1979年 ゲーム大賞「うさぎとはりねずみ」
栄えある第1回の大賞はラベンスバーガー社の「うさぎとはりねずみ」。 作者はボードゲームというよりトランプゲームで有名な数学者のデビッド・パーラットである。 ノミネートは9ゲーム。大賞も含めてメーカーを見てみると、ラベンスバーガーが3つ、シュミットが2つ、パーカーが2つとメーカーの種類が少ない。 数が少なかったか、良いゲームを出していなかったかは良く分からないがともかくこの20年の間に大きく変わった。 そのことにこの賞がどれくらい影響したかはわからないが、無かったとは思いがたい。 ノミネート9ゲームのうち3つは電子ゲームである。 「センソー」というゲームが入っているが、サイモンというゲームをご存知であろうか。 スイッチを入れるとランダムに音と光が出、その後それと同じように人間がたどっていくゲームである。 あれと同様のもののようである。81年以降電子ゲームは入っていない。 まだノミネートの基準がはっきりしていなかったのだろうか。 またノミネートに「ショーグン」というゲームが入っているが、これはエポック社が「デジタロン」という名称で販売したゲームである。 作者はマツモト・テルオとなっている。日本人のゲームが入った唯一のケースである。
1980年 ゲーム大賞「ラミィキューブ」
ラミィキューブはトルコの伝統ゲームのゲーム化である。その点オリジナル性は低く、そのあたりを審査員が知っていたのか、若干気になるところである。 この年は「一人ゲーム賞」という部門が設けられ「ルービックキューブ」が受賞している。しかしこの一人ゲーム賞はこの年だけである。話題賞というような意味なのだろうか。 ノミネートのうち「ダンプフロス」と「フォーカス」はこの後大賞を受賞しているし、「フォーミュラ1」も国内では高い評価を受けている。充実した年だったようである。
1981年 ゲーム大賞「フォーカス」
シド・サクソンが5分で思い付いたという「フォーカス」は前年のノミネートでもある。 今後も含めてゲーム大賞にはこのような「アブストラクト(抽象)」ゲームが選ばれたことはない。 このゲームが格段に良かったか、他に無かったかは、ノミネート7ゲーム中2ゲームしかプレイしていないのでなんとも言えないが、珍しいケースであることだけは確かである。この年ノミネートの「ザーガランド」は翌年大賞を受賞しており、また「キャントストップ」はこの年と翌年ノミネートになっている。範囲が前年と当年の2年となっているためだろうが、どうも違和感がある。最近はそんなことはない。このころはゲームが少なかったからだろうか。
1982年 ゲーム大賞「サーガランド」
1982年の大賞は「サーガランド」。記憶力を要するゲームのため当会では評判が悪いがルールはさておきストーリー性、デザイン、内容物とも良くできたゲームである。 ノミネートは8ゲーム。その中で「ミリオネンシュピール」というのがあるがこれは現在「プレイボス」という名前で販売されている。また「ゴースト」は2人ゲームの中でも国内で評判が高い。
1983年 ゲーム大賞「スコットランドヤード」
1983年の大賞はラベンスバーガー社の「スコットランドヤード」。ラベンスバーガーは2連覇であり、このころ絶好調といって良いだろう。また通常のゲームは作者があるが、このゲームは作者が同社の開発チームとなっている。これも珍しいケースである。 ノミネートは4つしかない。うち2つは国内に入ってきている。一つはラベンスバーガーの「株式投資(ベルゼンシュピール)」である。もう一つ「リオンボ」は後にドイツマテル社から販売され、不二商によって日本に輸入された。
1984年 ゲーム大賞「ダンプフロス」
「ダンプフロス」は1980年にも同じ会社版でノミネートされている。対象は前年かその年に発売されたゲームであるからリメイク版であろう。元はイギリスの小さい会社ロスザーン社の「レイルウェイ・ライバルズ」というゲームであるが、この賞のおかげで箔が付いたようである。この年のノミネートは6品。国内では名作とされているラベンスバーガー社の「メトロポリス」以外はほとんど内容不明である。
