Pentium−V立上げ日記 |
2000年7月4日 「パンパンのひとりごと」から独立しました。
2000年7/4(火) Pentium−V物語(第6回)おまけ
2000年7/2(日) Pentium−V物語(第5回)最終回
さて、AGPボードがどうも原因ではないかと思われ出してから、またまた掲示板へPentium−VとAGPボードの
相性についてSOSを出しました。すると、Matrox製のグラフィクボードを専門にした個人のページを紹介してくれました。
http://www3.famille.ne.jp/~suna/ シバのhomepage
ここにはG200やG400といったMatrox製のAGPボードに関する情報や便利ツール等たくさんありました。
そこでMGA−G200のボードの設定、ステータスを表示するフリーソフトを見つけさっそくダウンロードしました。
そしてそのツールでボードのパラメータを変更したり、ドライバーをバージョンupしたりして対策しました。
それでやっと例外OEの発生しない条件を見つける事ができました。
でもそれは何と「緊急専用モード」です。ボードとしてはトラブル時に原因調査をするためのsafeモードです。
これじゃPentium−Vが無事動くようになったと言ってもPCとしては使い物にならないよ。情けない!!
この時6月21日(水)です。
そこでPC自作マニアのY田君へ余った(貸してもらえる)AGPボードないか相談すると、
あるよとすぐに貸してくれました。それはG200と同じ頃流行ったDIAMOND社製のボードです。
Diamond Viper V550 16MB AGP
さっそくG200をこれに交換してドライバーをインストールしてみました。
すると、何度起動しても何をしても、何もなかったかのようにちゃんと動作するではないか。
しかも、Y田君からはクロックアップしちゃいかんよ、と言われてましたが、こっそり129*5.5=710MHz
までupしてみましたが、スイスイ動きます。
これがちゃんと動作する時のPentium−Vの快適さか、と感動しました。
クロックアップはすぐに元に戻し、あれこれアプリを起動しましたが、その後2度と例外OEは発生しません。
そこで最後の挑戦と思い、また愛着のあるG200へ戻し、またフリーソフトで設定を順次変えながら、
どこか良い設定は無いものかとやってみましたが、緊急専用モード以外は、どうしても例外OEが発生します。
つまり、私のマザーボードとG200 AGPボードとPentium−V(カッパーマイン)ではどこにも正常動作する
設定がみつからないのです。
ここで6/23(金)でした。
次の土曜日、友君といっしょにPCパーツショップ3店をDiamond Viper V550をさがしてまわりました。
でもどこにもありません。DIAMOND社製の1万円を超す最新のボードはありますが、とても買えません。
なにぶん今回も友君のお小遣いから借金しての購入ですから。
Y田電機で型名は違いますが安いDIAMOND社製のAGPボードを買ってきました。5千円以下です。
Diamond Speedstar A200 8MB AGP
さっそくこれを差してPCを起動。緊張の一瞬。
買ってよかったか、無駄な買い物になったか。もしこれでまた例外OEが発生したら、次はどうしよう。
まずは、無事にWin−98が起動し、ドライバーを入れ、無事に32ビットカラーも表示できるようになり、
ここまでは正常。画面の切り替えやベンチマークやアプリの起動やと色々試しました。
やったーーー!! 1度も例外OE発生しませんし、途中での突然リセットもありません。
その後、日曜日にかけてクロックアップや元のG200へ戻しての再現テスト等をくりかえしました。
そして、6/25(日)Pentium−V(カッパーマイン)無事動作する事を確認完了しました。
ここに、Pentium−V物語の完了宣言です。本当に長い苦悩の2週間でした。
その後、無事に動けば、次はどこまでクロックアップできるかが興味です。
Viper V550 では、129*5.5=710MHzまで動作しましたが、
これは残念ながら、117*5.5=643MHzまでしか起動できません。
でも、ちゃんと動作する事がこんなにうれしいとは。
その後今日まで1週間無事643MHzで動作してます。
2000年6/28(水) Pentium−V物語(第4回)
BIOSのupも無事に終わりいよいよCPUの交換。これは時間に余裕のある金曜日の夜に始めました。
マザーボードはAopenのAX6BC typeR、PGA−>slot1の変換ボードはsoltek SL−02A+です。
各種PC自作やクロックアップのHPではポピュラーな組み合わせです。
433MHzのceleronとお別れして念願のPentium−Vを変換ボードへ差し電源ON。
緊張の一瞬です。またピーーピーー言い出すかと心配してましたが、ちゃんとピッと言ってBIOSが起動しました。
ちゃんとCPUの表示もクロック周波数の表示もOKです。そして無事Win−98が立ち上がり安心したその時
一面ブルーのいやな画面が....例外OEが発生しました.....
