![]() |
第1回 |
砂織先生
はじめまして。松本眞知子と申します。
私は、吹田のある小さなコーラスサークルの一員で、四方砂織(しかたさおり)さんという、すてきな先生に指導をいただいています。子供が小学生の時にPTAのママさんコーラスに入って以来6年位でしょうか。へたでも楽しく歌えたらと続けてきました。コーラス以外の事も、興味のある、やりたい事があれば、チョコチョコっと、色々楽しみながらも、平凡な主婦です。
旅行は好きですが、最近では、ほんの1泊の家族での小旅行程度で満足していましたし、海外なんて、私の意識に、全くなかったと言ってもいいくらいでした。むしろ、日本という自分の国が好きで、まだまだ私の知らないすばらしいところがあるだろうから、これから地方の温泉など行きたいなーと思っていて、子供達が独立したあとの老後、もしも、余裕があれば、主人と二人、ヨーロッパにでも行けたら
というのは、まあ、そんな事はないだろうという、「夢」でしかなかったのです。
これは、つい最近、今年の3月までの私でした。
結婚して21年、主人や子供を置いて、旅行なんてした事がなかった私に、いきなり「シドニーへ行きましょうよ!」と、まあなんと驚くことを言って下さったのは、コーラスの先生、四方砂織先生なのです。
シドニーってどこ?
砂織先生に突然、シドニー行きを誘われたのは、出発まであと2ヶ月という、2月28日でした。
私は10年程前から、あるきっかけで玄米菜食を取り入れながらの食事を実践していますが、友人、知り合いの方々が興味をもたれ、1年程前から、月1回自宅で、料理講習
なんぞと大したものではありませんが‘数人寄って一緒に作って楽しく食べる’という会をしているのですが、その日はたまたま他の方が来れなくて、砂織先生1人が来られた日だったのです。
2人で必死に作り上げて、「さあ、いただきましょう」という時には、ビールも出て
。講習の中身は、添加物は気をつけましょうとか、粗食でとか、真面目な話をしながら調理するのですが、2人は、つい最近から、飲み友達でもあり、冷蔵庫になぜか入っていた大学いもも加わって、「乾杯!」。いい気分で盛り上がってしまいました。全く、いいかげんな講習会です。
そんな時、突然、砂織先生が言われました。
「松本さん、シドニーに一緒に行きません? 松本さんと一緒に行けたら、楽しいワァ。行きましょうヨ!」
あまりに突然の言葉に、酔いのまわっている私の頭では、すぐには理解が困難でした。
「エッ? ちょっと待って下さいよ、シドニーって、もしかしたら、外国?ですよね」(一瞬、飲み屋の名前カナ?なんて)
「そうよ、外国」
「うそーっ! そんな、外国なんて、とんでもない。私、海外なんて、行った事ないんですよ」
砂織先生は−尼崎市合唱団から、シドニーへ演奏旅行へ行く予定があるが、団員以外の人も誘っていて、誘うのなら、一緒に行って楽しい人をと思っている−事を説明して下さったけど、私の頭は、その時はパニック状態。先生がその合唱団にいることすら、知らなかったのです。
「今、アンダンティーノ(私の入っているコーラスサークル)で歌っている『ふるさとの四季』を歌うんですよ。松本さん、大丈夫よ、行きましょうよ!」
「先生、冗談でしょう、酔っているんでしょう?」
「本気ですよ。松本さん、きっと楽しいよ。 ネッ! シドニー行きましょう! それにね、オペラハウスで歌えるんですよ、すごいでしょう!」
もう、目がくらんできそう。
「まあ、松本さんの意志だから、ご主人にも相談して、考えてみて下さいよ」
私は、なにがなんだかわからなくて、酔ってるし、とにかく、そのへんにある紙に「シドニー、オペラハウスの大ホール、5/1〜5/7 23万円。 合宿は3/29〜30」とメモりました。
「じゃあ、私はこれから仕事があるから行きますワ。あ〜、こんなに酔ってしまった。でも、もう行かなくっちゃあ」と、砂織先生は帰る仕度を始めると、シャキッ(さすがプロですね)。
「エーッ ちょっと待って下さいよ、今の話、本当に本当ですか? すごーぃ事ですよ。私、どうしたらいいの?」
「まあ、とにかく、よく考えてね」
まだ正気でない私を置いて、砂織先生は、故障中の車で、ブルブルガッタンと音をさせて、走って行ってしまいました。
あの車、大丈夫かなー。先生、気をつけてー。
さあ、シドニー、シドニー! やっぱり、私が行けるわけないよ。でも、本当に行けたとしたら
? すごい、行きたい!
えーっと、ところで、シドニーってどこの国だっけ。確か次のオリンピックがシドニーとか言ってた様な...
