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20世紀終盤は、ここでつぶやいていました↓。 でも、最近はこっちでつぶやいてます→ http://twitter.com/chevalosta
日本中どこに行っても同じ様な町、同じ様な店、同じ様な品物。そして、同じ様な人。
コンビニ、スーパーはもちろん、本屋さんに行っても、テレビを見ても、田んぼや畑の作物も、みーんな同じ物ばっかり。都会も田舎も、同じ様な生活、同じ様な社会問題、同じ様な人ばっかり。
それが、だんだん、世界中どこに行っても・・・ということになってきそうだ。
たくさん売れる物を作る、売る。たくさん売れる物しか作らない、売らない。たくさん売れる物は、良い物か?いやいや、良い、悪いは、価値観で変わる。今の世の中、たくさん売れる物=良い物、ということらしい。善悪の基準も、儲かるかどうかで決まってしまう。一番売れる物しか勝ち残れないのが今の世の中。
物だけではない。文化も。人の心も。安易なものが人気がある。よく売れる。なんでもかんでも自由競争。それが正義だと信じられている。文化も、伝統も、人の心も。
でも、私はそうは思わない。私から見れば、悪い物でもたくさん売れている。良い物でも売れないものはたくさんある。価値観は国により、民族により、地域により、そしてなによりその人によって違っているのがあたりまえのはず。良い悪いは、決めつけられない。価値基準を押し付けられてはたまらない。
今の世の中で、一番人気の価値基準の本質は「自分(だけ)が正しい」と「長いものには巻かれろ」もしくは「寄らば大樹の陰」が組合わさったもの。結局「自己中心主義」と「弱肉強食」。世の中全体が、そうでなくてはならないような風潮が感じられる。こんな価値基準で、世の中は良くなるはずがないと、私は思う。
人類を含めた自然全体は、ホンとはそうじゃない(もしくは、なかった)。百花繚乱。強いものも弱いものも、バランスを保ちながら、さまざまな命が生きている。ホンとは同じものは一つもないはず。
現代の知識は浅く、伝統の智慧は深い。人間歴史は短く、自然の歴史は永い。伝統を顧み、自然全体に学ぶことが、ホンとは大切だと思う。
だれかを悪者にすれば、何かを悪者にすれば、うまくいく、 人間は、そう考えがちなものだと思う。
だれでも、意識はしていなくても、知らず知らず、 だれかを悪者に、何かを悪者にしてしまいがちだ。
なぜだろう? それは、たぶん、「自分は正しい」「自分が中心だ」と思っているから。
でも、地球は、大自然は、決して悪者をつくらない。 あらゆる動物も、植物も、バクテリアも、ウィルスも、すべての生き物を、生かしている。
地球から見れば、大自然から見れば、すべてが大切。悪者はいない。 いや、人間が、地球に、大自然に、何をしているか考えると、ひょっとして、人間だけは、悪者かもしれない。
しかし、手におえないいたずら坊主が、いつか、おとなになって、親を助けてくれるようになればと、地球が、大自然が、おもっていてくれれば、ありがたいのだけれど。
ああ、でも、それもこれも、人間が、「自分は正しい」「自分が中心だ」と思っているから。
聖徳太子さまはやっぱり偉かった。「和を以て貴しと為す」。 この言葉は、現代であればこそ、その重さを増す。
弱肉強食ではない。競争ではない。 全体の調和が、全体の幸福をもたらす。
全てのものは、本来、争っているのではない。 与えあい、支えあっている。
本来の姿になれば、全体の調和に向かって進めば、 全体も、個々も、幸福になっていく。
「自分は正しい」なるほど、でも、それは、「自分以外のものも正しい」ということだ。 だれでも、自分なのだから。
「自分以外のものは間違っている」なるほど、でも、それは、「自分も間違っている」ということだ。 だれでも、自分なのだから。
お互いを尊敬することだ。 嫌いな人はいても仕方がないが、その人を悪者にするのは間違いだ。
人間に限った話ではない。 全ての命を尊敬することだ。
物理的に考えれば、人間より地球が重い。 よく、人間の命は地球より重いというけれど、ほんとうだろうか?
人間を誕生させたのは、地球ではなかったのか? 土と、水と、空気と、太陽と、月が、地球に生命をもたらした。
いま地球は、回復不可能なほどに傷ついている。 傷つけたのは、他のなにものでもない、私たち人間だ。
人間は、地球なしでは生きていけない。 人間だけではない、地球は数え切れない命を生み、育て、守っている。 やはり、人間より地球が重いと思う。