ぼくのクジラウオッチング
わたしは水中写真専門のカメラマンです。
いま、小学生向きの科学雑誌に頼まれて、クジラの写真をとりに、一週間前から、紀伊半島の南にある、この小さい町に来ています。
ちょうど、海辺に小さな水族館があり、そこには、学生時代から、後輩でいっしょにスキューバダイビングをしていたガールフレンドの理沙がいました。
久しぶりに理沙の顔が見られることもあってわたしにま願ってもないうれしい仕事でした。
夕食が終わって、わたしが、宿の自分の部屋で、ひるまのクジラウオッチングのことを思い出しながら、うつらうつらしかけたときです。
トゥルルルルルルルルルルル
とつぜん電話が鳴ったので、わたしはあわてて部屋の電話の受話器をとりました。
ところが、受話器からはなんの音も聞こえてきません。
ふしぎに思った私の耳にまた呼び出し音が聞こえてきました。
「あ………」
わたしはちょっとおどろいて立ちすくみました。
どうやら、その音は床の間にかざってある大きくてどっしりした巻貝からきこえてくるようでした。
わたしは、おそるおそるその巻貝を取り上げて、耳に当ててみました。
ゴボッ…… ゴボゴボ……
なんと聞こえてきたのは水中で出るあわのような音でした。
「モシモシ、モシモシ」
それらの音の中から、男の子らしい声が聞こえてきました。
「モシモシ、ぼく、ひるまお会いしたクジラです」
「えっ!」
わたしはおどろきました。ほんとうにこのふしぎな電話をかけてきたのは、あのひるま写真をとったザトウクジラなんでしょうか。
「お願いです。教えてください」
「何を?」
わたしは思わず聞き返しました。
「イルカです。今日、あなたが船の上から落としたイルカの写真です。彼女がいま、どこにいるのか教えてください」
「あっ」
わたしは思い出しました。
今日の昼、船で水族館のガールフレンド理沙がイルカといっしょにうつっている写真を見ていたところ、風に飛ばされて海に落としてしまったことを。
このクジラは、あの写真を見たにちがいありません。でも、どうして、イルカのいるところなんか知りたがるのでしょうか。
「ぼくたちはとっても仲のよい友だちだったのです。広い海をいつもいっしょに泳ぎ、追っかけあいをしたり、えさをさがしたりしていたのです。でも、急に彼女がいなくなってしまって、ぼく、ずっと彼女をさがしていたのです」
わたしはクジラのことばに胸をうたれました。
この広い海を当てもなく、どれほど長い間クジラはイルカをさがしつづけていたのでしょう。
わたしが、そのイルカはこの町の水族館にいることを教えてやると、クジラはていねいに礼をいって電話をきりました。
わたしは次の日、水族館に理沙をたずねていきました。
両側に水槽のある、すこしくらい通路を抜けていくとイルカたちのショーを行うプールに出ます。
理沙は手に大きい輪を持って、イルカにそれをくぐらせる芸を教えていました。
イルカはまるで翼を持った鳥のように軽々と空中を飛んで輪をくぐり抜けます。
そのたびに、理沙はイルカに小さい魚を与えるのでした。
「やあ、やってるね」
わたしが声をかけると、理沙は笑顔でふりむきました。
「もう仕事は終わったの?」
「あと一度潜ればね」
わたしはそういって、あのクジラの写真を見せて、昨夜のふしぎな電話の話をしました。
「やっぱりねえ」
理沙が深くうなずきながらいったのでわたしは思わず聞き返しました。
「やっぱりって?」
「わたしのミカちゃん、すごく海を恋しがっているの。あんなに高くジャンプするのは、そのとき海が見えるからだわ」
「ほんとうだ。海が見えるんだ」
わたしはプールのさくのところまで行って海を見ました。
さくの向うには、少し草地があり、三十メートルほど先はもう砂浜で、青い海が広がっているのが見えました。
あれだけ高くジャンプするミカには、ずいぶん遠くまで海が見えるのにちがいありません。
「考えてみると、人間って勝手ね」
理沙がそばに来ていいました。
「自然の中にいる動物たちを勝手につかまえてきて、こんなふうに見世物にするんだから」
わたしがだまっていると、
「それかして」
