結果を受けて  


  


 6月28日(木)  
 娘は熱は下がったが学校は休むという。昼にtelで話す。昨晩より元気そうで一安心。
 昼・夜変わる看護婦さんに「決めたんですね」とそれぞれ言われて「まあ」と答えつつ、なんか手術受けるのめんどくさいなあ、受けなければこのまま退院できたのに、など、しょうもないこと考える。なまじ外泊期間なんてのがあるからいけない、など勝手なこと。看護婦さんはいろいろ見てきているんだろうなあ、円錐切除でやめる人、手術選ぶ人・・・。外泊願いを書く。金曜の午後帰って日曜の午前中に戻る。日曜は手術の前日準備もあるから。
 3時過ぎに麻酔科の先生が来て7月2日(月曜)の手術の麻酔の説明とチェック。全身麻酔と合わせて部分麻酔(硬膜外麻酔)するのは術後1〜2日の痛みを止めるためのものらしい。つまり痛い間は麻酔で抑えるということ。この麻酔はエビぞるじゃなくて胎児の形で背中から針を入れるらしい。練習(形の)をかねて背中のチェック。「麻酔の件、何か質問ありますか」といわれても病気に関しては勉強したけれど麻酔の事なんて考えもしなくて、ただただ「おまかせします〜〜」。
 4時過ぎ主治医による術後1週間の内診。少し赤い(腫れている?)が、特に異常なし、外泊できますとのこと。そのセリフ聞きながら退院できたのに、と、また思う。思うけれどメビウスの輪と確率論も思い浮かべる。部屋の戻ったときちょうど手術室担当の看護婦さんが見える。前回は行きちがって会えなかったが(モバギのためグレ電に行ってたときだ)、手術前の名前の確認から心電図つけるあたりまでの流れの説明、何かあったら言ってくださいなど、手術前の患者の不安フォローもあるのだろう。不思議なことにそうした手術に対する不安はあまりない。だからこそ、心対身は心がきついっていうこの選択。←くどい!!

 6月29日(金)
 今日から2泊2日の外泊、荷物まとめて準備。オットが迎えに来て1時半頃家につく。機能に引き続き学校を休んでいた娘と話すうちに半日授業の息子も帰宅、おしゃべり。
 冷蔵庫のぞいて、捨てるものは捨て・・・・。母の味? 野菜料理などメインに食事作り、ずーっとたっているのは疲れるかな。
 夕方までの時間はパソ。ネットで子宮癌体験の方のHPなど。入院前に読まないままでいた手術後の章なの読みすすめ(本に書けていた封印とき)、熱がでたり下痢をしたりの症状が“ありうる”ことだと知り、遅ればせながら安心してみたりする。
 夜早々に就寝、新聞まとめ読み。

 6月30日(土)
 午前、オットと買い物、食材の他に、シソの葉を買ってくる。ちょうど梅干し用の梅漬けにシソを加えなければいけない時期、退院しなかったらオットに本を見ながらやってもらうはずだったが、共にできるちょうどいいタイミングでの外泊となった。(それにしてもシソの葉洗うのだけでも疲れるものだ。)ケーキを食べたくて「サバラン」は家族みんなのシフォンケーキの他に自分用に追加。
 午前中、お店とか歩いていたらちょっときつい、というか疲れちゃうので、本調子でないことを実感。
 野菜、やさい・・・・といいきかせて作って食べさせている。
 学校から子ども帰る。昼食食べながらそれぞれ機嫌良くおしゃべり。夕方、娘が塾に行くことになっていて、それにあわせておやつのケーキ食べることになっていた。が。昼寝をしていた娘、起こすタイミングが合わず、私も腰が痛くてあまり動きたくなかったので息子に伝言頼むも途中で言葉が変わり、すったもんだの末、私も泣き娘も大泣き、息子は怒るという修羅場に。機嫌よく塾に送り出したかったのに「行かない」と言い張る娘。あーあ。オットと息子が定期買いに行っている間に娘と話す(本当なら娘駅に送りついでに買う予定の定期)、だいぶ気持ちが落ち着いてきた様子。
 このあとみんなで食事の準備。息子は鰹サラダ用の野菜作り。おろしがねがわれてしまったオットは煮物用のジャガイモの皮むき(家庭菜園のちっちゃいの)担当、娘はアサリのワイン蒸し。できたてをオットはビールを飲みながら(塾を休んだので迎えの必要なし)4人揃っての食事。みんなでさっきの言葉の行き違いを振り返りつつ相対化。災い転じて・・・となったと思いたい。
 そのまま食卓で政治論議。「幕末によく日本が植民地にならなかったね(学校休んでいた間の娘の日本史の授業がちょうどそのあたり、その時代も好きだという)」という娘の言葉にオットが「武士がいたから」と。そこに子どもと私で「武士だけじゃない」とつっこみ。世界情勢からもその時の日本の位置はどうだったか見る必要だってあるよね、などの話。さらに話題転じて今の日本の状況になる。K内閣の支持率80%というのはよい数字でないと子どもと意見一致。本来K氏は鷹派の面かなりもっている。たまたまこの日の朝日新聞天野祐吉さんのコラム(CMのこと)に、社民党の(ファシズムはにこやかな顔でやってくる? だったか)TVCMが在来各局で誹謗中傷にあたるとして放映を拒絶しているという話がのっていて、子ども二人も急ぎ読む。ついでに社会面の情報公開法のなかの報道規制の記事、教育法改定の記事も・・・。見られないCMは、じつは正しいのではないか。よい例がワイマール共和国(ワイマール憲法)からのヒトラー、ナチズムの台頭。後生から見て今のこのK内閣が時代のターニングポイント、それも悪い方だった、ということがなければいいけど・・・、など、結構まじめに会話ができる。娘は青少年条例というものの存在を(コミケ関連から)知って以来、権力と権利というものについて結構真剣に考えるようになっているらしく、天皇制・国旗・国歌・国家というものについても「まずは疑うことから始めよ」で、母娘で盛り上がる。中学時代はのほほんとしていた息子も、高校での授業の合間の先生の話や先輩の影響? 少しずつ考える力が付いてきたのか・・・。
「だから知識は多いにこしたことはない」といつもの落ち。

