こころ込め 育てしひとを おくる日の
戸口に開く 朝顔の白   −前編−
 
 
 
おおだんなつこ

 額田王が
「あなたが来たのかしらと思ったら、秋の風が御簾を揺らしている音だったのね」と歌っていて、以前友人が、
「人間ていうのは進歩がないね。万葉の時代から変わらない」と言った。
 そうだ、進歩がない。今の私もそうだ。おもてでカサカサと音がする。母さんが帰ってきた、と思う。いや、違う。風の音? 秋の風だ。
 どうしてこんなに寒いのだろう? 7月だというのに。

<7月23日水曜日>
 母さんの入院の準備をする。何か忘れ物はないか、母さんのことだから不充分でも何も言わないで我慢するのではないかと、不安で仕方ない。
「そんな、急にはベッドも空いてへんし。明日は検査だけやから。もう。そんなに入院させたいの」と、本人はあどけない顔で言う。
 私はごり押しでも入院させたほうが良いと思っている。このところひどく腹水がたまって、ほとんど寝たきりになってしまった。6月からお腹がふくれてきていたが、それでも「歩かなきゃ」と、散歩や買物に出ていたのだ。
 この夏は越せないかもしれない、と思う。そう思うと電車の中でもバスの中でも、所かまわず涙が出てきて困る。お婆さんがいると、なぜこの人が元気に電車に乗っていて、母さんが死んでいくのか、と思える。いや、一ヵ月前までリュックをしょって買物に行っていた母さんがそんなに簡単に死ぬわけはないとも思う。

 近藤みゆきから手紙がきた。夢を見たという。夢の中で、みゆきと私は南の島で働いているのだという。みゆきと二人で南の島に行くのもいい。母さんが死ねば。そうなれば日本には何の未練もない。今までの生活にも未練はないし、ああ、何もかも忘れて、南の島に行きたい。

<7月24日木曜日>
 由美ちゃんから電話が入る。今の私の状況を知っているので、とても心配してくれている。
「どうする? 仕事、やめるか?」
 由美ちゃんの問いに、私は何とも言えない。仕事自体は気に入っているし、親が死ぬからといっていちいち仕事をやめるのもどうかと思う。でも今のままではそれこそ死にめにも会えないかもしれないし、そうなれば一生後悔することになるだろう。

 母さんはやはり入院になった。夜遅くに仕事から帰ってきて、付き添って行ってくれたおねぇちゃんとききちゃんから、その報告を聞く。お腹の中には水だけでなく血がたまっていたのだ。
「考えようによってはね」と、ききちゃんが言う。「母さんは、できるだけ家に居たかったんだから、ぎりぎりまで居れて、良かったのよ」
 この夏は越せないかもしれない、と思っているにもかかわらず、いや、でもまた家に帰ってこれるのではないか、と思う。まだぎりぎりではないのではないか、と思う。だが私はいつも冷静で客観的な判断をし、それでいくと、やはり、母さんはこの夏、死ぬのだ。
 岡田さんに手紙を書いた。
 欲しがっていたキッチンカウンターを、こんなことなら早く買ってやれば良かった。
「ほんと? 買ってくれる?」と、はしゃいでいたのに。いそがしさに取り紛れて、注文するのがのびのびになってしまっていた。どんな状況でも、一分一秒でも、長く生きてほしいと思うのは、子供のわがままだろうか、と。

 母さんの寝ていた場所に、母さんの布団を敷いて、横になる。おもてでカサカサと音がする。母さん? 母さんが帰ってきた。…いや、こんな夜中に、そんなことありえない。母さんは今頃、病院のベッドの中だ。新しくて、よく考えられた、いい病院だ。空調の行き届いた静かな部屋で、静かに眠っているだろう。でも母さんが散歩や買物から帰ってきた時と同じ音がする。風の音だろうか。まるで、秋の風のようだ。ものさびしくて。

