Prep. 4 不思議なタンスの話をなぜ大人のカーク博士が信じたのか
この衣装ダンスこそが、ディゴリーがナルニアのリンゴの種から育った木で作ったものであり、あの忌々しい黄色と緑色の指輪の性質を受け継いだものなのです。ディゴリー・カークは自らの冒険のあと、ナルニアのリンゴを母に与え、その果皮と種を庭に埋めました。そして同じようにアンドルーおじの作った指輪をリンゴの芽(ひと晩で芽吹いたのです)の回りに埋めてしまいました。月日が経ち、このリンゴの木が嵐で倒れてしまってから、母の命を救ってくれた木を薪にするのはしのびなかったので、ディゴリーはこれをタンスにしたのです。ちなみに指輪は最後の冒険でもう一度登場することになります。
ピーターとスーザンはルーシィの゛気がふれた話"をカーク博士ことディゴリーにすることを躊躇いましたが、元はといえば原因となった衣装ダンスを作らせて置いたのが彼だったので、この兄弟の冒険は当然だと思ったことでしょう。と、同時に子供の頃の自分の冒険を思い出し、アスランを思い出したのかもしれません。彼はアスランの国へ行くことを許された人間であるのですから・・・。
ペヴェンシーの子供たちがカーク博士の屋敷へ疎開してきたのはおそらく第二次世界大戦の戦火を避けるためであったと思われます。彼らの父親は大学の先生であるので、そのつてがあったようです。のちにアメリカへ約3ヵ月の授業をしに行くくらいの先生だったようなので、当時タイムリーな分野の研究家だったのではないでしょうか。
ディゴリー自身がケア・パラベルの4つの王座の予言を知っていたのかはわかりませんが、4人がディゴリーの元へとやってきたのはまったくの偶然とも思えません。ここにアスランの導きを感じずにはいられないのですが、いかがでしょうか?
ともかく4兄弟は予言のとおりに王座へつくわけですが、ピーターとスーザンはこの1年後の冒険を最後にナルニアへはもう来ることができないとアスランに諭されます(ピーターはもう一度来ることになります)。ということは、当時ナルニアへ来られるぎりぎりの年齢であって、しかものちの冒険をするエドマンドよりもいくつか年上であるわけです。そこで1940年より13年、12年前となっているようです。エドマンド、ルーシィについてはその次の冒険で同じようにアスランから「年をとりすぎたのだ」と言われていることから、少なくてもユースチスよりは年上でなくてはなりませんし、4兄弟ということも考慮して、10年と8年前となっているようです。
ディゴリーが経験した冒険はこの世でいう1900年、ペヴェンシーの子供たちは1940年ということになると、この40年のあいだにナルニアでは1000年の年月が流れていることになります。一旦国外へと逃れた白い女王ジェイディスがナルニアを征服するまでにはなんと1000年もかかったとも言えます。もしもルーシィが直接ディゴリーとお話していたら、ディゴリーの胸中は穏やかではなかったでしょう。でも外套4枚でナルニアの平和を守れたと思えば高い買物ではなかったのかもしれませんね。
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挿し絵については岩波書店ナルニア国ものがたりより選び、引用しました。
ナルニア国ものがたり 全7巻 C・S ルイス作 ポーリン・ベインズ絵 瀬田貞二訳岩波書店