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バリ島での看護と医療 −1−余生を見守る家族の絆林 陸雄 |
沖縄に横断面が星形をした果物がある。緑色の果皮が完熟すると黄色 くなり、甘酸っぱい味がする。インドネシアのバリ島ではブリンビンと 呼ばれており、数多くの種類がある。わが桃山学院大学は10年間に亙っ て、バリ島で国際ワークキャンプを実施してきた。そのベースキャンプ がブリンビンサリ村にある。そこは、バリ・ヒンズー教社会の中で苦難 の産声をあげた、バリ・プロテスタント・キリスト教会の開拓村である。 1939年の入植当時、虎や毒蛇・毒虫が生息するジャングルであったと聞 いている。しかし、ブリンビンが豊かに自生し人々を勇気づけたことか ら、バリ語で「エキスとしてのブリンビンが実る村=ブリンビン・サリ 村」と名付けられたというのである。
1990年以降、私は学生を引率して、そのキャンプに通算6回参加した。 キャンプの内容は、@バリ教会が営む孤児院の宿舎建設のための基礎溝 造り、A約2週間の滞在中に、村人や子どもたちとの交流を通じて、バ リ島の文化風土、バリ教会の社会活動、村人や孤児院の子どもたちの生 活事情などについて学ぶことである。だが、滞在期間が短いことや言葉 が壁となって、私たちの学習は微々たるものであった。幸い、私は1996 年度に1年間の海外研修の機会を大学より与えられたので、迷うことな くバリ島での研修を選んだ。その日常については、家族と友人向けに発 行した『バリ通信・エメラルドの首飾り』(週刊)で詳しく報じた。そ の中から、看護に関わるものをいくつか取り出して、この『看護人間学 通信』で紹介したい。
今回は、私の年若い友人スアルダ君を紹介しよう、ブリンビサリ村の 隣町にあるバリ教会付属第3中学の理科の先生であった。その彼が昨年 の2月、スラウェシ島中部の開拓村へ後ろ髪を引かれながら移住していっ た。彼は、ヒンドゥ教の貧しい家庭に育ち、毎日数キロ離れた小学校に 歩いて通った。小学校までの義務教育を終えた後、バリ教会の孤児院に 入所し、併設の中学校に入り、大学にまで進んで教師の道を選んだ。バ リ教会は、その信仰の如何を問わず孤児と貧困家庭の児童・生徒に広く 門戸を開き、生活と教育の機会を提供している。彼には3人の兄弟と両 親が健在であるが、彼は子どものいない伯父夫婦の養子となっている。 伯父夫婦は開拓者として、早くからスラウェシ島に移住していた。その 彼らが高齢になったので、その余生を見守る必要にせまられて、彼も移 住したのである。
95年の夏、ワークキャンプ中のある深夜、激しい歯軋りの音で、私の 眠りが破られた。同室のスタッフがたてた音ではない。耳をすますと、 隣室から傍らで聞くように激しく高く伝わってくる、しかも途切れるこ となく続いた。翌朝、確かめるとスアルダ君だと判明した。友人たちは ストレスからくるもので、彼が可哀想な状況にあるのだと説明してくれ た。スアルダ君としては、住み慣れたバリ島に伯父夫婦を呼び戻し、一 緒に暮らしたいとの願いが強かった。バリ人の魂に刻み込まれたガムラ ンのリズムとメロディ。多くの友人と家族。それらと別れることが、耐 え難かったからだ。バリ島内の公立中学校での採用を強く望んだ。採用 試験には毎年挑戦しているのだが、その難関を突破できないでいる。彼 はバリ教会の第5孤児院のスタッフを兼ねて、施設に起居している。第 3中学校での雇用は3年間の期限つきであり、96年5月で契約がきれて しまう。時間は迫るのに、安い給与では、同居のための敷地と住居も入 手できないでいた。試験合格には、学力のみならず特別上納金がなけれ ば、難関は突破できないとささやかれている。しかし、その額があまり にも高く、彼には工面の当てがなかった。そのような日々の中で、きし みだされた歯ぎしりだったのである。
ではなぜに、そこまでスアルダ君を苦悩させて、伯父夫婦と同居させ るのか。バリ島のヒンドゥ教文化では、各村ごとに慣習法(アダット) があり、それに触れると村八分の制裁を受け、生活ができなくなる。そ の慣習法の多くが、クリスチャンの生活様式の中にも受け継がれている。 バリ教会では、バリ・ヒンドゥ教文化との融合を重視し、独自の教義の 確立を目ざしてきたからだ。その慣習の一つとして、年老いた両親と家 族の誰かが同居し、その余生を見守ることが遵守されてきた。村での住 居形態は、同一敷地内に複数の独立家屋を建て、親子兄弟が住むのが一 般的である。もし、子どもの多くが町に出て生活する場合には、子ども のうちの誰かが両親と同居し、他の兄弟姉妹がそれを精神的・経済的に 支援するすることになっている。もしも子どもがいない場合には、スア ルダ君のように親族から養子を迎え、決して高齢者だけで放置しておか ないのである。だから、政府が設営している老人ホームへの入居者は限 られている。
ある日、ワルンと呼ばれる「よろず屋さん」に出かけた。ビールを冷 蔵庫で冷やしておいてもらったからだ。店の主は不在であり、店は閉まっ ていたが、親しい店だったので、裏に回り込んで声をかけた。70数歳と 見かけられる老婆が一人、縁側に腰掛けていたが、私の訪いには応答し なかった。だが、家の奥から留守番に来ていた孤児院の子どもが出て来 て、私の求めに応えてくれた。彼は、窓が明け放れた別棟の家に入り、 冷蔵庫のカギを捜し出して来た。そのカギを窓際のベッドに横たわって いた100歳ごろとおぼしき老婆のまくらの下から取り出した。その際、 彼は老婆の腕はやさしくひとなでしたのが、印象に残った。
バリ島は長寿社会である。私のインドネシア語の先生の祖母も100歳 を越えている。寝たきりの毎日だというが、手洗いには自分で立ってい ける。その歩行はゆっくりだが、背筋はすっきりと伸びて優雅さを失っ ていなかった。私の滞在中、いろいろとお世話くださったスヤサ牧師は、 婦人のお母さんと同居している。彼は3名の若者を幼いころから引き取 り養育し、進学させている。夫婦共稼ぎなので、70数歳のお母さんが家 族のために食事の世話をしておられる。
日本では少なくなった大家族制度、両親との同居による生活形態が、 バリ島では通常なのである。猛獣と毒虫・マラリヤがはびこる悪霊の地 と恐れられたジャングルで、飢えと渇きを癒した恵みの星ブリンビンは、 生きる勇気とエネルギーのエキス(サリ)でもあった。入植者の余生を 見守る家族の絆に、高齢者在宅ケアーのサリをみた思いがする。そこに は、慣習と文化の継承ばかりでなく、医療事情や経済事情も大きく作用 しているようだが、詳しくは次回にゆずりたい。
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| ◆日 時 1997年11月20日(木)13:00〜22日(土)16:00 | ||||
| ◆会 場 神戸タワーサイドホテル(神戸市中央区波止場町6−1 | ||||
| ◆参加費 38,000円(宿泊費・食事代・資料費等含む) | ||||
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