いつの間にか帰っていた高3の長男が2階から降りてきました。とびつくように話しました。
「ねえねえ、お母さんね、シドニーに誘われてん。康君、シドニーってどこにあるのん?」
「オーストラリアやで」
「へーそう、あんたよく知ってるね」
何も知らないのは、この私です。
「お母さん、シドニーに1週間行ってもいい?」
「うん、いいよ。なんや、さっきから、その話してたんか」
ワーッ キャーと、さわいでいる声が2階まで聞こえていた様です。
次に、中2の次男が帰ってきました。次男にも、だまっていられない。すると、「南半球の、日本とちょうど反対側にあるで、だから季節も反対やで」と詳しく教えてくれる。
「お母さん、1週間も行ってもいい?」
「うん、いいでー」
なんとやさしい息子達。でも、そうそう、やはり主人に相談しなくては。なんて言うかしら? 帰ってくるのを待っていられないよ。そうだ、会社に電話してみよう、と思い付くと、もう受話器を持って ピッポッパッ。
「もしもし、あのね、私、四方先生にシドニーの演奏旅行に一緒に行きましょうって誘われちゃってん。5月1日から1週間、オーストラリアのシドニー」
それを聞いて、主人「そうか、わかった。あとは帰ってからゆっくり聞くわ」
そりゃあ、そうだ。私の声が普通ではない事、わかったみたい。「ハーイ」と言って、素直に電話を切る。でも言って、すっとした。
シドニーへ行こう!
夜、主人の以外な言葉が返ってきました。
「僕は行ったらいいと思うよ。せっかくのチャンスやんか。・・・問題はお金やな。お金、あるか?」
ドキッ 「うーん、余裕は全然ないね。そうじ機、買い換えんとあかんね」
すると主人も「車も買い換えたいな」・・・?
やっぱり無理な話よ、そんな、外国なんか行ける状態ではないよね。それに、先生も酔った勢いで言ったのかも知れないし−本気で言って下さったのだったら、先生の方から、また連絡があるだろうから、私からは返事しないでおこう。
そのまま、何日かが過ぎました。すると、主人の方が、毎日の様に「返事した?」と聞いてくれるのです。「まだ」というと、「返事しなかったら、行く意志がないと思われるよ。はよ、返事せなあかん」なんて、言ってくれるのです。なんと、やさしいダンナ様。じゃあ、行ってもいいと言う事なんですね。
1週間後、コーラスの練習で、砂織先生にお会いして、
「あのー、主人は賛成してくれたんですよー」
「エッー、本当に? 嬉しー! 電話がないから、無理なのかなと思っていたんですよ」
やっぱり、主人の言う通り。
先生は喜こんで下さって、「日程表などファックスで送ります」
2〜3日後、シドニーでの日程や旅費などの説明のファックスに加えて、メッセージがありました。
「急に降って湧いたような話に戸惑いを感じられているでしょうが、一生の思い出となるシドニーオペラハウスで、一緒に歌いましょう!!」
うん、私も行こう! お金は、なんとかなるさ! がんばろう!
行くのはいいけど...
最初のお話から2週間後、初めて合唱団の練習に行きました。大ぜいの人たちがいらっしゃる。意外なことに私より年上の方達が多い。まあ、きれいな声! ステキ! 女性ばかりのサークルで歌っていた私にとって、一番感動したのは男性の声! 男性の声が入るとこんなにすばらしくなるの? 聞きほれてしまいました。それにまた、すばらしいピアノ伴奏に、ユニークな楽しい指揮の先生。まあ、楽しそう。
さあ、私もがんばって練習と思ったのですが、歌い始めると、エッ? 先生の指揮の振り、私にはわからないー。むつかしいョー。おとなりで歌ってらっしゃる方のすきとおる様な声。だんだん不安になってきたのです。私が、こんな本格的なコーラスの中に入っていいのでしょうか。
そう思いつつ、それでもその時以後3回の練習では、日頃歌っていた『ふるさとの四季』であったり、初めて歌うものでも、日本の歌であったので、少しずつではありますが歌える様になり、先生の指揮の振りも少しずつわかる様になってきました。毎回、練習中にカセットテープにとり、家では家事をしながら聞いたり、車に乗るたび流したりして、早くメロディーを頭に入れなくてはと、懸命でした。楽しくもあったので、意欲満々だったのです。
それが...。合宿があり、そこで、私が練習に行きだして初めて、モーツアルトのけいこがあったのです。えー? まだ、こんな、むつかしい曲があったの? それも、何と長い! 大変です。日本語ではないし。でもまだシドニーへ行くまで1ヶ月あるのだから、がんばって練習しよう! この時は、この曲を歌う事が、私にとってどんなにむづかしく大変なことなのか、わかっていなかったのです。それより、シドニー、シドニー、どうして私が外国なんて行ける事になったの? まだ夢のような気分でした。
