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そんな事をしていた或る日、わたし達の谷をタタリ神が襲った。わたしはタタリ神の進路をそらそうとしたが叶わず、カヤ達に襲いかかろうとしたので、止む無く討ち取った。しかし、わたしはタタリ神の呪いを受け、定めにより、この谷を出なくてはならなくなった。カヤは愛の証である短剣をわたしに手渡した。妹ながら、その想い、愛おしく辛く思った。
「兄様、カヤはいつまでも待っていますから…」
わたしには、カヤの目がそう云っている様に感じた。
わたし達の谷の女性は大人しく、従順でしかも、内面は毅然とした者ばかりだったので、わたしはもっと違った女性を好ましく思っていた。そう、たとえば華やかな衣装で着飾った、噂に聞く、舞姫とか、妖しげな笑みで誘う姫とか。
山中で出会った、けものの様な姫。これもなかなか新鮮だった。何と云っても、最初から唇を奪うと云う大胆な事をするのだもの。その強い印象が忘れられず、わたしは彼女を追い求めた。山犬モロに罵倒されたが、彼女が手に入れば、不幸を癒やし、何とか幸せに出来るのではないかと、自分では思っていた。結局、彼女が欲しかっただけなのかも知れない。
「もののけ姫」とは生き様の違いから別れ、わたしはエボシ御前の治めるタタラ場に棲む事にした。タタラ場とエボシ御前を守る役目と云う名目だが、実はエボシ御前の夫みたいなものだった。彼女はモロに食いちぎられた右腕を見せながら云った。
「わが夫となる者は更におぞましきモノを観るだろう。木々を切り、守(かみ)を殺し、人間の世界を広げるに何をためらうっ!」
わたしはおぞましきモノを観る事になった。それは彼女の身体中にうごめく呪いの痣(あざ)だった。彼女は既に人間ではなくなっていたのだ。形こそ違え、タタリ神そのものであった。
わたしは自問した。わたしが探し求めていたのは、こんな女性達だったのだろうか?いや、違う。わたしはもっと本物の女性を知っていたはずだ。わたしは有るべき女性の姿を知っていたはずだ。
「…カヤ」
わたしはタタラ場を去る事にした。エボシ御前の親衛隊から足腰が立たないほど殴打されたが、取り敢えず放免された。わたしは、ヤックルと共に歩いた。わたしはカヤに会いたかった。例え、呪いを受けた身であろうと、例え再び谷に入れなくとも、わたしはカヤに会いたかった。
それから何年の時が経っただろうか。わたしは殆ど山犬の様な姿で、再び谷へと戻ってきた。涙がこみ上げてきた。でも、もう戻れないんだと思うと余計に涙がこみ上げてきた。カヤ。もう、わたしの事など忘れてしまっただろうな。あの短剣は迂闊にも「もののけ姫」にやってしまったし、それだけでもわたしは彼女に会う資格が無い。そう思ったら、声を上げて泣いてしまった。これじゃあ、本当に山犬ではないかと嗤(わら)いつつ、泣き続けた。
「山犬が居る様ですね」
突然、カヤの声が聞こえた。観ると、一段と美しい顔立ちの少女が、こちらへと向かってくるではないか。わたしは狼狽えた。この様な獣の様な姿で、しかも呪いを受けた者が、どうして谷の人間に顔合わせ出来ようか。しかも、わたしはあの短剣を持っていないのだ。思わず、森の奥へ逃げようとした。しかし、ヤックルが逆らった。無理も無い。昔から知っているカヤに会えたのだもの。
「ヤックルっ!どうして…。じゃあ、兄様は!?」
「あ、カヤ様、アシタカ様ですっ!」
「あぁ、兄様っ!よくご無事で!」
わたしは、止む無くカヤ達の前に出た。
「カヤ…、済まない。谷には戻れない身なのに、未練がましいな…」
「兄様。カヤは、兄様をずっとずっと待っていました」
思わず顔を上げて、カヤを見返す。
「カヤ…」
アシタカに抱きつく、カヤ。
「良かった。待っていて、本当に良かった」
「わたしもカヤに会えて嬉しい。しかし…」
「あら、しかしも何も、腕をご覧になって下さい。痣は無くなっていますよ」
「ヱ? あ…本当だ…信じられん」
カヤは急に真剣な顔になって、一歩下がり、そして、地面に平伏した。
「わたしをあなたの妻にして下さい」
「カヤ…」
「カヤは兄様をお慕い申しておりました」
暫くの沈黙の後、わたしは云った。
「…わたしは…おまえが好きだ。共に生きよう」