「建具職人の千太郎」    岩崎京子作
               20009.6.29       くもん出版




『建具職人の千太郎』を読む


 再読。先には「読みやすかった」という印象。今度子ども読者からみたら・・・。
 時代ものを子どもに読ませる限界?を感じた。その一番目は「ことば」である。たとえば、p、19の「へっつい(煮たきするための設備。上に鍋などをかけ、下で火をたく。かまど)」など理解の外だろう。現代の子ども読者にとって推察しようもない。
 こんな注釈を誰が書くのか。主題の「菱形や亀甲」もわからないだろう。
 第二は、この作品を通して作者は何を伝えたかったのだろうか、ということ。
「人とのかかわりからの温かさ」
「人はみかけによらないもの(若棟梁の秋次)」
「ちゃんと子どもを見てくれる大人もいるんだ」
「人は前を向いて生きなきゃならないよ」
「人生、決して捨てたものではありません」(≒「作者 あとがき」)は今の子ども読者にどれほどに説得力を持つものだろうか、という疑問である。
 子どもの成長物語、ハッピーエンドとくると(かつての)向日性をうたった児童文学≒課題図書のイメージに重なる。「現代の子どもたちも、人間の原形にかわりはない」方向に目を向けた作品ということになろうか。
今回は、あまり書くことがなかった。
(大藤 幹夫)
 

職人魂

 
 またもパソコンの調子が悪くなってきた。2台使っているデスクトップともに、ヒーヒー言いながら坂道を登る感じの遅さで、「しっかりせー」と声をかけている。買ったのは1994年と1997年だから寿命なのかも知れない。どうもじパソコンにはいいめぐあわせがなく、捨てるに忍びなくて捨てたことがない。1番ひどかったのは、FMシリーズで3年間に3台続けて買い換える始末、以来FMシリーズは買ってないが、他のメーカーにしても大差ない。
「どうしてこんなに耐用年数が短いのかね」
 ノートパソコンを買い換えたときヨドバシカメラの店員に尋ねた。
「ソフトがどんどん新しくなるのにハードが追いつかず、無理がかかるからです」
とわかったようなわからぬ答えが返ってきた。
 こうしたパソコンに対して、比べるのが無理を承知で言えば、家具には一生ものが多い。例えば書斎机。40年ほど前、大阪で家具店が並ぶ立売堀で、私にとってはかなりの額のものを思い切って買った。あちこちに傷はできているが、ガタはまったくなく引き出しもスムーズに動く。自動車だって若いときはほぼ5年毎に買い換えてきたが、それは大きすぎて運転がしずらかったり、車高がやたらに低く暑くてたまらなかったためである。その気になれば長年使えたはずで、ちなみにお隣のシーマは10年以上健在だ。パソコンもこうした家具、せめて自動車なみに壊れない品ができないものか。パソコンからは職人の根性が伝わらない。
 先日テレビで、東京か埼玉だったかの下町の中規模ぐらいの工場で、精密工作機械製作に精魂をかたむける社長を紹介していた。「社長にほれて、ついていきます」と懸命に技術を習得する従業員のことばがあった。職人魂いまだ健在と心うたれた。
 「建具職人千太郎」(岩崎京子)は幼い千太郎が職人に育っていく様子を書いた児童小説である。江戸末期、口減らしのために建具職人の頭領・建喜のもとに奉公に出された姉を追うようにして、千太郎も奉公に出される。
 奉公先の頭領、先輩職人、近所の名主、それに姉の励ましで、職人の技と根性を身につけていく、総じていい人ばかりで、こうした奉公話にありがちな、たとえば<おしん物語>のような悪質ないじめやいじわるは出てこない。子ども向けの話、あるいは作者の人間観のせいか、やさしい話になっていて、安心して読める話だ。一方で人間成長としては物足りず、これで一人前の職人に育つのか不安を覚える。
 建喜の頭領は組子の名人で、その組子ができあがる様子を丁寧に描く場面があり、いきとどいた作者の調査とレアリティが伝わる。だが文章だけではわかりにくく図がほしくなるのだが、図を入れると解説書になるおそれもあり難しいところだ。建具職人の道が塵取りから机作りというのは、なるほどとうなずけた。でもこれは指物師への道ではないかと思われ、建具師の道の入り口はどうなっているのか知りたかった。

