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もう散り始めた桜の花びらを、踏みしめながら登校してくる生徒たちの中に、仲良く校門を歩いている眞一郎と比呂美の姿があった。 「そう言えば、比呂美はピアノ、弾けたよな?」 「うん、中学まで習ってたから…」 不意に昔のことを訊かれて、少し訝しがる比呂美。 「今、ピアノを弾く少女の絵本を描いてるんだけど、楽器を弾いているところって、どうにもうまく描けなくてさ。それで、比呂美が実際に弾いているところをデッサンしようかって思ってたんだ」 ああ、そういうこと…、と納得する。 「いいよ。久しぶりだから、うまく弾けるか分からないけど。私で良ければ」 「おお! 助かるよ」 「じゃあ、放課後は私、バスケがあるし、音楽室も吹奏楽部が使ってそうだから、お昼休みでいい?」 「ああ、全然OKさ」 嬉しそうにしている眞一郎に、ふと思いついた、もう一つの提案を追加する比呂美。 「そしたら、休み時間を有効活用した方がいいから、お弁当、一緒に音楽室で食べよ。その後、すぐに弾いてあげる」 「お?……おぉ」 「ふふ、じゃあ決まりね」 にっこりと笑う比呂美に、眞一郎も恥ずかしそうに、頭を掻いている。 午前中の授業が終わり、眞一郎は、比呂美と一緒に音楽室に向かう。 比呂美と教室を出るとき、朋与が、『お見通しよ』と言わんばかりにウィンクしていた。いつもは比呂美と一緒にお弁当を食べている彼女なりに気を遣っているのだ。 比呂美が眞一郎の彼女だということを、クラスメイトは皆知っているので、それ以上の冷やかしなどはなかった。 昼食時間の音楽室には、誰もいない。 二人でお弁当を食べた後、早速、比呂美はピアノの前に座った。 鍵盤の蓋を開け、椅子の位置を整える。 「それじゃ、弾くね」 そうして流れてきた旋律は…… 『あ、この曲知ってる…』 眞一郎は曲のタイトルを思い出せなかったが、これはベートーベンのピアノソナタ「悲愴」だった。 早速、スケッチブックに鉛筆を走らせ始める眞一郎。 柔らかい日差しが差し込む中で、少し開いている窓から入り込む春風に、比呂美の前髪がゆっくりと揺れる。 いつしか、眞一郎の鉛筆は、動きを止め、ピアノの音色に聴き入っていた。 「眞一郎君?」 「?」 「どう?うまく描けた?」 気がつけば、比呂美が一曲弾き終えていた。 「ま、まぁ…な。でも、いろんな角度からデッサンしたいから、しばらくお昼休み、続けてもらっていいか?」 「え? ええ。構わないわよ?」 実際には、まったくデッサンなどできていなかったのだが、慌ててごまかす眞一郎。 「じゃあ、私からもひとつ、お願いしていい?」 「ん? ああ、いいよ」 何を言われるかと身構えている眞一郎に、比呂美は、 「お弁当、私が眞一郎君の分も作ってくるから…」 と可愛いらしい提案をした。 「う、うん……それじゃ…頼む…」 恥ずかしそうにしている眞一郎が、比呂美には嬉しかった。 翌日、比呂美の手作り弁当を食べる眞一郎は、 「比呂美の弁当は旨いな」 と思ったことを素直に口にした。 「そう? ありがとう…」 満足そうに笑顔を見せる比呂美。 そして、それ以上、特に会話もないまま、食べ続ける二人。 『そういえば、比呂美と二人っきりになると、昔から俺、何話していいのかわからないよな…』 そう思いつつ、比呂美をちらっと見る。比呂美は食べ方も上品だった。 『比呂美は、こんな俺と飯食ってて、楽しいのかな?』 しばらく比呂美を凝視していたせいか、 「どうしたの?」 と比呂美に訊かれ、 「あ、や、何でもない。何でもないんだ」 慌てて、ご飯を口に入れる。 