そんな、詩的な思いもいろいろあるとはおもいますが、現実に聞こえてくる音も普段とは違ういい音だったとは思いませんか。カントリーロードの場面の雫はとても気持ちのいい声でしたよね。拍手が、まるでスクリーンの向こうで叩いているようにきこえてきませんでしたか。じじい達の伴奏は、「楽しい」と主張していませんでしたか。聖司のバイオリンは雫になにか訴えていませんでしたか。
もちろん「耳をすませば」の音のリアリティの源泉は、音響制作にあります。「耳をすませば」では、ドルビーステレオ・デジタルという方法を用いて上映フィルムへの音響記録再生が行われています。宮崎さんは「何事にも最初はある。ためらっていたらいつまでたってもアニメーションの音は良くならない」と決断、アニメーション映画初めてのディジタルサウンドトラックの導入がこのときに決定しました。こうして、従来のアニメ映画と一線を画すことのできる素晴しいサウンドが完成したのでした。
今回の映画では、音の入り口から劇場での出口まで完全にデジタル化を成し遂げました。スタッフロールにある音響制作・スタジオムーンという怪しい名前にご注目。これは作中に登場するブタネコのムーンに由来するものです。フルデジタルで作業を行うことができるようなアニメの音響スタジオは従来日本に存在していませんでした。(そりゃそうだが。)そこで、スタジオジブリでは新規に機材を導入し、日本初のアニメーション用フルデジタル音響スタジオを設けました。それがスタジオムーンです。
音響編集の中心にはマッキントッシュ4台を据え、タイムコード出力の可能なビデオとの組み合わせにより台詞・SE・音楽などあらゆる音響素材の編集作業をコンピュータで制御することを可能にしています。編集のどの段階においても、ワンタッチで映像と音を同期させてモニターすることができるのが特徴です。また、変更したいときには個々の素材の音を簡単にいじることができます。従来の音響編集の作業においては、音楽のトラックダウンやSEどりなどが別々に行われ、それらを合わせることができるのが編集の最終段階になってからであったことと比べて、たとえば「バイオリンだけレベルを上げたい」というオーダーに簡単に対応することができます。
録音演出の浅梨なおこさんはこのシステムについて「音楽自体の主張も尊重されるし、映像との同期も万全になる。全体として、見応えのある作品作りに貢献できると思います。」とコメントしています。
さて、次はフィルムへの音響記録と劇場における再生方式について取り上げます。
映画の歴史上、音響記録方式にはいろいろなバリエーションが存在しています。マルチサウンドトラックを初めて導入したのは1940年のディズニーによる「ファンタジア」でした。これは音声専用の35mmフィルムを映像用フィルムと同時に回して3トラックのサラウンドにするものでしたが、特殊な再生装置を要求するため、まったく普及せず興行的には大失敗におわりました。
ドルビーステレオ方式は現在最も普及している音響フォーマットです。光学サウンドトラック領域が画像の横に2本並び、両端にスプロケットの穴が空いています。このサウンドトラック領域を透過する光量を電気信号に変換してスピーカーで再生することによってステレオ音響になります。
ドルビーステレオでは、左(L)・右(R)・中央(C)・サラウンド(S)の4チャンネルを記録しますが、Cは同位相として、また、Sは逆位相として左右のチャンネルにかぶせて記録します。さらにノイズリダクションとしてドルビーAをかけてあります。(4帯域に分割して圧縮伸張する方式です。)再生時には、まずドルビーAデコードした後に、CはL+R分として、また、サラウンドはL-Rとして取り出し、さらにイコライジングやディレイをかけて鳴らします。原理的に、各チャンネルは互いに独立していません。また、ドルビーSRではノイズリダクションにドルビーSpectral Recordingを使用し、低域・高域のダイナミックレンジが高いのが特徴です。ドルビー研究所の映画音響システムは、このようなマトリックスエンコーディングとノイズリダクションの複合体として供給されているものです。
70mmのシネマスコープでは、磁気記録トラックを使用し、LRCSを独立した4トラックに記録します。6トラックで+サブウーファ2チャンネルというものもあります。磁気記録は音が比較的良いのですが、フィルムが特殊で、プリントを行うコストが高くつくのが難点です。
ドルビーステレオ・デジタルは1991年に発表された35mmフィルム用ディジタル音響フォーマットです。デジタルトラックと共に、従来の光学サウンドトラックにドルビーSRアナログデータを記録してあります。これにより1つのプリントでディジタル再生の映画館でも従来方式の映画館でも上映可能となります。また、デジタルデータに致命的なエラーが発生したときには自動的にアナログトラックに再生が切り替わりますので、安定して音響再生をおこなうことができます。
また、民生用のAC-3対応のサラウンドプロセッサはパイオニアから9月に発売になります。価格は12万円程度。レーザーディスクではアナログ右チャンネルのRF出力を使用します。AC-3対応LDプレーヤーはパイオニアからすでに発売されています。合衆国ではAC-3対応タイトルがリリースされており、国内でも9月にはライオンキング・スターゲイトなど数タイトルが発売の予定です。合衆国ではAC-3のHDTVへの採用が決定しています。DVDへの採用も決まっており、ドルビーサラウンド・デジタルの家庭への普及が今後急速に進むものと思われます。こうなると「耳をすませば」もAC-3タイトルとしての発売が期待されますね。
映画館でのスピーカー配置は、各館でことなっていますが、C,L,Rは穴あき投影スクリーンの裏に配置し、サラウンドは周囲の壁に配置するのが一般的です。(最前席にすわるとスクリーンに穴があいているのがよくわかります。)デジタル化によって向上したダイナミックレンジをサポートするために、基準を設けて空調などのS/Nの改善をすることをドルビー社では薦めています。
スピーカーと、PA機器の性能・配列、ホール形状、着席位置、映画館での音量音質設定、そして映画館への入場者数によっても映画の音響は大きく変わります。セッティングによっては大部分の席で良好なこともあればごくわずかな席でしかまともな音響効果を得られないこともあります。結局のところ、ベストの条件はそのときどきでかわりますので、実際に映画館に入館してみるまでわからないことになります。そこで、あくまでも参考ということになりますが、従来の経験で比較的いいと思われる席を記してみると、大体前から4〜10列目の、両脇の通路の内側、すなわち中央から数えて10席程度以内の範囲となります。これは、画面のベスト位置よりやや前方になります。指定席があれば、その直前の5列程度です。これはシートコンディションにもよりますので、座席が貧弱な映画館に入ってしまった場合にはもっとはずれて通路際で足をのばせる場所のほうが快適なこともあります。
それでは最後に「耳をすませば」とOn Your mark をドルビーステレオデジタルで堪能できる場所を紹介します。まだ数えるほどしかありません。早くもっと普及するといいのですが。
参考文献 ・ドルビーステレオデジタル関連 1)ドルビーステレオデジタルパンフレット・DA20カタログ(1991〜1994 Dolby Lab. Inc. ) 2)PRO SOUND, vol. 68 (Aug 1995 ステレオサウンド) 3)フィルム上フォーマットは顕微鏡による解析 (EastWind) ・耳をすませばの音響制作 4)AV REVIEW, vol. 61 (Jun 1995 音元出版) 5)耳をすませば ガイドブック(徳間書店)
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