理沙はわたしの手からクジラの写真をとると、イルカを呼びました。
「ミカちゃん。このクジラ君、ミカチャンの友だち?」
イルカは理沙のいったことがわかったのか「キュッ、キュッ」と鳴くと、すごい勢いでプールの中を泳ぎ回り、続けさまにジャンプをくり返しました。
翌日、わたしは頼んであった船でもう一度海に出ました。
運良く、十何頭ものクジラの群れに出会い、写真もじゅうぶんとれました。
(これで、編集長も感心して、きっと次の仕事もくれるだろう)
わたしも満足してもう帰ろうとしたとき、一頭のクジラが、すーっと群れからはなれてわたしのそばまでやってきました。
そして、あたまを寄せると何か訴えるような目でわたしを見ました。
あの、電話をしてきたクジラにまちがいありません。
わたしは手をのばして軽くクジラのからだをたたいてやり、手を耳に当てて、電話を聞く身ぶりをしてやりました。もう一度、巻き貝の電話をしてこいといったつもりなのです。
クジラはそれがわかったのか,二、三度あたまを横にふってから泳ぎ去っていきました。
その夜,そろそろ寝ようと思ったとき,
トゥルルルルルルルルル
電話が鳴りました。
床の間を見ると,やっぱり鳴っているのは巻貝でした。
「ハイ,ハイ,わたしですが」
ゴボゴボッ、ゴボゴボ………
「モシモシ,ぼくひるまのクジラです。あなたのおかげで,久しぶりにミカちゃんと話すことができました」
「えっ。ミカチャンは水族館にいるのに?」
「ぼくたち,はなれていても心の中で話せばわかるんです」
(イルカは超音波を出すときいていたがクジラはどうだったのかな?)
わたしは首をひねりましたが,本人がそういっているのだから,わかるのかもしれません。
「お願いです。明日の夜,あの女の人といっしょに,水族館のミカちゃんをプールに連れ出してください。どうしても会いたいのです」 (あ、そうか)
わたしは気がつきました。明日の夜は満月で大潮のため,海はいるかのいるプールのすぐ近くまでやってくるはずです。
(だから,波打ち際までクジラがやってくれば,イルカがちょっとジャンプするだけで,お互いの姿を見ることができるはずだ)
そう思うと私の胸は急にどきどきし始めました。
次の夜,わたしと理沙はイルカのプールのそばに立ってさくの向うに広がる海を見ていました。
海は濃い青色でしたが,間もなく真上にくる満月の光を反射して,きらきら光っています。
「今夜は,いつもより海が近くまでやってきた感じだわ」
理沙がいいました。ほんとうに,その波打ち際までクジラはやってくるのでしょうか。
でも,イルカのミカはさくのこちらのプールの中です。
わたしは,プールの中を行ったり来たり,ときどきジャンプしたりしているミカに目をやりました。
「ミカも何か感じているのかなあ」
わたしがいうと、
「やっぱり緊張しているみたい」
理沙が答えます。
「あ,あれは何かしら」
しばらくして,理沙がささやくようにいいました。
わたしも,目を細めて,海のほうをじっと見つめます。
何か黒いものが横に大きく広がって,海岸へ押し寄せてきます。
「クジラだ!」
「すごい数のクジラよ!」
黒く見えたのは,何十,何百というクジラの大群でした。
クジラはまるで津波のように波を起こしてぐんぐんこちらに近づいてきます。
「あっ,ここまで来るぞ」
わたしが大声で叫んだとき,クジラたちが起こした大きい波はしぶきをあげて,プールの上に襲いかかってきました。
「ミカ!」
理沙の叫び声で見ると,ミカが大きく波の中をジャンプして,さくを越え,そこまで来た海に飛びこむのが見えました。
わたしたちは,頭から波をかぶり,流されないようさくにしがみつきました。
波が引くと,わたしたちはあわてて海を見ました。
「あっ,ミカだわ」
理沙が,指さした沖のほうに,いっぴきのイルカが大きくジャンプするのが見えました。
「あのクジラだ」
そして,大きいからだをジャンプさせ,しぶきをあげるクジラの姿が見えました。
わたしたちは,顔を見合わせてから,沖に向かって大きくてをふってやりました。
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