人形を  

  つくる



おおだんよしこ




新雪の下だより No.1
  (1973.1.8 発行)より

 五年ほど前から、人形をつくる会に入れていただきました。
 人形といっても、トーソ人形(桐塑人形)といって、とても古典的なもので、ひと口でいえば、御所人形の系統です。
 神戸のその会には、大先輩がたくさんおいでになり、わたしなど、末席につらなる一人というところ。先生は京都からおいでになり、若くて美しい人形作家でいらっしゃいます。


 トーソ(桐塑)人形とは、どんな人形か、どんなふうに作るのか、ちょっとご説明申しあげましょう。
 桐の木の細かい粒、単的にいっえば、桐の木のオガクズとノリとを、よい工合に練り合わせて人形の土台をつくります。
 何日もかかって、カラカラに乾かしますと、もっと細かくふるった桐の粉とノリ、ボンドをまぜあわせたコクソで、形を整えてゆくのです。
 できあがると、それにペーパーをかけてみがき、ゴフンをぬります。この作業を「おしろいをはく」とも呼んでいます。
 塗っては乾かし、乾かしては塗り、その上にペーパーをかける。三、四回。やがて、顔、手、足には典具紙をはり、衣装には、それぞれ見立てた色和紙をはっていくのです。


 この和紙をはる仕事のむつかしさと楽しさは、到底ご説明できません。
 たとえば、人形のお顔に典具紙をはる場合、一センチ四角にちぎりとった紙のゴミをとり、毛足をそろえて、二枚づつ、計六枚、小筆の先に水ノリをつけて貼ってゆくのです。息をつめて、一所懸命の仕事です。
 このあいだは、半日かかってしまいました。ふゆこがお三時に、ホットケーキを焼いてほしい、と何度も注文にきましたが、
「もうちょっと」「もうちょっと」と引きのばし、衣装の色和紙をはるのに心をうばわれていました。
 それは、高松塚の壁画の女性をモデルにした人形の、スカートの色あいに苦心しているところだったのです。
「まあ、まあ、おりこうによく遊んでいること。朝からずっとやってるんだって。ケッコウ、ケッコウ」
 ふゆこが笑いながら、冷やかし半分でいった言葉でした。
 いや、もう、ふゆこのいうとおり、楽しいこと、楽しいこと、やりだしたら、やめられない、というのが、ほんとうのところでございます。


 上等の和紙がほしい。そう思いますけれど、あまりゼイタクいえるほど腕がいいわけではない。そこそこにガマンしていますが、色和紙の色合いの美しさはまた独特の味がございます。
 主人が仕事で方々へゆくので、そのときどきにその地方の和紙を買ってきてもらうのですが、日本のどこにどんなすぐれた和紙が生産されるのか、まだまだわたしの研究も行き届いてはおりません。
 「やる限りはぞっこん打ちこんで、プロになるぐらいやんなさいよ」
 と、一応理解ある言葉をいってくれる主人ですが、やっぱりいまの本職は主婦業で、その主婦業を怠ると、実際的な支障もできてきて、皆から大いにやつけられるのでございます。


 しかし、大きい声ではいえませんが、主婦業よりは人形づくりが、よっぽど楽しい。掃除。まあ、あとで。洗濯。これは昼から。という次第で、ついつい主婦業はあとまわし。しまいには、食事づくりさえ邪魔くさくなって、誰かしてくれないかしらん、などとひそかに思うほど。
 思うに、最近、いよいよ人形づくりの魅力にとりつかれてしまったようで、このあとの人生の最良の楽しみを見出すことができたという気持ちになっているのでございます。
 昨日も昨日とて、お部屋の掃除をしていました。と、つくりかけの人形が眼にはいりました。あのお顔をもう少しふっくらと、あの持ちものの角度は、もう少し立てるぐあいに、などと考え出すと、四角な部屋も円くなでておいて、早速人形作制の道具を取り出すという仕末。
「はやく主婦業やめて、人形ばっかり作ってたいわァ」と正直にいいましたら、主人も同じように、
「かりに一億の財産でもあったらなぁ。俺は絶対働かんぞ」
 と大きな声で応じました。
 こういうふうに書いてくると、われら両名、あまりよい親とは申しかねます。
 貧乏暇なし、きっと死ぬまで忙がし忙がしの生活でしょうが、そのあいだに上手に主婦業を怠けて、好きな人形をつくり、親しいあの人この人にもらって頂こうとかんがえています。
 もうすぐお正月。来年は大いに制作を飛躍させましょう。


 1997年7月30日、大段よし子は急逝しました。ずっと肝臓を患っていましたが、少し前まで元気にしており、こんなに早く逝ってしまうとは思いもよらず、残念でなりません。
 母が直接コメントを残したのは、「ONLINE雪の下だより No.1」だけになってしまいました。このNo.2には、長年の人形仲間、岡坂鈴子さんと二人の作品を集めた『桐塑人形二人展』(1995年11月)のことを書きたいのだと言っていました。少し体調が悪そうだったので、コメントをとるのを、つい、延ばし延ばしにしていましたが、もうコメントをとることは、できなくなってしまいました。
 次号「ONLINE雪の下だより No.3」は、母の追悼号にしたいと思っております。また、母を偲ぶ人形展を、1998年7月神戸で、9月東京で行いたいと思っております。よろしければ足をお運びください。



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