これが練習というもの
「ここまで、できましたね。さあ次、いきましょうか」
先生も大変なことだったと思いますよ。
慣れないラテン語(というより、初めてのラテン語)で、早口で、むづかしいリズムのところなんか、何度やっても出来ない
。もう、泣きそうになってしまいました。
できない、できない、できない・・・。
「松本さん、どうしたんですか、大丈夫? いつもの様に冗談言って下さいよ」
日頃、冗談や間の抜けた事ばかり言って、ケラケラ笑っている私が、必死でした。別人の様。本当に少しずつなので、あと何ページと思って見ると、気が遠くなりそうな、そんなペースで、むづかしいところでは、つまって進まず、どうなるかと思いながら、必死で頑張り、とにかく、夕方までかかって、最後のペースまで、いく事ができました。なんとか流すことができたというだけですが、
「やったー! できたー!」
その時の気分は最高です。ちょうど持ってきていたカメラで、充実感あふれた、ヤッターの姿をパチリ。先生も、とカメラを向けると、「あ〜、疲れた、フラフラ〜〜〜」のポーズ。
どうもお疲れさま、ありがとうございました。
その日は、尼崎での練習日。まだまだ、早いテンポでは、ついていけませんが、初めて背すじをのばして、声を出す事ができました。
次の日から、まあ、今までにした事がない様な、けいこ、けいこ、けいこ、けいこ、の生活です。何をする時もテープを流し(個人レッスン中も、テープをとっていたので、ゆっくりのテンポ)、片手で楽譜を持ち、家でそうじをする時も、アイロンをかける時も、料理をつくる時もです。車に乗る時もテープを流し、助手席に楽譜を置き、信号待ちでチラッと。練習しました。
これが本当の練習というものなのですね。やる気になれば出来るものですね。時間は作るもの。
主人が「何さけんでるねん。なんか変やで。それって、悲鳴あげてるみたいにしか聞こえへんで」
ひどーい、だって、発声ができていないのだもの、バカにする主人の言葉にも負けず(主人の前では歌うものか!)1人で最後までなんとかゆっくりですが歌える様になったのです。2度目のヤッター!
嬉しくなって、1人でビールで、乾杯! グーッと飲んだら「うあー、おいしい!そうだ、先生に報告しよう」と電話をかけました。
「1人でテープに合せてできたんです!!」
本当に先生のおかげです。先生も喜んで下さいました。先生の方も肩の荷がおりたというものでしょう。私を誘った以上、責任を感じていたのではないかな? できが悪くてすみませんネ。しかし
ヤッターの気分を持続する事はできませんでした。
できた!の気分で完全にもう歌えるという錯覚をおこしてしまうのでしょうね。それからの尼崎の練習日、みんなと同じ様に歌えるつもりでいると、アレッ?アレッ?アレッ?これもできない、あれもできない。エーッ、まだ歌えないじゃないの
こんな毎日、がんばって練習してるのに
これ以上がんばれないヨ。限度だヨ
またまた落ち込んでしまいました。先生助けて!
「エッ! どうしたの? この間、できた!って電話くれたじゃないですか」
そうなんです。感情の浮き沈みが激しい私です。砂織先生には感謝、感激、雨、あられ。本当に、こんな私によく付き合って下さいました。お蔭様でシドニーへ行くまでには、私自身満足できるほど、歌える様になったのです。
「ビージ ビージムオームニウム エーティンビージ ビーリウム」
どうですもうこの部分なんかは頭にこびりついてしまって、離れません。一生忘れないでしょう。
そんなこんなでシドニー出発までには色々な事がありましたが、私にとっては初めての海外演奏旅行。歌も持ち物もなんとか準備でき、5月1日、出発のその日を迎える事ができました。
あのネ、シドニーへ行ってきまーす
出発の日のお昼過ぎ、家を出る前、友達の様に仲良くしている主人の妹に電話しました。旅行の事は、全く話をしていませんでした。
「エッ? 何んて? シドニー? シドニーって・・・どこにあるの?」
「知らんでしょう。私も知らんかってん」
いいえ、妹は知っていたのかも知れません。まさか今まで1人で家をあけた事のない私がそんな外国へなんて、思いもしなかったのでしょう。妹は、学生時代の友人の家へ泊まったり、その友人と旅行をしたりしているのです。
「私もそんなことしたいなあ」と言うと、
「したらいいやん、子供はなんとか自分達でできる様になるもんよ」と言ってくれていたのです。
そうは言ってもいきなり外国、それも1週間。びっくりしたと思います。
その日の夜は、妹の家では世界地図でオーストラリアのシドニーを見ていたことでしょう。 <つづく...>