外伝「アシタカせっ記」 〜 アシタカの「避けられない青春の愚行」 〜

佐藤 (clarisse@msi.biglobe.ne.jp)

Illustrated by たけしのたけし
 わたしの名はアシタカ。古き血を引く蝦夷(えみし)一族の末裔だ。わたし達は大和朝廷との戦いに敗れ、落人としてこの山中に住み着いた。しかし、近隣に人里は無く、この谷の人々の血は、近親結婚の繰り返しにより汚れてしまった。かく云うわたしも、実の妹カヤと結婚する事になっている。カヤは生まれつき美しく、それは皆が口を揃えて云うほどだ。しかし、わたしは幼き時から共に暮らしてきた為か、カヤを女として扱う事に抵抗を感じてしまう。この谷の為にも、新しき血を入れるべきなのではないかと。
 よって、わたしはヤックルに乗り、森を通り抜け、人里を探し求めてきたが、未だ見つからない。

 そんな事をしていた或る日、わたし達の谷をタタリ神が襲った。わたしはタタリ神の進路をそらそうとしたが叶わず、カヤ達に襲いかかろうとしたので、止む無く討ち取った。しかし、わたしはタタリ神の呪いを受け、定めにより、この谷を出なくてはならなくなった。カヤは愛の証である短剣をわたしに手渡した。妹ながら、その想い、愛おしく辛く思った。

 「兄様、カヤはいつまでも待っていますから…」

 わたしには、カヤの目がそう云っている様に感じた。

 わたし達の谷の女性は大人しく、従順でしかも、内面は毅然とした者ばかりだったので、わたしはもっと違った女性を好ましく思っていた。そう、たとえば華やかな衣装で着飾った、噂に聞く、舞姫とか、妖しげな笑みで誘う姫とか。

 山中で出会った、けものの様な姫。これもなかなか新鮮だった。何と云っても、最初から唇を奪うと云う大胆な事をするのだもの。その強い印象が忘れられず、わたしは彼女を追い求めた。山犬モロに罵倒されたが、彼女が手に入れば、不幸を癒やし、何とか幸せに出来るのではないかと、自分では思っていた。結局、彼女が欲しかっただけなのかも知れない。
 「もののけ姫」とは生き様の違いから別れ、わたしはエボシ御前の治めるタタラ場に棲む事にした。タタラ場とエボシ御前を守る役目と云う名目だが、実はエボシ御前の夫みたいなものだった。彼女はモロに食いちぎられた右腕を見せながら云った。

 「わが夫となる者は更におぞましきモノを観るだろう。木々を切り、守(かみ)を殺し、人間の世界を広げるに何をためらうっ!」

 わたしはおぞましきモノを観る事になった。それは彼女の身体中にうごめく呪いの痣(あざ)だった。彼女は既に人間ではなくなっていたのだ。形こそ違え、タタリ神そのものであった。

 わたしは自問した。わたしが探し求めていたのは、こんな女性達だったのだろうか?いや、違う。わたしはもっと本物の女性を知っていたはずだ。わたしは有るべき女性の姿を知っていたはずだ。

 「…カヤ」

 わたしはタタラ場を去る事にした。エボシ御前の親衛隊から足腰が立たないほど殴打されたが、取り敢えず放免された。わたしは、ヤックルと共に歩いた。わたしはカヤに会いたかった。例え、呪いを受けた身であろうと、例え再び谷に入れなくとも、わたしはカヤに会いたかった。

 それから何年の時が経っただろうか。わたしは殆ど山犬の様な姿で、再び谷へと戻ってきた。涙がこみ上げてきた。でも、もう戻れないんだと思うと余計に涙がこみ上げてきた。カヤ。もう、わたしの事など忘れてしまっただろうな。あの短剣は迂闊にも「もののけ姫」にやってしまったし、それだけでもわたしは彼女に会う資格が無い。そう思ったら、声を上げて泣いてしまった。これじゃあ、本当に山犬ではないかと嗤(わら)いつつ、泣き続けた。

 「山犬が居る様ですね」

 突然、カヤの声が聞こえた。観ると、一段と美しい顔立ちの少女が、こちらへと向かってくるではないか。わたしは狼狽えた。この様な獣の様な姿で、しかも呪いを受けた者が、どうして谷の人間に顔合わせ出来ようか。しかも、わたしはあの短剣を持っていないのだ。思わず、森の奥へ逃げようとした。しかし、ヤックルが逆らった。無理も無い。昔から知っているカヤに会えたのだもの。

 「ヤックルっ!どうして…。じゃあ、兄様は!?」
 「あ、カヤ様、アシタカ様ですっ!」
 「あぁ、兄様っ!よくご無事で!」

 わたしは、止む無くカヤ達の前に出た。

 「カヤ…、済まない。谷には戻れない身なのに、未練がましいな…」
 「兄様。カヤは、兄様をずっとずっと待っていました」

 思わず顔を上げて、カヤを見返す。

 「カヤ…」

 アシタカに抱きつく、カヤ。

 「良かった。待っていて、本当に良かった」
 「わたしもカヤに会えて嬉しい。しかし…」
 「あら、しかしも何も、腕をご覧になって下さい。痣は無くなっていますよ」
 「ヱ? あ…本当だ…信じられん」

 カヤは急に真剣な顔になって、一歩下がり、そして、地面に平伏した。

 「わたしをあなたの妻にして下さい」
 「カヤ…」
 「カヤは兄様をお慕い申しておりました」

 暫くの沈黙の後、わたしは云った。

 「…わたしは…おまえが好きだ。共に生きよう」

完 1997.08.08


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