<7月25日金曜日>
 今日は仕事を休んで朝から病院に行く。
「あんた、いそがしいんやから、帰りなさい」「そんなに悪くないんやから」と、何度も何度も母さんは言う。それから少し疲れた顔をして「今度の入院は、ちょっと時間かかるかもなぁ。二週間、ううん、一ヵ月ぐらい、おらなあかんかもなぁ」
「そうやなぁ。いい子にして、できるだけはよ退院しよな」と私は答える。
 一番やっかいなのは、母さんが、できるだけ他人の手をわずらわせまいとすることだ。脳梗塞で倒れた時もそうだった。夜中にトイレに行くのも、看護婦さんを呼ぼうとせずに自分でなんとかしようとするので大変だったのだ。
「うん。いい子にして、ちょっとでもはよ退院する」
 そうだ、確かにお腹はぱんぱんにふくれあがっているけれど、こんなに普通に話しているじゃあないか。どうしてこのまま死んでしまうだろう。私は父親ゆずりの心配性なだけだ。
 自分の夕食が出ると「おねぇちゃんがおるんやったらご飯の用意せな、ご飯炊かな」と言い出す。
「ご飯は炊かんでもええ。買うてきたから」と言って一緒に食べる。
 食べ終わると、「ききちゃんに電話しておいで」と言う。
「ききちゃんに電話するの? なんて?」
「ききちゃんが心配するから」
「ききちゃん心配するの?」
「おねぇちゃんが帰らへんかったら心配するやん。電話しておいで。おねぇちゃん泊まるんやったら、お布団しかな」
 私は少し驚き、少しとまどった。
「…おねぇちゃんは、今日は、帰るの。明日お仕事あるし」
 え?という顔を、母はする。やはり居てほしいのか。布団は敷けなくてもボンボンベッドは借りれるだろう。明日の朝早くいったん家に戻って出勤することも可能だし。
「泊まろうか?」と私は言った。
「ううん。いい。あとは寝るだけやし」
「泊まれるよ」
「ううん。大丈夫」
「ほんまにええの?」
「うん」
 何を見ているのか、だが幼い子供のような眼だ。子供のような人だ。いや、子供以上に素朴で、可愛い。
 眼が合えば涙が溢れてきたのを見られてしまう。私はその眼を直視することができずに、逃げるように病室を立ち去った。

<7月26日土曜日>
 朝、出勤するなり店の子が「店長、今日台風くるよ」と言う。「ディベロッパーもはよ閉めようかいう話やし、店長もう帰ったら」
「そんなわけにはいかへんわ。土曜日に職場放棄はでけへん」
「でも電車やバス止まったら、お母さんとこ行かれへんようになるよ」
 そんなに大きな台風なのか。だが事情を上司であるエリアマネージャーに電話して早退するのも面倒だ。何しろあの女は私が「実は母がガンでしてご迷惑をかけることがあるかも知れません」と打明けた時、大笑いをしたのだ。「ああら、私のお婆ちゃんもガンだったんですよ。今は手術して、ぴんぴんしてますけど」と。
 それから半年、私は店の子達に懇々と、いざという時はあんたたちだけが頼りなのだと言い続けてきた。こんな時にまた不快な思いをするのはうんざりだ。だが。
「帰ろうかな」と私は言った。そう言った瞬間、私の中で何か、張り詰めていたものが切れたようだった。ゆうべの、あの、眼が忘れられない。なぜゆうべ一晩中、あの眼の傍についていなかったのか。
「え? 帰る?」
「うん。帰りたい。私、帰りたい」私はそれこそ小さな子供のように泣きじゃくった。
 帰ろう。もう私は使いものにならない。不快な上司もどうとでもなれ。報告もせずに職場放棄することが問題になってもかまわない。それは半年前に、彼女が私との間に彼女自らがつくった関係なのだから。どのみちここに残っても、もう私は仕事はできない。

 母さんは眠っているようだ。目を覚ましたらなんて言おう。「どうして仕事に行ってないの? 私はそんなに悪いの?」と、尋ねるだろうか? 台風がきて、早く店が閉まったんだと言おうかな。
 ふと母さんが目をあける。私が居ることに何の疑問も感じないようにごく自然に話し出す。
「なんか、今日は、とても眠いの」
「寝てていいよ」
「今日は、冬子ねぇちゃん、来る?」
「来るよ。もうすぐ来る。お仕事お休みだからね」
「冬子ねぇちゃんが来たら、起こしてくれる?」
「起こしたげるよ。もちろん。冬子ねぇちゃん来たら、起こしてあげる」
 安心したように、母さんはすぅっと、また眠りに入っていった。
 窓の外は嵐だ。だが、とても静かだ。ずっと、こんな時間が続けばいいのに。

<7月27日日曜日>
 不快な上司は昨日中に、私の職場放棄を知ったらしい。出勤するなり電話が入る。私はもう一店舗兼任で店長をやっており、そのもう片方の店が台風で営業時間をどうするかごたごたがあって私を捜していたらしい。
 親が死ぬ時ぐらい、ついていてやりたいと思う。だが、たとえば私が男で、たとえば東京あたりで働いていたら、危篤になって初めて駆け付けて、やっとこ死にめに会えるかどうかというとこだろう。もうじき死ぬだろうから意識のあるうちに、一緒に静かな時間を過ごしたいというのは、仕事を持つ人間としては甘えているだろうか。だが母さんと同居している肉親といえば、私ひとりということになる。その私がついていないならば、母さんはどうだろう、ひとりぼっちで死んでいくのか?
   心が定まらない。これからどうすればよいのか、わからない。

