ゲーム研究室


モノポリーを救え!

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モノポリーを救え!

 知っての通り当会におけるモノポリーの地位の低さは目を見はるものがある。 アンケートを取れば必ず下位。それも低めの点が集まってではなく、 最低点(1〜5の5段階なのだが0(最悪)と6(最良)を一つずつつけて良いことにしている。 この0が多い)が複数ある事によっての地位である。 ちょっとやそっとで回復の見込みはない。 会の名前の元でもあり、オリジナルのゲームとしては世界有数のゲームである モノポリーがどうしてこうなってしまったのだろうか。 救えるものなら救ってみたいと思うのだが。

1.なぜモノポリーは嫌われるか

 アンケートによれば、モノポリーというゲーム自体が面白くないから嫌い、 という意見は少ない。むしろモノポリー愛好者のモノポリー嗜好、 例えば「モノポリー以外しようとしない」「モノポリー以外認めたがらない」 「モノポリーをやたらと薦める」「モノポリーは最高だと信じている」 を嫌っている傾向がある。 価値観の違いは如何ともしがたい。 とくにモノポリーが嫌われるのは、そのような理屈を超えた宗教的なところがあるからで、 やたらにモノポリーを持ち上げる人間がいるために反発を感じて嫌われているのが実状なのである。 事実そういう事態になるまでは当会でも2、3ヶ月に1、2回はプレイされていたのである。 ということでこういう思想の持ち主を排除すれば一見良いようにみえる。 しかしそれならそれ以外のメンバーだけでモノポリーは行われているはずである。 実はモノポリー自身にも問題は存在しているのである。

2.モノポリーは面白くない

 アンケートではモノポリー自身の面白く無さもいくつか挙げられている。 例えば「交渉がいやらしい」という意見がある。 これはちょっとおかしい。交渉は大人のゲームの重要な要素の一つである。 サイコロやカードの運だけのゲームが交渉を加えたことによって大幅に面白くなっている例は数多い。 モノポリーの交渉のどこがいけないのだろうか。
「どうも騙されているようでいやだ」というのが大方の意見である。 つまり普通交渉ゲームは交渉をした当事者が双方とも得をするように行なうものであるのに対し、 モノポリーは相手に損をさせるように交渉をするというイメージがあるのである。 それならそんな交渉に乗らなければよいではないか、ということになるが、 交渉時点では損か得かわからないところがモノポリーの難しいところなのである。 しかも勝つのは一人だけであるために残りのプレイヤーは’交渉は損だった’と思ってしまうことになるのである。 たとえ敗因はダイスの目だったとしても。 結果として、モノポリーの交渉は損だと思う人の方が多い。 ましてやモノポリーを大きく宣伝し引き込もうとする人間が相場に慣れていて強いのは当たり前である。 最初からレベルの違う、それも上の相手とゲームをしようとする人間は少ない。 囲碁・将棋のように実力を付ける場合ならいざしらず、楽しみでゲームをする者ならなお更である。 モノポリーよりもいやらしいと思われる「クオ・ヴァディス」「イントリーグ」 などをいやがらないのは全員の経験数に差が少なく、 レベルの差も小さいと考えられているためである。

 交渉のいやらしさ以外にもモノポリーの欠点はいくつか指摘されている。 「一度差がつくと逆転の可能性がほとんど無い」 負けが決まっている人間がゲームを強いられることほどいやなことはない。 何しろこれはゲームを嫌いにさせるのには最適の方法なのだ。
「抜けても終わるまで見ていなければならない」 普通は誰か一人が勝って終わるのであるが、 これは一人残りであるため一人が勝ち残るまで見ていなければならない。 これはゲームで負けている以上に悲惨である。

3.ルールを変えよう

 ではいったいどうすべきか。 一言で言ってルールを変える以外にモノポリーの現況を救う手だてはないように思える。
 以前、アメリカのモノポリーマニアが考えたBeyond Boardwalk and ParkPlace(略称BBPP) というルールを紹介したことがある。 これを考案した人間も似たような考えを持っていたようであるが、 動機としては「もっとエキサイティングなモノポリーがしたい」ということなので、 スタンスは多少違う。が、現在のルールに不満を持っているのは同じである。 BBPPルールの内容は以下のようなものである。
1.すべての土地等の購入価格を2倍にする。 (競売を多くし、止まれば勝ちの運を減らす。すべて競売というルールにせず、 無理をするならちゃんと買えるところが良い)
2.1$札の使用禁止とすべての金額の5$単位の切り上げ。 (1$毎に上がっていく交渉は見ている方もネチッコくてイヤになる。 スマートで良いし時間の短縮にもなる)
3.自己破産できる。宣言すると紫の土地二つと$500がもらえる。 (見込みの無い者の救済)
4.抵当の禁止。(私蔵される土地を減らし、家を建てられる機会を増やす)
5.税金はフリーパーキングに置き、止まったものが取れる。(流通金額の増加)
6.GOカードを取り入れGOに止まったときに引く。