えーーそそんなーー、再度起動すると今度は起動時のWin−98のロゴの次にCRTがカチッと音がして1024*768に
なるところでまたも同じブルー画面が。
その後何度もリセットやパワーON/OFFを繰り返すもまとに使える状態が無い。
またまた落ち込みです。またPCのマニア掲示板へSOSを書き込みアドバイスを待ちます。
それが約2週間前の16日の金曜日の夜の事でした。
朝早くから並んで安く買ってきたはずのCPUが1週間たってもまだ正常に動作しない。
Intel純正品の箱入りですがもしかして初期不良か、が頭をよぎる。さっそく夜中に掲示板へアドバイスがありました。
相性の悪いサウンドカードを使っていないか、放熱フインとチップの接触が悪く熱暴走してないか、
でもどれも大丈夫でした。
必ず起動してくれるDOSの状態で色々試してみました。クロックアップも129MHz*5.5=710MHzまで試しました。
まったく正常に、スイスイ動いてくれます。また偶然起動した時に、各種のベンチマークs/wを走らせても正常です。
インターネットへ接続してネットサーフインしても、メールの読み書きしても。
しかし、スクリーンセーバーへ切り替わる時にまた同じブルーの画面が。
そうこうしてるともう18日日曜日の夜。情けない週末でした。
ここでみなさんのアドバイスや色々試してわかった事は、
画像が切り替わるときに発生する頻度が高いという事でした。
そこで気に入っているグラフィックボード(Matrox MGA−G200 AGP 8MB SDRAM)を疑う事になりました。
この続きは明日以降に!!
2000年6/27(火) Pentium−V物語(第3回)
PC自作やPCパーツショップの掲示板でのアドバイスを元に悪戦苦闘しました。
ふとメモ帳でBIOSファイルを眺めてみると確かにタイトルやメニューらしきASCII文字列が見つかりました。
どうも実行後、S/Wは何かを待っていて条件がそろえばタイトルとメニューを表示するようになってるようだ。
そこでDOSの起動ディスクのなかの設定ドライバーをすべてコメントにしてみると英語モードのDOSが起動し
何と期待していたタイトルとメニューが表示されました。やったぜ!!!
結局、BIOSのup用s/wがうまく動作しなかったのは日本語モードのDOSで起動していたからでした。
あとでよく考えると当たり前のようにも思えましたが、Aopenのページでは日本語で手順もあり、その中では
特に英語モードのDOSで起動する事とは書かれていなかったもんで。(単にシロートでした。)
それは15日(木)の事でした。
その後5、6回はBIOSの書き換え(フラッシュするとも言いますが)をしましたが、うまくいってます。
これでやっとPentium−VへCPUを交換できる。
この続きは明日以降に!!
2000年6/26(月) Pentium−V物語(第2回)
さてCPUは買ってきたがはたして自分のマザーボードで対応してるか、それを確認するために
いつもお世話になっているPC自作やクロックアップの掲示板へ問い合わせをしました。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwky5446/ DOS/V自作派のための掲示板
ちゃんと次の日にはアドバイスが。BIOSをP3(カッパーマイン)対応にバージョンup必要だ
ということでした。やっぱり。うちのマザーボードのBIOSは98年11月バージョンですから
まだPentim3も発売されてませんでしたからね。その頃はP2−450が93,000円もしてました。
そこでAopenのHPより最新BIOSをダウンロードし、手順書ページを印刷し初めてのBIOS書き換えに挑戦です。
Aopenのページには、「失敗の可能性があることを納得しなさい」と脅しの言葉が。
確かにその種の掲示板にも、失敗して起動しなくなったとか、その為のROM焼き君とかのパーツも売られてました。
まわりのPC自作マニアのY田君やH山君やY本君に聞いてもほとんどやったことなかった。
少し心配しながら手順に従いBIOSのup用s/wを起動。
しかし画面が真っ黒になりカーソルが左上にじっとしたまま何も起こらない。
初めての事なのでこのまま10分待った。
Aopenのページでは、「BIOSのup起動中は絶対に電源を切らないように!!」と注意書きが。
10分まっても変化なく恐る恐る何かキーを押してみた。なんとDOSのプロンプトが表示。
どうもじっと何かを待っていたようだ。その後数回繰り返すが同じ症状。
さて困った。また掲示板へSOS。ここまででもう水曜日。CPUはまだピアノの上に飾ったまま。
この続きは明日以降に!!
2000年6/25(日) Pentium−V物語(第1回)
今日やっとこのページを更新できるようになった。6/11より2週間悪戦苦闘の日々だった。
事の始めは6/11のPCパーツショップ「パ**ッ*」の広告に
Pentium−V 550E(FC−PGA) Intel BOX品 2個限り 日替わり商品 ¥*,800円
を見つけてしまった事から始まった。
さっそく友君のおこづかいを期待して朝5時45分自宅を友君とふたりで出発。6時ちょうどに到着。
なんと1番のり。やった、これで間違いなく買えるぞ!!
6時半に2番目の人が来た。同じくPentium−Vを希望。これで日替わりの2個は終わり。
その後10時の開店まで10人ほどのPentium−Vを希望の人が来た。
おまえら8時過ぎに来て買えると思う方がアホや
と思いながら4時間を待った。
この待っている間、友君はミニテーブルと宿題を持ち込み、6時半頃からお店の入口前で宿題をしました。
10時になり待望の整理券をもらい、無事Pentium−Vを買うことができました。
この時お店の入口には20人ほどの人が並んでました。
そして、そのPentium−Vが無事動くまで2週間かかりました。
この続きは明日以降に!!