 建具、指物、金属工作などに情熱をかたむける職人は、いまだ健在だし大事な楽しい仕事だと思う。「建具職人千太郎」が現代に通じる職人話となっているかは疑問が残るところだが、大事な分野には違いない。
(向川幹雄)

『建具職人の千太郎』


 課題書を選んだ時、桜が満開だった。わたしは毎春、毎春桜の季節には、ふたつの物語を思う。坂口安吾の『桜の森の満開の下』と岩崎京子の『花咲か』である。前者は子どもの文学ではないのでさておき、『花咲か』の主人公を思わない春はない。ソメイヨシノの川べりを歩くとき、こんなに美しいものが見せてもらえるのは、あの寡黙な植木職人の地道な働きのおかげだと、作家にも感謝するほどである。
 その岩崎京子が、40年の歴史がある「赤い鳥文学賞」の最後の受賞者になった。受賞作『建具職人の千太郎』は未読だったので、今回とりあげることにした。(挿絵の田代三善もこの作品で、同じく終了する「赤い鳥さし絵賞」を受賞している)
 
 『建具職人の千太郎』は『東海道鶴見村』(1977.11 偕成社)や『街道茶屋百年ばなし 熊の茶屋』(2005.3 石風社)に収められた「姉弟」という短編をふくらませたものである。「姉弟」の初出は1975年、「びわの実学校」70号が初出であるらしい。
 読み比べると、おこうが10歳で奉公に出るのも、そこが建具職 喜右衛門の「建喜」であるのも同じだが、弟の名は百太郎となっている。(まだ那須正幹の『お江戸の百太郎』が刊行されていない時期なので、これを考慮したのかという疑問は消えた)
 そしてこの姉弟だけではなく、四郎吉という末っ子までが6歳で、親に捨てられるように「建喜」に来たところで、
    ところでこの姉弟がその後どうなったかはよくわからないが、いちおうここでおわることにする。私は娘の気おいが書いてみたかっただけだから。
と、えっ?と思うほど中途半端な終わり方をしている。娘の気がいとはいうものの、弟にも充分の光があたっているので、これは「姉弟」の物語である。
 いっぽう『建具職人の千太郎』はタイトルこそ千太郎だが、やはり姉の存在が大きく「姉弟」の物語であることに違いはない。この姉弟のみならず「建喜」にまつわる多くの人たちの描写がけっこう長く、視点を広げすぎて「建喜のひとびと」という世界になってしまった。
 作者はあとがきで、いつか、ちゃんとした職人が書けたら、と思っています。と記しているが、あきたらない姿勢には感服する。千太郎が学問の足らない自分を認めた時に、名主であり寺子屋の先生でもある関口が、おまえの学校は建喜だと、その場所で学ぶことを勧めるくだりがあるが、職人とはそういうものなのか? 以前ドイツだったかの磁気の絵付師が語っていた。高学歴の風潮で職人になる時期が遅すぎるので、昔ほどの作品がつくられなくなったと。よく
はわからないが、職人のスタートとなるべき年齢があるものらしい。
 おかしかったのは仁義。やくざ映画でしか知らなかったので、勉強になりました。棟梁喜右衛門の
    やがて近づく昼の刻、きょうのおかずはなんじゃいな。
    鯵のたたきが出ればよい。ベベん、べんだ。
にも笑った。おこうの父親が言う
    神も照覧あれ
は、わたしも使ってみようかと思った。ユーモアが随所に見受けられる。
 しかし時代である。へたに自分の運命に不服を持つと、不幸になるばかり、女は右を向けと言われれば、三日右を向いているのが波風をたたせないことだなんて、読者少女はなんと感じるだろう。時代物を読むときに覚える不条理を、どう超えてゆくかも読後の課題である。

 全体としては読みやすく、説明がはいっていても話を損なうことはなかった。
 わたしは組子のことも面白く覚えたし、西行という言葉も知った。とくさが研磨剤の役割をするとは知っていたが、木の仕上げにも使うとは知らなかった。
 前をみつめて歩き出している姉と弟が見つめる初日の出、読後感は爽やかである。
(村上裕子)