書評にかえて
「ナウシカ解読 ユートピアの臨界」(稲葉振一郎著・窓社刊)

オータム(SVD85360@pcvan.or.jp)


 表題の本について、書評するほど正しく理解ができたという自信がないので、このテキストのタイトルは、「書評にかえて」とさせていただきました。

 

この本は何か?

 コミック版ナウシカを、ユートピア論という切り口で読み解いていく本であると言えます。しかし、話題は周辺にまで広がっていて、必ずしも、この範囲内だけで完結している訳ではありません。

 ナウシカとユートピア論のどちらが主かというと、これは文句無くナウシカです。ナウシカを読み解くために、ユートピア論が援用されている、と考えて良いと思います。

 また、単にナウシカといっても、いろいろな要素があると思いますが、「何故に、あのような結末にならねばならなかったのか」という点に重点が置かれているように思えます。

 

作者はどんな人か?

 1963年東京生まれの岡山大学経済学部講師と書かれています。実際にこの本を読んだ感想から言えば、学生にものを教えられるだけのきちんとした学問的な中身のある人だと思います。余談ですが、これは相当の誉め言葉です。この人の教わることのできる学生がうらやましいです。それはさておき、当たり前のように未来少年コナンを引用してきたり、さりげなく「宇宙戦艦ヤマト」の名前を出してみたりするあたり、根っからのアニメファンであることは間違いないと思います。少なくとも、ナウシカやトトロによって宮崎駿が社会的な評価を受けたために、付け焼き刃的にしったかぶりの評論を下す人達の仲間ではない、と思います。

 

構成

 おおざっぱな構成を目次に沿って紹介しましょう。  

はじめに

 ここでは、ざっとナウシカという作品の経緯を説明し、「マンガ『ナウシカ』の内的なテーマ、その思想的難問(ユートピア問題)とは何だったのか、その難問に宮崎自身はいかなる解決を与えたのか、その解決は本当に解決になっているのか」が課題であると規定しています。  

第1章 成長する物語

 長期に渡るナウシカの連載によって、あるいは、生み出される作品が作者の意図通りには展開しないと言う経験則から、ナウシカという物語が、最初から完成された姿で構想されたものではなく、連載が続きながら成長を続けてきたことを述べています。  

第2章 臨界への道

 コミック版ナウシカのストーリーを「問題意識を持って読み直すことにより」再確認する章となっています。映画版ナウシカとの比較なども行われています。  

第3章 ナウシカの自死

 ここの章に入ると、単なる1作品のナウシカとしての問題から、虚構の物語そのものの本質まで踏み込んで、「愛」という考え方に達しています。つまり、ナウシカの行動原理が「愛」であるということです。  

第4章 決して癒されない悲しみ

 「決して癒されない悲しみ」は、母に愛されなかったナウシカの悲しみであり、永遠に人間がたどり着くことのない清浄の地がそこに存在する、ということです。単にそれが悲しみであるというだけでなく、それがナウシカを読みとく際に、重要な概念になっていることを示しています。  

第5章 青き清浄の地

 この章こそ、本書の核心と言って良いと思います。「決して癒されない悲しみ」をもたらす「青き清浄の地」の存在を、各種ユートピア論からスタートして、あらたなユートピアの姿であるとしています。青き清浄の地は、単なる空想上の存在ではなく、間違いなく存在する実在なのです。しかし、普通の人間は、そこに入れば、死んでしまうので、実在するにも関わらず、けして手の届かないユートピアであるという意味で、既存の各種ユートピア論と異なる特質があるというわけです。  

第6章 クシャナの変貌

 ここに至って、作者の矛先は、ナウシカからクシャナに向かいます。変貌とは、もちろん、ユパの死という事件等を契機に、復讐に燃える前線指揮官から、中興の祖とまで称えられる賢王への変貌のことを意味します。ここで重大な問題が指摘されています。墓所までやって来たクシャナは、強く知りたいと願っていたはずの墓所の真相をナウシカに訊ねないのです。つまり、ナウシカの「真相を語らない」という態度は、クシャナの「真相を問わない」という態度との組み合わせによって、一つの意味をなしていると考えられるわけです。とすれば、ここに、クシャナに関する章があるのは、いわば必然と言えるでしょう。  

おわりに

 ここでは、このような論によって、何が語りたかったか、作者の本音が読めます。最後に、世迷い言と言いながらも、世界のあり方にかんする一つの考え方を述べています。それが何かは、皆さん自身で、この本を読んで頂きたいと思います。  

