2002年11月30日の一日中教審の発表者に応募するために、文科省に送った論考です。これによって、発表者になりました。
 言いたいことは、「教育を法律で運営するな」ということで、題名とはあまり関係ありません。題名は、募集していたテーマに合わせました。

   新しい時代にふさわしい教育基本法

 子どもの公共意識が発達していないことがよく問題として取り上げられます。この原因は大別して二つに分けられます。
 一つは、家庭や学校において、十分に規範とモデルが示されない場合です。もう一つは、子どもに守らせようとすることが多すぎて、子どもが受け付けなくなっている場合です。この両者に対する対応は180度違ったものになります。
 教育には「子どもに対する規範を確立せよ」という潮流と「規範を緩めよ」という潮流の二つがあり、どちらもかなりの成功をおさめますが、どちらも万能ではありません。これらは、実際のそれぞれのケースでの状況判断と組み合わせなければ、使いこなすことができないものです。
 公共意識の発達は、いかなる社会も当然に教育目的とし、そのための知恵を持っているものです。法律の扱う領域ではありません。
 教育は、人間の知恵の結晶であり、人間の知恵を活かすためには、社会における教育の自律性がきわめて重要です。昭和22年には、文部省の指導なしに学校を運営することは困難でしたが、今日では、きわめて高度な教育理念、方法もたちまち社会に普及します。文化水準の高い国々では、学校によらない教育法すら確立されています。
 いかなる人間をいかに育てるかは、社会そのものが内蔵することであり法律となじみません。教育がまず人格を作り、その人格が国家を作ります。教育の目的と方法はあまりに多様です。教育に関連する法律は、権利・義務関係、人権擁護、財政関係だけに留めるべきです。教育の目的を定め、方法と内容を改良・発展させることは、教育運動としてなされるべきです。法律によらないことが、時代に適合する最善の方法です。
 「決められたことだから」ではなく、教育が行われるようになったとき、人間と社会の本当の力が引き出されます。時代は、それが可能なところに来ています。