<7月28日月曜日>
 明け方、神戸に、棚卸しの応援に出かける。バスもない時間なので、おねぇちゃんに、神戸駅まで車で行ってもらう。おねぇちゃんはそのまま伊丹の会社に出勤する。ひどいどしゃぶりで、良かった、車で行ってもらって。
 この棚卸し応援も、私は初め、とても行けないと断ったのだ。なにせ次の日が自分の店の棚卸し、もう一店舗がその三日後。兼任なので仕事は遅れがちだ。休みもろくにとれない。帰ってくれば10時を回っているのでそれから病院にも行けない。だが上司はこともなげに言った、「どうして応援に来れないんですか? 他の方と違うことなんて、兼任なさっているかどうか、それだけじゃあないですか?」
 小さな店といえども兼任というのは私にとっては大きな負担だった。兼任でなければ、一店舗だけならば、棚卸しだろうとなんだろうとうまくまとめて時間が作れるのに、と、何度思ったことだろう。なかば喧嘩のようになって、私はこの応援に行くことになったのだった。

 昼すぎに自分の店に帰る。棚卸しの準備は遅れている。午前七時前から働いているのだから、実働八時間として四時には帰っても良いはずだ。だがあれも、これもとしているうちに六時になってしまった。後を頼んで病院へと向かう。昨日も行けなかったし、明日は棚卸し本番だ。今日は遅くなっても、どうしても会いに行きたい。

 もう九時を回っている。消灯時間も過ぎている。足音も立てないように、静かに病室にすべりこむ。
 母さん、眠っているの?
 と、同室の世話好きのおばさんが私を見つけて「ああっ」と話し出す。「おねぇさん、あんた、お母さん、大変やってんよ、三十分ほど前に」
 三十分ほど前に、母さんはひとりでトイレに行って、そこで倒れたらしい。三十分前。三十分前だ。なぜ、私は四時に店を出なかったのだろう。
「なっちゃん、居たの?」と、小さな声がする。
 目が覚めたの? それとも眠っていなかったの?
「居るよ」
「トイレでこけちゃったの」
「聞いたよ」
「なっちゃん。お母ちゃん、もう、だめなんかもしれん。もう長くないかもしれへん」
 私は言葉につまった。こんな時、人々はどう返答するのだろう。もう長くはないと思っている人に、私はもう長くはないのだろうかと尋ねられたら。「そんなことはない」と否定するのだろうか。「馬鹿なことを言うな」の叱咤するのだろうか。
「いい子にして、一ヵ月で退院するって言ったやん」
「うん。そうする。もうひとりではでけへんって、わかった。看護婦さんの言うこときいて、はよ退院する。がんばってはよ退院する」
 やがて看護婦さんがやってきて、今から当直の先生に診てもらうのでもう少し居てください、と私に言う。それから先生がやってきて、診察をする。廊下に私を呼んで「今すぐどうということはないと思いますが」と、声をひそめて言う。「今日の所はお家に帰っていただいて結構ですよ」
 病室に戻ると母さんが歯を磨きたいと言う。母さんはいつも気にしていた。「老臭がしない? いやな臭いがしない?」そんなの、ちっともしないのに。
 洗面器を持っていって、ベッドで歯を磨かせる。毎日、こんなふうにできればいいのに。あの、嵐の日のような、静かな時間が過ごせればいい。

 ふと母さんの体に触ってみる。医者が書いたエッセイの中で「なぜ人は死ぬ時、あつがるのだろう。最後の炎を燃やすからだろうか」という一文があった。母さんの体はまだあつくない。まだ、死ぬ時ではないのだ。

<7月29日火曜日>
 棚卸し当日。帰ってくると、もう夜中の十二時前だった。ききちゃんから今日の母さんの様子を聞く。昨夜のことがあるので心配していたが、普通に喋っていたようだ。
 明日は休みを入れている。朝から病院に行こう。そして、もう一店舗の棚卸しが終わったら、一週間休みをとろう。
「なっちゃんは文章が上手ね。お話するから、お母ちゃんの人生を書いてくれる?」と言っていたのはいつのことだったろうか。
 ゆっくり、母さんと最後の時間を過ごすのだ。母さんが話したかったことを全部聞くのだ。そうすれば、たとえ死にめに会えなくても、母さんもわかってくれるだろう。私の気持ちもある程度納得できる。誰がなんと言おうと一週間、そのためだけの時間をとる。電話をして、店の子達にそう言おう。なんとかできるだろう。なんとか。

 やっとうとうとしたと思った明け方、電話が鳴った。ききちゃんがとったようだ。こんな時間に電話なんて。病院?


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