 さらに夜は更けて、二週間家事(主夫)で疲れ切っているオットに食事内容のことで絡んで不毛の口論。子どももあれこれ口をはさんだりで、ちょっと泥沼。何でも好き嫌い無く食べるといいのだが、この時期、そうでなくとも食欲落ちるうえ出来合の昼からおにぎり買って塾への生活続くと、リズムいいかげんどこまでもつやら。出来合いのお総菜一つで、ごちゃごちゃになってしまって・・・。口出すんじゃなかった。

 HP少しはいじろうと思ったのだけれど一日中動いていた疲れあるし、おまけにキーボードしばらく離れていたためか指が動かない。本箱に4冊分入力して終わり。あとはお預け。終わってから。
 
 左上半身と腰が寝るときまで痛い。やはりベッドでごろごろしていたのが急に動いたせいか、深く反省。無理は厳禁。

 7月1日(日)
 1年が半分終わった。
 オットが朝一番で散髪から帰るのを待ってデニーズで9時から1時間、フレンチトーストメインのモーニング食べながらおしゃべり。帰宅後生協注文記入、子どもをぎゅっとなでて、じゃあ、と、再び家を後に。どうなるのかわからなかった前回よりは気は楽なのだが、手術の内容はちょっと上レベル(?)なので、けっこう後が大変。しばらくはtelもメールも連絡とれそうもない。二人とも後10日くらいで今学期終わる。無事を祈るのみ。

 11時、病室に戻る。オットと親戚にどう話すか(できるだけ話さずにすませようと)相談。またよろしくと頼むも、オットも去りがたくこちらも引き留めちゃいたく、売店に水を買いに行くからそこまで、と別れる。オット、このあと午後から仕事に会社に行きたいと、しわ寄せきてるんだな。
 外はムチャクチャ暑い真夏日。エアコンつけてベッドに倒れ込む、身体が楽だ。やはり家にいるとあれこれ気になるし座椅子とはいえ起きてるわけで、今現在の病室ゴロゴロというのは、とても休養気分。明日の手術のための事前準備もあるのだけれど・・・。昼食後、さっそくうとうと寝てしまう、これぞ病人?
 1時から2時、剃毛、例によって処置室、今回は担当の看護婦さん。前回は新人さんか、終了後先輩に見てもらう風だったが、うん、少し(だいぶ?)違うか。3段階に分けて、台はあがるし。前回から10日しかたってないのに毛を剃るのに必要なだけのびているという身体の復元力に感心。終わった後大丈夫です、と答えつつ、じつは足がしびれた。

    ******** 雑感 ******** 19:00 *****
 このぽっかり空いた時間というのはなんだろう。日記を読み返してみると、円錐切除術だけで退院できたらいいな、ってかんじで書いてある。書いていたときはそれで終わりなはず無いって思っていたのか。いざ、どうぞ、となってひるんでしまったのはなぜ。もしかして、この何にも煩わされることのないわがままな自分の時間が欲しかった為? うーん、再発のおびえを減らす為かな、ホントか? 病院にいれば家族のこと考える時間確かに少なくなりつつある。仕事のことはすっぽり落ちたまま。ひたすら日本を読む、惰眠をむさぼる。ただそれだけで時間が流れていくのってなんなのだろう。
休けい。
自分でやりたい事って何なのか?

 今回の病気でオットに自分の気持ちあれこれぶつけることで、今までのみこんで(隠していた部分)、少しは近づいたか?



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