1985年 ゲーム大賞「シャーロック・ホームズの事件簿」
資料が付いていてそれを元に捜査、推理を進めていくRPG風のゲームである。日本国内でもそろそろ輸入したゲームに付いているゲーム大賞マークが気になりだした頃である。が部門賞がよくわからず、ニチユーが「3人の魔術師」を輸入した際、美術賞なのに大賞のように訳に書いてしまった。 ノミネートは9ゲーム。ラベンスバーガー社の「ハイムリッヒ&CO.(アンダーカバー)」と「クーハンデル」が入っている。それ以外は不明である。
1986年 ゲーム大賞「アンダーカバー」
前年ノミネートだった「ハイムリッヒ&Co.(アンダーカバー)」が大賞。 ラベンス復活という感じである。 ノミネートは7ゲーム。ラベンスバーガーの「ラビリンス」(不二商)、 「マラウィ」(ニチユー)「トップシークレット」等5ゲームが当会で遊ばれている。
1987年 ゲーム大賞「アウフ・アクセ」
大賞の「アウフ・アクセ」、ノミネートの「レストラン」「シャーク」はニチユーが輸入、 「空飛ぶ絨毯」は不二商が、美術賞の「オリエント急行殺人事件」はケナーパーカーが輸入、 「1ミリオン」は河田が、「クレムリン」はホビージャパンとほとんどが日本で販売された。 最も良かった時代であろう。この後ノミネートの「ザウアーバウム」も当会でプレイされ、 「マリタイム」以外全てプレイされた。 ちなみに「1ミリオン」は昔「モナド」と言う名前で出ていたもののリメイクである。
1988年 ゲーム大賞「バルバロッサ」
大賞は粘土ゲームの「バルバロッサ」。衝撃的なアイデアであった。 この年は特別に「協力ゲーム賞」というものが設けられた。受賞は「ザウアーバウ ム」。通常ゲームは勝つプレイヤーと負けるプレイヤーがあるが、このゲームは全 員で目的を達成するゲームでプレイヤー間の勝ち負けが無い。そういうところが授 賞の理由のようである。 そろそろ大賞が気になりだし選んで輸入するようになった。また個人輸入もノミ ネート作を選んで輸入するようになったため、ノミネートゲームのプレイ率も上昇 した。この年のノミネートは9ゲームあるが、個人輸入や、後のリメイクがメビウ ス便で入るなどして「はげたか」「ミシシッピ」「フォーラムロマーナム」「バウ ザック」等7ゲームが遊ばれている。
1989年 ゲーム大賞「カフェ・インターナショナル」
今までハズレのなかった大賞中始めて疑問符がついた。 不二商がドイツマテルのゲームを輸入したため前年のノミネートのミシシッピ等と共に入手可能となったものだが、 やってみると面白さが今一つであり「大賞は絶対面白い」という神話に陰りが生じたのである。 ノミネートの中では「ミッドナイトパーティー」「マエストロ」が人気。 他に「ポールポジション」「サイクルレース」があり、 どれをとっても「カフェ・インターナショナル」に引けを取らないくらいだっただけに疑問は大きかったのである。
1990年 ゲーム大賞「貴族の務め」
大賞は「貴族の務め」。再び権威を取り戻したようではあった。 作者はクラウス・トイバーで大賞は88年の「バルバロッサ」に次いで2回目、 そんなわけでこの頃からゲーム作家というものを気にしだした。 いままでシド・サクソンぐらいだったのが過去のゲームのなんとなく作者も見るようになったのである。 ノミネートの中では「冷たい食堂の熱い戦い」が人気。
1991年 ゲーム大賞「ドルンター&ドリューバー」
大賞は「ドルンター&ドリューバー」で、作者のクラウス・トイバーが連覇ということでますます作者を意識するようになった。 だがメーカーのハンス・イム・グリュック社は国内の何処とも取り引きが無かったため国内での輸入販売は無し。 高橋氏の個人輸入分だけとなった。 ノミネート8ゲーム中輸入が2つと寂しい年であった。 「カサブランカ」は「シグマファイル」のリメイクである。
1992年 ゲーム大賞「ホーマスツアー」
