<教育の多様性>教育基本法研究会


現行条文のほうが教育改革をしやすい


 中教審の教育基本法改正答申に対する意見


1 全般的意見

・法律と道徳を区別していない。

 理念で人の内面に働きかけるとき、受け取る側が「なるほど、よい」と心から思わなければ、どんな理念も生きません。
 理念は、文化的に伝わるものです。法律や権限によるべきではありません。

 これは教育基本法そのものが持つ問題でもありますが、現行法は現場を拘束しないように注意深く作られています。


・現場にいない人間が方針を下に降ろしていては、教育はうまく運営できない。

 日本の教育は、すべてが「お役所仕事」になりました。民主主義原則を欠いたまま中央が計画を立てていることは、崩壊したソ連に似ています。

 教育基本法は、教育が現場の人たちによって自律的に運営されることを前提としています。基本法の中に、省庁の権限が明記されていないことは、意図的なものです。

 「教育振興基本計画」のための根拠を第10条中に置くことは、教育基本法の柔軟性を、覆してしまいます。
 「教育振興基本計画」は、行き詰まったソ連政府がさらに5ヵ年計画を立てるようなものです。中央と現場の乖離に気がつかないままやっています。



2 教育問題の法律的原因

 現在の教育問題の原因は、教育基本法ではありません。むしろ教育基本法の不実行によります。

 教育問題の原因は「学校教育法」と「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」です。この2法により、誰もがお仕着せの教育に甘んじるしかなくなりました。

 「学校教育法」は、戦後復興を文部省主導によって行うための法律でした。戦後復興が終っても、冷戦構造を反映して国家運営を固定させる手段となりました。

 「地方教育行政法」は、教育から民意反映の道を奪いました。文部省を頂点とする「顔色うかがい中央主権」と呼べるものが出来上がりました。

 この二つの法律により、日本の教育は硬直し、「お役所仕事」になってしまいました。

 教育基本法第10条の「不当な支配に服することなく」の「不当な支配」が、国家統制と官僚統制を意味していたことは、制定当時は自明のことでした。

 なお、教育基本法は、日本側の発案と審議によってできたものです。アメリカ側は「勝手におやりなさい」という態度を取り、最後に3箇所の文言修正を要求したのみです。これは、史実を調べれば明らかです。

 教育は、福祉や医療と同様に、自律性をもって、人々の間から生まれ、人々に直接に責任を取るものでないとうまく機能しません。

 中教審案より、現行法のほうが柔軟性に富んでいます。現行法は、法律に造詣の深い田中耕太郎文部大臣(東大法学部教授、最高裁長官)の主導になり、現場を拘束してしまわないように注意深いものです。
 現行法のほうが、人々の自発的な活動を引き出しやすいものです。

 
 以下は条文ごとの意見です。

前文
第1条(教育の目的)
第2条(教育の方針)
第3条(教育の機会均等)
第4条(義務教育)
第5条(男女共学)
第6条(学校教育)
第7条(社会教育)
第8条(政治教育)
第9条(宗教教育)
第10条(教育行政)
第11条(補則)

(文責 古山明男)

戻る