「おかしな眞一郎君…」 そう言って、くすくす笑う。 『比呂美が笑ってくれていれば、それでいいか…』 比呂美の笑顔という魔法は、眞一郎の迷いを消し去るようだった。 今日は、ショパンの「幻想即興曲」を弾く比呂美。そして、その次の日は「子犬のワルツ」を弾いてくれた。 比呂美は、必ず眞一郎が知っている曲を選んで弾いている。 『俺のために毎日、違う曲を弾いてくれてるんだ…』 何気ない比呂美の優しさに、胸が熱くなった。 そんな音楽室デートが続いたある日。 いつものように比呂美がピアノを弾いていると、何やら、窓の外から声が漏れてきた。 「綺麗な人だなぁ? なんて人?」 「二年生の湯浅さんっていうらしいぞ」 「おまえら、もうちょっと寄れよ。見えねぇだろ!」 そういえば、何日か前から、人の気配を感じるようになっていたのだが。 演奏を終えた比呂美が、窓を開けて尋ねた。 「貴方たち、こんなところで何してるの?」 そこには何人かの男子生徒の姿があった。 「や、あの…、綺麗な先輩が、お昼休みにいつもピアノを弾いてるって噂になってて…」 「それで、ちょっと覗きに……じゃない、演奏を聴こうかと、はい」 いきなり比呂美に話しかけられたせいか、やや、しどろもどろな答えが返ってくる。 「そう? それなら、静かに聴かないとだめよ」 そう言って、にこっと微笑む比呂美に、男子生徒達はみな頬を赤らめ、ぽかーんとしている。 不意に、 「おまえら一年か? 早く戻らないと、午後の授業、始まるぞ」 比呂美の横から、不機嫌そうに眞一郎が顔を出し、威嚇するようにたしなめた。 「は、はい!」 生徒達はみな一様に我に返ると、慌てて教室へ走り去っていった。 「ん、ったく」 軽く舌打ちをする眞一郎。 そんな眞一郎の態度の理由を知っていつつも、比呂美はわざと訊いてみる。 「眞一郎君、どうかした?」 「な、なんでもないよ」 眼をそらしつつ、ごまかす眞一郎の唇に、踊るように身を翻した比呂美の甘い唇が重なる。 長い髪が円を描き、スカートの裾がふわっと拡がる。 「!」 「ふふっ」 それは一瞬のキスだったが、まさか比呂美が、人気のない音楽室とはいえ、学校でするとは。 唇を指で押さえながら、言葉を失っている眞一郎。 「教室に戻ろ!」 楽しげに眞一郎の手を取り、引っ張っていく比呂美。 音楽室を出ようと、入口のドアを開けた瞬間、先ほどとは別の数人の男子生徒に出くわした。 「何だ? おまえら?」 「はっ!いや、何でもありません!」 「お邪魔しました!」 そう言って、走り去る彼らの顔は、赤くなりながらも、皆、にやけていたのだった。 眞一郎も比呂美も、何事かと、しばらく固まっていたのだが、同時に、はっと天啓がひらめいた。 どうして、彼らが、にやけたような表情だったのかを。 「……見られた」 「……見られた」 二人は、そのまま入口のところで、呆然と立ちすくむのだった。 〜終〜
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読んでいただきありがとうございました。前回がそっち系に振れましたので、今回はライトに、そして季節を合わせてみました。 クラスには必ず一人くらい、可愛くて、賢くて、スポーツもできる女の子が居ますよね? そして、そんな子は、必ずピアノが弾けたのです。まあ、今はどうか知りませんが、私が中学生とかの頃はそうでしたねぇ。 なので、只でさえハイスペックな比呂美さんに、さらにピアノも弾けるというスペックを追加しちゃいました。公式にはどうか解りませんが、私の脳内スペックではそういうことにしました(笑) でも、彼女がピアノを弾いている姿って、絵になると思いませんか? それが今回のSSのタイトルです。 |