大賞は自転車レースゲームの「ホーマスツアー」。そこそこプレイされたがあまりうけなかった。 自転車レース自体がマイナーなためか。ちなみにこのゲーム、ドイツでは「ウム・ライフェンブライテ」、 フランスでは「デマラージュ」という名前で売られているので、買おうと持っている人は要注意。 子供ゲーム賞がラベンスバーガー社の「オール・ザ・ウェイ・ホーム」。大人でも十分遊べたため評判は良かった。 それも含め個人輸入が盛ん(?)になったため、ノミネート9ゲーム中8つがプレイされた。
1993年 ゲーム大賞「ブラフ」
この頃から発表の情報を即座に入手できるようになった。大賞は「ブラフ」。 「ライアーズダイス」のリメイクである。そのため感動は今一つであった。 始めてラベンスバーガーが無冠になった。 アミーゴ社や後に傑作ゲームを次々に発表するライナー・クニツィアが登場している。 この年の作品は「モダンアート」。 ノミネートに終わったが、大賞を獲ってもおかしくはなかったゲームである。
1994年 ゲーム大賞「マンハッタン」
大賞は「マンハッタン」。悪いゲームではなかったが、独創性があまり高くなかったため、 再び大賞に疑問の声が寄せられた。 メビウスがメビウス便なる直輸入を開始したことでゲームのほとんどが遊べるようになった。 ノミネートには「シックス・ニムト」や「天下の回りもの」「蜂の一刺し」「テイクイットイージー」 などが並んでいる。過去カードゲームが大賞を取ったことは一度も無いが、 「シックス・ニムト」や「蜂の一刺し」が獲れなかったのは、その事情に関係あるのかもしれない。
1995年 ゲーム大賞「カタンの開拓」
ここ近年のヒット作「カタンの開拓」が大賞を受賞。 ノミネートにも「傭兵軍団」「メディチ」など見慣れたものが並んでいる。 今まで一つもでていなかったゴルトジーバー社のゲームが「ギャロップロイヤル」「1号線」 といきなり2つも並んでいるのが目立った。
1996年 ゲーム大賞「エル・グランデ」
大賞は「エル・グランデ」。内容物の豪華さが貢献したか、アクションゲーム賞という賞が登場した。 受賞作はおはじきレースゲームの「カラバンデ」。ここまで面白くなったのは素材の力だろう。
1997年 ゲーム大賞「ミシシッピ・クイーン」
大賞は「ミシシッピクイーン」。メビウス便のおかげで発表前に多くのゲームを遊べるようになったため、 輸入している人間だけでなく遊んでいる多くの人間も大賞の行方に関心を持つようになった。 ノミネート9ゲーム中8ゲームが発表前に遊ばれていた。で、「ミシシッピクイーン」の評価は今一つ。 ボードウォークの投票では「ショウマネージャー」がトップであった。
1998年 ゲーム大賞「エルフェンランド」
大賞は「エルフェンランド」が受賞した。このゲームはホワイトウインド社から 発売されていた「エルフェンロード」のリメイクだったため、感動は今一つ。だったようだ。
大賞の全体的傾向として、いくつかのことが言える。
20回の中でカードゲームが大賞を取ったことはない。取れないということはないと思うのだが。
紙の札だけではインパクトが弱いのだろうか、あるいは色々な成形物や大きな絵が使えるボードゲームと比べ、
デザイン的に限界があるのだろうか。
そのボードゲームにしてもアブストラクト(抽象)ゲームは取れないようである。
初期の頃に「FOCUS」が取っただけである。
さらにテーマがあるゲームでも大きいゲーム、豪華なゲームが強そうだ。
それだけ訴えるものも強いと言うことなのだろうか。
どうもゲームの面白さより見かけが優先されているような気がする。
つまりは審査員がどこまでプレイしているかに疑問があるのである。
面白そうなもの、1,2回は面白いものが高得点を得てはいないだろうか。
何度もやってみると実は…、というのが幾つか見られる。
それはさておきこういう賞があるだけでも羨ましい環境である。
日本にはグッドトイ委員会はあるがグッドゲーム委員会は無い。
ごくわずかしか売り出されないから当然と言えば当然なのだが悲しいことである。
ドイツではこの賞が出来たおかげで悪質ゲームが減ったらしい。
消費者がこの賞によってゲームを買うようになったので悪質ゲームの売上が減り、
メーカーも売るために良いゲームを作るようになったのである。
願わくば日本でも同様の現象が起きて欲しいものである。