いやぁ、原作に比べて味付けが濃いっすね。何か、生活臭が生々しくってね…。あの公団のマンションなんて、わたしが前に棲んでいたのと殆ど変わらなかったりして、顔に縦線が出ました。
天沢聖司と月島雫の関係の進み方なんて、クサくってクサくって、ギップル(魔法陣グルグルより)が悶絶しそうでした。でもまァ、これが青春って事で良いんじゃないですか、告白合戦って云うのも笑えるし。長期的目標も無く、ただ知識と技能のみを詰め込まれているロボット人間には恋愛以外にも生きる目標って物が有るんだって事が判っただけでも。云うなれば「受験生アニメ」とでも云いましょうか?何かに挑戦してみる。それも良いでしょう。それが聖NOVA教団で無い事を祈るだけです。(爆笑)しかし、目標を見失っているエリート集団にハルマゲドン以上の光明を与えるだけのパワーは無いですけどね。(それは「On Your Mark」で与えられるでしょう)
宮崎アニメのキャラも色々な形で登場していた様で、トトロの本、魔女宅の人形、ポルコ・ロッソ製の時計とか。ジーナみたいな女性も出てきましたが。猫はムーンのみですか?流石にルナとか云う名前で黒猫は出せなかったですね。(爆笑)セーラームーンの威力は此処まで波及している様ですね。
総括して、80点とします。予想以上の出来の良さでした。わたしが関門として設定した、エンゲルス・ツィマー(天使の部屋)の表現と、ラストの二人で朝日を拝むシーンもそれなりに満足がいきましたので。「コンクリートロード」には笑った。しかし、既に話に出ている様に、声優さんの選定には疑問符でした。おやじ〜。
「雫、大好きだっ!」うーむ、素直な奴…。取り敢えずプロポーズには成功したが、結婚する迄の道は長くそして曲がっているぞよ。(^_^)
…しかも、先が無かったりして。(爆笑)
宮崎キャラの良い所は、「とにかく一生懸命」だって事ですね。まァ、あんまり方向が間違っているとナニですが、一生懸命やっている人達はそれ自体に感動を呼び起こす力が有ると思います。月島雫にしても、天沢聖司にしても、いや、各地を転戦するぐーたらムーンにしても、夢の中迄忙しい西老人にしても、口うるさい月島汐にしても、それなりに一生懸命やっているワケです。原田夕子も杉村も好いた惚れたで一生懸命だしね〜(^_^) 。
で、「忘れ物を届けにきました」。そのキャッチコピーを思わず思い出してしまいました。一生懸命もがいていた青春って物が有ったって事を。
楽をして何かにありつこう。それが出来る奴こそ賢いのだ。額に汗する事など知恵の無い人間のやる愚かな事だ。皆と同じコースを歩くのが正しいのであって、歩かないのは歩けないからだ。人間の価値を決めるのは成績と順位、それだけだ。成績が劣る物は人間としても劣る。競争と弱肉強食。それが世の中のルールと云う物では無いのかね?
…では問う。お前の人生とは何か?お前は何の為に生まれ、何をして、何を残し、何の為に死ぬのか?
溢れる知識と技能を持ちながら、精神的には脆弱な人々が、聖NOVA教団に利用され、自らの全てを破滅させる事になったと云う気がします。「もっと疑問を持つ事だ、全ての事に対して。世の中に蔓延(はびこ)っている価値観が本当に正しいのか、と」そう映画が語っている様に感じました。
結局は最初の道に戻るのかも知れ無いけど、周りに流されるのではなく、一生懸命もがいて苦しんでチャレンジして、その末に「自分で」選べば良い。それが青春ってもんじゃないかって。他人とは違う、しんどい道を選ぶ勇気。それも青春だなって。
うっかりすると、自らの価値観と批判的精神を忘れ、雰囲気に迎合する事をよしとする処世術になびく自分に鮮烈な一撃を喰らったと云う感じです。確かに妥協からは何も生まれないって事ですね。チャレンジする事を恐れる怠惰さにもグサッと来ましたね。
うーむ、ボディブローの様にじわじわ効果が出て来る様です。(^_^)この作品は、ひょっとして名作になるかも知れませんね。(原作も結構いいし…)ラストの盛り上がりもなかなかの物ですし〜。クサくて好きです。
クラリス様「私も連れてって!泥棒はまだ出来ないけど、きっと憶えますっ!」
天沢聖司 「雫、あのさ、俺、今すぐってワケには行かないけど…俺と結婚してくれないか?俺、きっと一人前のバイオリン作りになるから、そしたら…」
うーむ、聖司は男クラリス様だったのか…。一種のサブリミナル効果かも。(^_^)
確かにアレキサンダー・ケイ「残された人々」('70)よりは「未来少年コナン」の方が遥かに面白かったと思いますし、更に云えば、モーリス・ルブランの「緑の目の令嬢」と「カリオストロ伯爵夫人」よりもルパン三世「カリオストロの城」の方が3桁位面白かったと思います。まァ、ここまでだったら上の宮崎語録も説得力が有るのですが、「魔女宅」、「紅の豚」となるに従って、疑問符を感じてしまいます。良い話なのにわざとややこしくしてしまっていると云う感じ。特に「紅の豚」はジーナが失敗だったと思いますね。あの話は女学校の生徒とポルコ・ロッソとフィオと空賊達のドタバタ大活劇で十分のはず。愛だの恋だの、ムッソリーニのファシスト党だの、アドリア海沿岸国情勢だのとつまらん事を持ち出す必要はなかったはず。そんな事は制作者の頭の中で循環していれば良い事なのでは?
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