「世界ナウシカ会議」ってなぁに?
「世界ナウシカ会議」とは、『風の谷のナウシカ』の作品及びその周辺について議論するために開かれる国際学会です...というのはあくまで希望でして、そういうふうになればいいなぁと思って、PC-VANの宮崎駿ネットワーカーFC/SIGのメンバを中心に企画された会議(通称宴会)です。
『ナウシカ』の連載が終了してから2年以上経過するのに、なぜ今頃...というのは誰しも思うところですが、やはり単純に「まだまだ『ナウシカ』について言いたいことは山ほどある」という思いからきているのです。
なにせ連載開始から12年もかかって描かれた作品ですから、宮崎駿氏自身も大きく考えが変わっていますし、無論それは読者である我々にも言えるわけです。そんな状況下で、万人が納得するようなエンディングを描けという方がそもそも無理な話でしょう。もし『ナウシカ』の連載が数年で終了していたとしたら(それでもおそらくすごい話になっていたでしょうが)、それは1つの物語としてそれぞれの読者の思い出として保存されるに過ぎなかったと思われます。が、幾度にも及ぶ連載の長期中断は、『ナウシカ』という物語を宮崎駿氏が作り上げる物語から、読者自身が読み説いていく自分の中の物語へと変化させてしまったように思われます。それぞれの読者の中で一人歩きを始めてしまった『ナウシカ』は、結果として読者自身の中で宮崎駿氏の『ナウシカ』と整合性を保っていくという過程を強いられることになり、エンディングにおいてその違和感が頂点に達したということが言えるのではないでしょうか(もちろん、ずばり宮崎駿氏と同じエンディングを考えていた方は例外ですが)。
さらにそれを決定的にしたのは、昨年夏に公開された『On Your Mark』です。背中に翼を持ち、空高く舞い上がっていく少女に、ナウシカを見てしまった不幸な(?)人は少なくなかったに違いありません。宮崎駿氏は『ナウシカ』で一つのエンディングを提示しつつも、『On Your Mark』で堂々とナウシカの解放を描いてしまったのです(少なくとも僕はそう感じています)。これは宮崎駿自身も、自分の導いたエンディングに違和感(betterではあるがbestではない)を覚えていることにほかなりません(と言い切っていいんだろうか...)。
ここで少し個人的な話をさせていただきますと、僕の場合は最近になってようやく「『ナウシカ』はどうあろうと終局の一つの形を迎えているわけだから、それはそれとしてもう多くを語るまい」と心に決めるようになっていました。ところが、『On Your Mark』で宮崎駿氏に好き放題やられたのに正直ちょっと頭にきて、やはり自分なりのナウシカ像をもっと追求していかなくては収まらないと思うようになりました。
そんなこともあってで何処までやれるかわかりませんが、ナウシカの為の宴会...もとい会議というものをやってみたいと考え、PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFC/SIGの佐藤さんや斎藤さんと僕が中心になって「世界ナウシカ会議」なるものをぶちあげたというのが、この会議の発足したいきさつです。
本来ならば、WWWやNetNews、Mailing Listなどで広範囲に情報を流して(いや実際少しやったのですが...)それこそ大勢の人が参加できるようなものになればいいなぁとは思っていたのですが、とにかく最初ということもあり、自信も時間もなかったので、結局PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFC/SIGのオフラインミーティングの延長みたいな感じになってしまいました。まぁ何事にも最初はあるということで勘弁して下さい。ははは...。
第1回「世界ナウシカ会議」開催概要
以上、10名。
本会議議事録 ※本議事録は、会議終了後、三輪が記憶を頼りにまとめたものであり、実際の会議の内容と完全に一致するわけはないことをご了承下さい。
1:00 main session「風の谷のナウシカ」
今回の会議では、あらかじめテーマを決めて議論するという形態を特にとらなかったのですが、結局出た話題すべてがこのテーマに収れんされているような気がしましたので、敢えてこのようなメインテーマを付けました。
