「原作ナウシカの続編としてのOYM」総括

佐藤(EHF41721@pcvan.or.jp)

表紙へ


 ルパン三世(特にカリ城)+ナウシカ+雑想ノート「ハンスの帰還」と云うノリの積もりです。(^_^)

 制作のポイントは以下の7項目になります。

  1. 既に映像が有ると云う事。(映画「On Your Mark」)
  2. 宮崎さんの解説(ネタバレ)も有ると云う事。(アニメージュ95年9月号)
  3. 翼を持った少女がナウシカであらねばならない事。(^_^)
  4. 映画OYMがナウシカの続編である、と云う位置づけを持って来た事。
  5. 「もののけ姫」のテーマである「憎悪を乗り越えられるか」を扱いたかった事。
  6. エンディングはカリ城でなければならないと云う事。
  7. 読後に映画OYMを見ても、小説のストーリーと映像に大きな違和感が無い事。つまり、映画OYMが2度楽しめると云う事。
 第1項ですが、通常の場合は映像が有ると、既に世界が出来上がってしまい、後から新しい設定なりストーリーなりを持ち込めないと思いますが、今回の場合、挑発映画と云うか、断片的な映像がトリガーとなって小説を書こうと思ったワケですから、有って良かったと思います。

 第2項ですが、これには結構腹が立ちました。でも、深読みに水を掛けられて更に深読みしてやろうと云う気になったワケですから、結果的に有って良かったのかも。

 第3項ですが、単に名前をナウシカにすれば良いとか云う「薄い」物ではなく、行動がナウシカでなければならないと云う事なのです。ナウシカとは何か?定義は色々有りますが、この場合は「自己犠牲を厭わない美少女戦士」としました。美少女戦士と云っても某セーラームーンとは無関係で、文字どおり美しい少女の戦士なのです。「諸国大名は弓矢で殺す。糸屋の娘は目で殺す」なんて有名な台詞も有りますが、美少女戦士とはその美しさ・可愛さを武器に、大軍を撃破する事の出来る英雄なのです。小説中、ナウシカはハッチから身を乗り出し(「ハンスの帰還」だよ)、にこりと笑っただけで教団の精鋭特殊部隊の攻撃を狂わせ、うまうまと逃走しました。しかも、大型燃焼兵器の惨禍から地下都市を救ったのです。一時は自らを犠牲にしてそれを得ようとさえしましたが、それもナウシカらしい。この流れはパターンと云えばそうですが、王道であると信じます。

 第4項に関してですが、ナウシカが使徒の姿で登場したんだから、あの作品(映画OYM)はナウシカの続編なのです。わたしの中では、もうそれ以上の理由付けは不要となりました。その考えを発展させ、原作ナウシカとOYMをリンクさせたのが、この小説なのです。

 第5項ですが、憎悪を乗り越えるには、遥かに高い目標か価値観が必要だと思いました。清浄と不浄の二元論的憎悪に満ち溢れた世界が憎悪を乗り越えるには、両者を超越した存在即ち、清浄な世界でも不浄な世界でも生きられる「ナウシカ族」を守り抜くと云う事が最もふさわしいと思います。それと別な視点では、美少女と云う世界の宝を守ると云う崇高な目標により憎悪は乗り越えられると思いました。小説では最後に大和と飛鳥が浄化され、世界もいずれ浄化されるであろう事が暗示されています。

 第6項ですが、原作からしてすっかりカリ城しているワケですから、こっちもその路線で行きました。大和=ルパン三世、飛鳥=次元と云う指摘が有りましたが、基本的にはそうなっています。因に地球浄化教団の地下都市駐留軍関係で、アルバ博士とトロス中将(=将軍)が登場しますが、これは勿論「死の翼アルバトロス」から来ているワケです。終わり方は完全にカリ城ですね。ちょっと尾を引くカッコイイ別れ。これも王道です。でも、あの二人は死んでしまうんですよ、きっと。(きっと、と云うのが意味深だったりする…)それはナウシカも知っていたワケです。3人とも泣きたかったと思いますよ。その気持ちの処理が、ナウシカのプレゼントにあらわれたワケですね。あの二人はあの瞬間に浄化してしまったんですね。教団の残酷さも地下都市政府の卑怯さもどうでも良くなってしまったと。彼らはナウシカとの交流ですっかり満足して死んで行ったと思います。

 第7項ですが、やっぱ、自分でストーリーを作ると、そのストーリーに引っ張られて、別な映像を要求してしまうワケです。でも、映像は既に有るワケですから、その辺の兼ね合いと云うか引っ張り合い、しかも、そこに「感動のエンディング」なる物を織り込むワケですから、もう辛い辛い。ただ、映画と違う絵でも雰囲気は同じにする様努力した積もりです。「今はこれが精いっぱい」(^_^;)


「風使い通信 vol.8++」に戻る


風使い工房に戻る