伝統ゲーム紹介


麻雀

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名称麻雀
中国
概要  中国を発祥とする牌のゲーム。元々は馬吊(マーチャオ)とよばれる紙製のカードゲームだった。 発祥は葉子戯と呼ばれるカードゲーム。それが明代に馬吊というゲームに発展し、 いくつかのゲームを経て麻雀が誕生したと考えられている。
 日本には明治42年に持ち込まれたと言われている。
販売状況デパート、玩具店,ディスカウントストア等で販売中。

●中国の遊戯牌の簡単な歴史

1.紙の誕生

 紙の誕生は2説ある。一つはエジプトのパピルスである。紙(ペーパー)の語源ともなっているパピルスだが、植物の細長い葉を縦横に編んで叩いて平らにしたものだが、これは現在の紙の製法ではない。もう一つは中国の前漢の時代に役人の蔡倫が作ったとされる紙だが、これは麻や漁網や樹皮を煮溶かして漉いたもので現在の紙の製法と同じものである。ただ中国で蔡倫以前に作られた質の悪い紙が発見されており、蔡倫は紙の発明者ではなく改良者とされる。

2.紙幣の誕生

 中国の宋の時代には交子と呼ばれる世界最古の紙幣が作られている。次の元の時代には交鈔、明の時代には宝鈔と呼ばれる紙幣が作られた。これらには穴開き銭に紐を通した図柄が描かれている。例えば百文の紙幣には一文銭を百枚に紐を通した図柄が描かれている。 

3.遊戯紙牌(銭牌)

 唐の時代には葉子戯というものがあった。葉子は葉のように薄いものという意味で、戯はそれのゲームということで カードゲームとも考えられるが、実態はわかっていない。紙が貴重品だった時代にゲーム用品となったかは疑問である。

 明代の書物に、四種類の模様を持つ遊戯牌の記述がある。四種は文銭、索子、万字、十万の4種類である。文銭は一文銭の模様で、文銭が一個描かれた一文、文銭百枚の穴に紐を通した索子の模様、一万という文字を絵描いた万字、十万の文字を描いた十万で、それぞれ1から9まであった。
 清代の遊戯札が現存している。文銭、索子、万字、十万の4種類の模様があり、マーチャオ(馬吊、馬弔)と呼ばれた。明代の遊戯札も同様のものでなかったかと考えられる。

4.遊戯牌の西進

 遊戯紙牌は東南アジア、インドなどの南アジア、ペルシャなどの西アジアを経て現在のエジプトにあったマムルーク王朝に到達した。 マムルーク王朝の遺跡からは貨幣、棍棒、剣、聖杯の4種類の模様を持つ札が発見されている。 これらは中国の札の文銭、索子、万字、十万に対応していると考えられる。 カードはさらにヨーロッパに伝わった。イタリアなどでも貨幣、棍棒、剣、聖杯の札が多数つくられた。 これらのデザインはフランスでダイヤ、クラブ、スペード、ハートに変化し、現在のプレイングカード(トランプ)が誕生した。

5.麻雀の誕生

 中国では4種の遊戯紙牌はやがて十万が消え、文銭、索子、万字の3種類となった。 また紙牌でなく厚みのある骨や象牙の牌も生まれた。 何種類もの牌が作られたが、そのうちの一つが日本でも良く知られる麻雀(中国では麻将)である。

6.サイコロ牌の登場

 お金の模様のカードとは別に、サイコロの目を描いた札も作られた。 1枚の札に2個のサイコロを描いたものが作られた。現在でも天九牌などが遊ばれている。 このサイコロ牌は西洋に渡りドミノ牌になった。  


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