光と影を抱きしめたまま
〜高崎@京大さんへの返信に代えて〜

じょばんに(VCF88038@pcvan.or.jp)


 「ナウシカ」の連載が終わってからもう2年近くが経とうとしている。今から考えても運命的としかいいようがない出会いの衝撃は現在に至る今も色褪せることはないし、またそれを超えるような衝撃もまたない。あのエンディングについてはいろいろと意見があるところだと思うが、それについて敢えて取り上げようとも思わない。もう既に「ナウシカ」はみんなで共有し合うものではなく、それぞれの人々のそれぞれの時間で生きている存在になりつつある。僕自身も最近になってようやく自分の時間を生きる「ナウシカ」に気付き始めた。ある意味では理想化であり、ある意味では後ろ向きな懐古であったりする。どこか作品とは別の次元で存在する「ナウシカ」。

 そんなところに、高崎@京大さんから「いとしい風に導かれて」を寄せていただいた。これを読んで初めて「ナウシカ」に出会い、ただ「ナウシカ」を夢中になって読んでいたころのことを思い出した。ただ彼女に夢中だったあの頃を。一目惚れに等しいあの想いを...。

 僕はナウシカが好きだと思うとき、ある種の危険さをはらんでいることはわかっているし、それを特に取り繕おうとも思わない。女神。救世主。絶対主義。彼女を想う気持ちが作り上げる心の中の幻影。彼女の可憐な微笑みと苦悩の裏の夥しいの殺戮と破壊。しかし彼女のような存在を目の前にして、物語の中の多くの人物がその影響を受けたように僕自身影響を受けないはずがない。部屋に彼女が描かれたポスターを貼ったりして、憧れとも尊敬とも恋愛感情ともなんとも言えない気分で彼女を見ている。それは事実だ。けれどもそんなふうに感情を抱いたところで、それは一方通行でしかなく、彼女に関することはあの漫画で示されることが全てだ。彼女の一面しか見ていない。見えてこない。見ようとも思わない...。見える部分だけの光は眩くばかりで影はかき消されそうになる。それでも奥深いのだから、本当の彼女の影の部分は底知れないものがあるのだろう。そんなことで本当に好きだといえる、愛しているといえる状態なのか。所詮、ただ漫画を読んでる僕は受け身でしかないのか。心のよりどころでしかないのか。結局、自分も同じ影を引きずっているんじゃないのか。

 でもナウシカをそんなふうに区別してしまいたくない。彼女はもちろん現実に存在する聖職者でもなければ、過去の歴史に登場した英雄でもない。でもなんか憧れとか尊敬とか恋愛感情とか、なんかそんな言葉の形として区別してしまうんじゃなくて、人が自然と一対一で向き合う瞬間があるように、ナウシカも僕も一人の人間として向き合いたい。一度でいいからナウシカと話をしてみたい。彼女が何を考え、何を思ってきたのか、を知りたい。光の部分も、影の部分も。でも彼女はきっとこういうに違いない。「あなたはどう思ってるの」。そのときに自分の答えを言えるだろうか。その答えを探して生きていくことが、彼女を愛しているということなのかな、と。彼女の光も影も抱きしめたまま、僕の中でナウシカへの想いは、まだ終わらない。


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