 以上のうち1〜4は十分検討に値する。その他にも変えるべき点が無いか考えてみよう。
まず交渉がネチッコくていやだという点の解消策だが、取り引きをあっさり決めるがいくつか考えられる。 BBPPルールの1$札使用禁止の他に、例えば「値切りを認めず提示金額で売るか買うか」 「ダイスで決める」「カードに買値と売値を紙に書いて出し、買値が売値を上回っていれば交渉成立」 「時間制限を厳しく」などが考えられる。がいずれもしっくりこない。 これは交渉が大人のゲームのいいところなので、制限して味を無くすのがもったいないのである。 BBPPルールのように5$切り上げ、あるいは、単に5$単位交渉とする、 あたりが良いところだろうか。

 次に先に家を建てたら勝ち、逆転不可能という点であるが、 これは家を建てている者のデメリットを大きくすることが考えられる。 例えば、「家を建てたらそれ以外の資産は銀行に戻す」 「家を建てている者はGOを通るたびに固定資産税を払う」 「全員がカラーグループを揃えるまで家を建ててはいけなくする」。 逆に家を建てていない者を優遇することも考えられる。 例えば誰かが家を建てたら「建てていない者は土地を半額で買える」 「建てていない者はダイスを振り直しできる」「建てていない者は自分で刑務所に行ける」等々。
 草々に破産して抜けた者は面白くないという点については「一人破産したら終わりにする」 「時間で切る」という手もある。,BR>  だが、どちらもモノポリーの本質に関わる、と言う反対があるだろう。

 また全体的なものとして「負けを認めた時点での資産を計算し、 以後それを上回っても破産してもその数字」「資産は無視。現金額のみを点数とし時間勝負とする。」 というのもどうだろうか。

 いろいろ挙げたが単なる欠点の補正であってゲーム全体に与える影響はあまり考慮していない。 ゲームの展開としてはどうするのが面白いだろうか。おそらく全員家を建てることができ、 そこそこ勝負ができれば、つまりゲーム中全員に一度でも1位の可能性があれば、 負けても諦めがつくのではないだろうか。
 最初に誰かがグループを揃えたところで周囲が諦めてしまう場合というのは、 建つと同時に沢山の家が建ったときである。 家が建てばそこから先の交渉は家が建っているところに入ったことを考慮するため、 交渉がまとまりにくくなることを経験者は知っているのである。 それもあって家を沢山建てている者とグループを揃えていない者との差は大き過ぎるのである。 やはりグループを揃えた者は家を建てる資金が不足している方がゲームとしては望ましそうだ。 だが単に他のカードを銀行に戻す、というルールでは意味が無い。 それなら先に売るか、それを交渉の材料にして金を作るからである。 ということで交渉にはあまり制限を設けず家を建てることに制限を設けてはどうだろう。 例えば「一周に1軒までしか家を建てられない」というような。 そして全員にグループを揃えられるようにすれば良いだろう。 「グループを揃えたらその時持っていたカードは銀行に戻す」 「家を建てていない者は一回だけダイスの振り直し可」「家を建てていない最後の一人は銀行にあるものを買える」 等々のルールである。もちろん詳細はもっと詰める必要があるが、 これで誰でも興奮するモノポリーが楽しめるはずだ。 おそらく最初からこのルールでモノポリーを覚えた者もモノポリーを面白いと思うであろう。

4.モノポリーの行方

 モノポリーのルールを変えることに抵抗のある人間は多いだろう。 思い入れの強い人間ほどそうに違いない。 だが、モノポリーがプレイされない理由にはもう一つ大きな物が残っている。 それは「モノポリー以外に面白いゲームが実にたくさんある」ことである。 これに克つためにはルールを変える以外に無いと思うのだ。 「大本のルールが一番。別にやらない人はやらなくてもいいよ」 というならこっちも「じゃ、モノポリーやらないからいいよ」というだけのことである。 固執して時代の波に取り残されるか、変革を受け入れて生き残りを図るか、それは自由である。 なにしろモノポリーを保存したところで別に意味はないのだから。 つまらないゲームは忘れ去られる。それは自然の摂理である。

注:MONOPOLY(モノポリー)はパーカーブラザーズ/ハズブロ社の登録商標です。


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