また腐海とともに滅びるという事実を受けとめるだけの力を、人類はもっていないだろうというのは佐藤さんからの意見。体力のない人間に、強力な薬を投与するのと同列で、絶望から破壊してしまうだろうと。ナウシカは「時間を稼いだ」わけだからその間に人類が進化というか適応して、結果的に生き延びれば良いじゃないか、というわけです。
それにそもそもまったく嘘ということはなくて、ナウシカの時代に生きる人間にとっては清浄の地は堪えられないものであったとしても、どんな状況でも生き物が生きていくように、きっと後々の人間はそれに適応していくに違いないだろう、その希望に全てを託そうとした。それがナウシカなんじゃなかろうか、とまぁそういうわけです。まさに「血を噴き出しても繰り返し飛ぶ鳥」ですね。
しかしながら。ナウシカがそれを選んだという気持ちは納得できるけれども、じゃあ同時にその重荷をトラウマとして一生背負い続けることになるのはどうなのか、結局解決していないじゃないか、ということは残りました。結局、何もかもナウシカ一人に追わせてしまっているにはかわりないと。この秘密(体験?)を本当に共有できるのはセルム(第6巻p97,98 第7巻p222,223参照)なのだけど、彼は森の人であり、黄昏の世界で生きていくことを決めたナウシカの孤独はますます深まっていくことになるのではないでしょうか。そのことを考えれば、ナウシカのその後としてエンディングの後日談で「またある伝承は、彼女がやがて森の人の元へと去ったとも伝えている」との記述があるのも、なんとなく納得できる気がします。風の谷にすら彼女の休まるところはないのかもしれない。ほっと一息ついて森の人の元へ行ったというよりは、いたたまれなくなって森の人の元へと行ったような気がしてなりません。
という話をなさっていましたが、それにしては本編のエンディングではあまりに否定的な要素の方が多いのではないか、というのが問題提起でした。
近沢さんは墓所の主側の立場の主張で、ナウシカ世界のままでは人類が遅かれ早かれ滅びるのは避けられない事実であり、墓所が浄化した土地で生きていける人間の卵、また浄化後の環境に人類を適応させるだけの技を持ち、それで少しでも人類が滅びずに生き残ることができるのならば、その存在は当然の結論じゃないか、と。
一方、その考え方は納得できるのだけれども、今生きている人間を蔑ろにするような(それどころか死の影さえ吐き出している)墓所を認めることは、今生きていること自分自身を否定することになる、それじゃダメだというのがナウシカなのではないか、というのは片岡さんの意見。墓所の主が語った「とるべき道はいくつもなかったのだよ」という帰結はわかるけれども、「時間がなかった私達はすべてを未来にたくすことにした」というのは間違いだと。
これには宮崎駿さん自身が、まぁ人間しぶといからなんとかどこかで生きていくし、生きて行くしかないよねという考え方になったというのがベースになっているのかな、という話も出ました。
「夜明けの露天風呂でナウシカの幸せを誓う」
最後に那須宣言の草案をまとめて、那須の夜明けにナウシカの幸せを誓ったのでした。
というわけで、第1回「世界ナウシカ会議」は無事閉幕しました。今回は内輪だけの集まりになってしまいましたが、今後はもっともっといろんな人に参加してもらえるような会議になっていけばいいなぁと思っています。会議といっても参加する形は様々でかまいません。ナウシカについて一言いいたいと思っている方、単にナウシカを肴にお酒を呑んで温泉に入りたい方、いやこの文章を読んでいる人すべてに「ナウシカ会議」に参加してもらえれば、と思います。そして楽しいひとときを過ごそうではありませんか(^^)。
次回の開催は今秋を予定しております。もし詳しいことが知りたい方は「風使い工房」宛に問い合わせてくださるか、naucon@mt.cs.keio.ac.jpまでご連絡ください。またhttp://www.mt.cs.keio.ac.jp/person/miwa.htmlにも告知を出す予定です。
ではまたどこかでお会いできるのを楽しみにしております。