここで話は少し逸れなければならない。先日COMIC BOXの別冊として「『もののけ姫』を読み解く」という本が出た。映画の内容はもとより、内容に関する様々な周辺知識を余すところなく詰め込んであり、本当によく出来た本だと思った。あれだけのことを調べるにはさぞかし時間がかかったであろう。「もののけ姫」の関連書籍のなかではもっとも密度の濃いものであると言える。それは「もののけ姫」という作品が扱う問題の多さ深さを表していると思う。でも...僕はその本の大半を未だに読まずにいる(読んだのは宮崎さんへのインタビューの部分だけ)。

 この本の中で語られる言葉。「もののけ姫」に関して溢れる言葉、言葉、言葉。いったいこの言葉はなんだろう。何を声高に叫んでいるのだろう。

Illustrated by うぃ(川原由唯)
 14万4千枚の動画によって隙間なくうめられる映像と描かれなかった思い。それをどう感じようと、観る側の自由に任されているのかもしれない。でも、よくも悪くも「もののけ姫」は「映画」になってしまった...ナウシカに強烈な思い入れをしたり天使の笑顔を見て安らぎを得たり、そんな低俗だけど愛を持って何かを語れたとは違う次元の作品になってしまった、そんな気がする。そんな作品に向かって何を言えばいいのか。

 そんなときただ僕は、アシタカが去ったあとのエミシの村で、カヤが亡き兄を想ってアカシシに跨り、野山を駆け回る姿を想像するしかないのだ。


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