インタビュー 宮崎駿氏に聞く

 なんと、宮崎駿氏に対して、直接話をしに行っています。その結果として、他のインタビュー記事と比較して、かなり赤裸々な話も飛びだしています。たとえば、「火垂るの墓」の批判として、海軍士官は独特の緊密なネットワークを持っていて、たとえ戦死しても子供が飢えることはあり得ない、という話が出ています。この話を読んで、「あっ」と思ったのは、ここ数年、旧日本海軍という組織の欺瞞性について、私自身が興味を持って調べていたためです。太平洋戦争の開戦に反対した海軍内の良識派、などという言葉もありますが、それこそ大嘘で、戦争に勝っている間、戦争を終わらせるために具体的な行動を行った者など存在しません。海軍は、独自の利益独占集団であり、その一部は戦後にも解体せずに残っていて、日本の進路に多大な影響を与えてきたと考えられます。

 そして、彼らは、戦争において犯した様々な失敗を反省もせず、戦後日本で同じ失敗を繰り返したと言えます。(戦後の奇跡の経済復興が太平洋戦争の緒戦の勝利であり、裏付けの無いバブル景気が嘘八百の大本営発表であり、バブル崩壊後の泥沼の不況が、負け続ける戦争の後半戦だと見ることができます)。

 とすれば、宮崎駿の真の敵は、武力で脅す帝国主義でも、搾取する資本主義でもなく、実は、こういう鈍感で無責任なエリート軍人の発想そのものではなかった?と考えることができます。

 まあ、以上は、インタビューを読んだ私の勝手な妄想ですが……。

 そういう妄想も膨らませる余地がある、素晴らしいインタビューなのは事実です。これ一つのために、この本を買う価値があると行っても過言ではありません。

 

感想

 正直言って、この本を読んだおかげで、ナウシカの結末が何倍もよく理解できたような気がします。

 少なくとも、私の方に一つの錯誤があった、ということは分かりました。「青き清浄の地」という場所は、私としては、単に汚染が除去された土地というイメージしかありませんでした。だから、未来に「青き清浄の地」に移り住んだ人類が、戦争などの惨禍を愚かにも繰り返すことは、ある意味で必然であり、汚染を除去する技術的な計画とは直接的に関係がないと思っていたわけです。

 にも関わらず、そのことが、非常に大きな悪であるかのように語られてきたことが、よく分からなかったのです。

 しかし、「青き清浄の地」を、単なる汚染除去された土地ではなく、そこに至れば人類は幸せに暮らすことが出来る世界つまりユートピアと見なす見方が存在するわけです。

 ナウシカの物語の前半では、愛を持って惨禍を克服した人類は、そこで幸せに暮らすことができるかもしれない、と思わせています。しかし、後半になって、「あらかじめ予定されたユートピア」であると判明し、しかも、予定されていない多くの展開が既に発生している(王蟲の心など)ことも分かってくるわけです。

 つまり、すべて人間の思い通りになると言う思想が、「生命への冒涜」ということであり、そのようにして得られたものはユートピアなどではない、ということだと思います。

 こういう考え方は、私にとっては、「これはビックリ」でした。

 いやしくも、自分の頭で考える能力のある人間が、「誰もが幸せに暮らせるユートピア」の存在などを真面目に考えているというのが、何やらおかしいことのように思えます。ナウシカという物語が、そういう意味での理想郷を否定する結末を迎えたことは、ある意味で必然的なことであり、私としては「そんなことよりも、むしろ、嘘でいいから気持ちの良い理想郷を見せてくれても良かったじゃないか」と思ってしまいます。

 ところが、よく考えてみると、「風の谷」が「誰もが幸せに暮らせるユートピア」であると思い込んでいるような人達がけっこう居るわけですね。これには二重の錯誤があると思います。一つは「風の谷が自然と調和した理想的な社会である」ということ。もう一つは、「我々が風の谷を手本に生きることができる」ということです。もちろん、10人兄弟のうちの一人しかまともに成人できないような環境でも、それが理想的だと思うのなら、それでも良いです。しかし、あのような生き方を手本にして、現在の日本で、同じような生活が営めると考えるのは、大きな錯誤だと思います。自然と調和して生きると決めた場合、現在の日本の土地が養える人間の数は、現在の日本人口をはるかに下回るはずで、必然的に多くの人間の死をもってしか、そのような状態には移行できないわけです。しかし、そんな方法が許されるわけがありません。

 これは、しごくまっとうな「当たり前の考え方」だと思うのですが、それは私にとって当たり前であると言うだけで、そう思っていない人も多いと思います。

 そういう人達こそが、ナウシカの主たる読者層であるとするならば、もしかしたら宮崎駿としては、このような結末を書くことが正しい選択だったのかもしれません。

 では、どうすれば良いのか、ということについては、この本を読んで、自分の頭で考えましょう。

おわり


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